中山道(11)(軽井沢~岩村田)

 2025年4月23日


中山道遠征2日目。昨日は重い荷物を背負って碓氷峠を歩いたけれど、今日は佐久盆地のほぼ平坦な道。しかも荷物の大半を軽井沢の宿に置いての軽装だ。しかし残念ながら朝から雨模様。大した雨ではなさそうなので平装で軽井沢を出発するけど、先行きは不安だ。



軽井沢は綺麗な街だけど、自販機やごみ箱がほとんど無い。軽井沢から離れてようやく自販機が登場した。甲州街道では随分と利用したハッピードリンクショップだ。低価格で各種メーカーを取り揃えているのが有難い。単なる自販機ではなく、○○店と名付けられている。



近衛文麿元首相の別荘。テレビドラマに出てきそうな、以下にも、といった感じの瀟洒な洋風建築だ。今では市に寄贈されて記念館になっているようだけれど、朝が早すぎて未だ開館していない。



別荘風の洒落た住宅が並ぶ静かな道を進んでいく。どのお宅も美しく庭を整備されていて、道行くよそ者にも様々な花を楽しませてくれる。特に道に覆いかぶさるように枝を伸ばす桜の木は小雨のなかをトボトボ歩く惨めさを忘れさせてくれる。



沓掛宿にやってきた。しかし最寄りの駅名は中軽井沢。沓掛という名前より軽井沢を名乗る方が圧倒的に地域ブランドアップになるということだろうか。



特に遺跡もみあたらず宿場町としての風情は感じられない。雨脚が強まってきてLLBeanの粗品で貰ったレインポンチョを着込む。街歩きなら役に立ちそうと思ってリュックに入れておいたものだけど、結構大きくて風でバタバタする。どのように着るのが正解か判らない。



馬頭観音がとても多く見られる。本来は馬とは関係のない観音様だったというけれど、その名から馬の守護仏として崇められることが多くなったという。街道で多数使役されていた馬の健康を祈り、あるいは亡くなった馬たちの霊を弔ったものに違いない。



追分宿に入ると随分と路面が丁寧に整備された道となる。立派な追分宿記念館があるけれど、残念なことに休館日。「風立ちぬ」など、軽井沢を舞台にした小説で知られる堀辰雄文学記念館も休館日。



追分宿はかつては飯盛女が多数いることで知られる宿場町だったというけれど、今ではそうした猥雑な雰囲気とは無縁のとてもスッキリとした街並みが続く。



追分宿の出口付近にある有名そば店に立ち寄りたくて、開店時刻まで色々と時間を潰す。街道を少し外れて泉洞寺へ。カーリング地蔵や卓球地蔵など、風変わりなお地蔵様が境内に並んでいる。堀辰雄がしばしば通ったという歯痛地蔵も見られる。



宿場町の出口にある桝形茶屋つがるや。江戸時代の建物がそのまま残されているようだ。漆喰の白壁には「ます(□のなかに斜め線)形」、「つがるや」の浮かし彫りの文字が残っている。桝形とは城や町の出口に設けられた石垣で囲まれた鉤型の防衛施設だ。



追分とは街道の分岐点のこと。左が中山道、右が北国街道だ。もともと中山道が主要な街道だったものが、明治以降北国街道の方が重要ルートとなったように思う。追分から小諸、上田、長野、と信越本線が敷設されたのに対し、諏訪に向かう旧中山道沿いには鉄道が無い。



蕎麦屋の開店時間までの時間つぶしで、なぜか追分宿のアチコチに案内板が多く見られる「シャーロックホームズ像」を見に行く。どうしてここにあるのか、全く想像もできなかったけれど、シャーロックホームズを日本語に翻訳した方がこの辺りに住んでいたそうだ。



満を持して、評判の高い蕎麦店「きこり」に開店時刻を少し過ぎた頃にやってきたら、なんと早くもほぼ満席。駐車場には他府県ナンバーの車が溢れていた。なるほど蕎麦も汁も美味い。大人気店だということに納得できる。



軽井沢町から御代田町に入るけど、相変わらず別荘が多い。別荘ゾーンへの分岐には別荘オーナーの表札が何十も掲げられている。別荘地の先には「カーリングホール」があるようだ。カーリングホールって、どんなものかとても気になるぞ。



御代田の一里塚。中山道が少し移設されたのか、西塚も東塚も中山道から少し離れた畑の中にある。そのせいか随分と保存状態がいい。特に西塚は塚木が枝垂れ桜なのだ。老桜で花は少なめだけれど、これまで見てきた一里塚のなかでも最も印象的なもののひとつだ。



小田井宿。有難いことに中山道を歩く人をもてなすお休み処が設置されている。この辺りでようやく雨は完全にあがった。



追分宿とは逆に、この小田井宿には飯盛女がおらず、そのためか主に姫君の宿泊所に充てられることが多く「姫の宿」と呼ばれたらしい。当時の本陣の建物ではないようだけれど、本陣跡と紹介されている場所には白壁の立派な屋敷が建っている。



続いてやってきたのは岩村田宿。佐久市の中心だ。町の入口にある龍雲寺には武田信玄の墓所がある。甲府を始め、アチコチに信玄の墓所と言われるところはあるけれど、信玄が初めて信州に侵攻し支配したところだけに、信玄との縁が深い町であることは間違いない。




岩村田は三河譜代の内藤氏が治めた岩村田藩の城下町。わずか1万5千石の小藩とはいえ城下町ゆえの堅苦しさがあったらしく、大名行列はここに逗留することが無く、本陣も脇本陣も設置されていない小さな宿場町だったらしい。



JR小海線の岩村田駅。新幹線開通で、併行する信越本線(軽井沢~篠ノ井)は3セク(しなの鉄道)となったのに対し、よりローカル色の強い小海線(小諸~小渕沢)がJRに残るという皮肉なことになっている。大赤字と聞くが、帰宅する学生で駅は随分と賑わっている。



歩行距離22.3㎞、登り獲得標高180m、所要時間8時間。荷物も少なく、ほとんどの区間が軽い下り坂だったのに、雨のせいか、結構疲れてしまった。




軽井沢への帰路、小諸で途中下車する。なぜか小諸という言葉の響きには一度訪問してみたくなるような郷愁を感じるのだ。秀吉の九州攻めの際に大失態をしでかした仙谷秀久がその後復活し、初代小諸藩主として整備した小諸城跡を散策する。




仙谷秀久といえば島津との戦いで秀吉の命に背いて長宗我部に無理攻めさせ、自らは逃亡するという愚行のため、最も嫌われている戦国武将の一人だと思うけれど、領地を全没収された後、必死の頑張りで汚名返上し大名に返り咲いた。NHK大河の大穴ではなかろうか。



小諸の蕎麦も美味いと聞くけれど、さすがに一日2度の蕎麦は辛い。余談だけれど、出石の蕎麦はその後出石城主に転じた戦国秀久が小諸から持ち込んだものと聞く。
小諸駅。バスはJRバスだけど、しなの鉄道だ。JR時代に比べ運賃は倍になったという。




中山道(10)(横川~軽井沢)

 2025年4月22日


中山道屈指の難所、碓氷峠を越えて信州へと向かう。今回の遠征は3日を予定しているけれど、いつものように初日に頑張り過ぎて2日目以降に疲れを積み残さないようにしたいものだ。横川駅を出るとすぐ碓氷関所跡が現れるけれど、西門が残るだけでちょっと寂しい。



かつては車両下部とレールの歯車を嚙み合わせて急勾配の碓氷峠を越えていたという信越本線。新幹線開業に伴い、横川~軽井沢は廃線となり、役目を終えた車両などの展示もされている「鉄道むら」がある。とても興味があるんだけれど、今回はパスだ。



廃線跡を歩いて廃トンネルや廃鉄橋を巡るアプトの道というものが整備されている。この道を歩いて軽井沢に行くこともできるようだ。メチャクチャ魅力的だけれど、今日は愚直に中山道を歩こう。いつか再訪してみたいところだ。



舗装道をしばらく歩いていくと坂本宿に到着。碓氷峠直前の宿場町だ。名物の力餅などを食べてここから始まる急坂に備えたに違いない。



宿場町を貫いていた中山道は今では国道18号線となっている。道の拡幅の影響のせいか、宿場町らしい風情はあまり感じられないけれど、それっぽい建物もいくつか見られる。




少し遠回りして、かつてのトンネル跡をひとつ見に行く。アプトの道を進めば、こんなトンネルを10ほど、さらに日本最大級と言われる煉瓦造りの4連のアーチ式鉄道橋、通称めがね橋を歩けるのだ。いつの日か、アプトの道は是非とも歩いてみたいものだ。



楽しそうで平坦なアプトの道への未練は断ち切って、いよいよ碓氷峠に向かう山道へと入っていく。整備された道とはいえ、勾配は厳しく、道幅も狭い。気温は20度以下のはずだけれど、薄暗い杉林を進むうちに、汗が噴き出してくる。



刎石山へと向かうにつれ、路面には鋭利な石がゴロゴロ転がる道となる。崖には典型的な柱状節理も見られる。この辺りは浅間火山帯の一部のはずだ。溶岩がゆっくりと冷却されると規則正しい節理を持つ岩になることがあるらしい。



桜の木の間に、先ほど歩いてきた坂本宿と町を真っすぐに貫く中山道が良く見える。標高400mほどの横川駅から結構急坂を登ってきたつもりだけれど、まだ標高は800mにもならない。1200mの碓氷峠までは未だ未だ登らなければならない。



刎石山の手前にようやく小さな東屋。中山道の登り口にあったっきり、休憩場所が無かったので、長々と休息させてもらう。箱根、鈴鹿、笹子など、難所と言われる街道の峠をいくつも越えてきたけれど、碓氷峠が一番キツイかも、と感じ始める。



堀切の跡。信州からの武田信玄の侵攻に備えて北条氏が築いたものらしい。碓氷峠はいわゆる片峠。信州からはさほどの登りではないけれど、上州からはかなりの登りとなるだけに、信州からの侵攻は比較的容易だったのかもしれない。



刎石山を越えると、杉林からブナ林へと変わる。薄い葉を通しての木漏れ日のおかげで道が急に明るくなったように感じる。驚くことにすれ違った軽井沢から横川へと歩く合計30人ほどの8割ほどは外国人だ。こんな山中の道まで海外に紹介されているようだ。



尾根から少し下がったところに道は造られている。尾根道を歩く方が気持ち良さそうにも見えるけれど、風のことなどを考えれば、尾根に遮られたところを歩くのが最も安全だったのではなかろうか。



安政遠足の標識がところどころに見られる。安中からこんなトコまで走ってくるなんて…。ゴールの碓氷峠まで距離は29㎞ほどとはいえ、ずっと上り坂なのだ。5月に大会があるらしいけれど、練習をしているのだろうか、走っている人の姿も見かけた。



見かけない虫に出会い長らく観察する。どうもカメムシの仲間のような気がして調べてみると「歩く宝石」と呼ばれるアカスジカメムシの5齢幼虫らしい。なんと5度も脱皮を繰り返して、光沢を持つ緑色の成虫になるらしい。幼虫と成虫でははまるで色が異なる。



もともと碓氷峠までの道にはいくつかの茶屋があったというが、今では刎石山以降、ベンチさえ見当たらない。が、碓氷峠に近づくにつれて廃屋(廃別荘?)がチラホラ見える。どこから乗り入れたのかは謎だけれど、廃バスの姿まで見える。



ついに碓氷峠。長野・群馬の県境には熊野神社と熊野皇大神社が並んでいる。碓氷峠で濃霧のため道に迷った日本武尊を導いた八咫烏の伝説が残る古社だけれど、どうやら宗教法人登録の際、やむなく両県それぞれに登録する必要があったため二つの神社に別れたらしい。



参道の真ん中に県境の表示がある。ふたつの神社の社殿は一体なのだけれど、社務所もお守りの授与所も賽銭箱も別々に設置されている。



熊野神社の向かいにある茶屋「しげの屋」。350年前から中山道を行き交う旅人の疲れを癒してきた店だ。こちらも長野・群馬両県に跨るように立っている。



本来は碓氷峠に登る前に食べるものだろうけれど、元祖力餅を碓氷峠頂上で頂戴する。力餅は、あんこ、きなこ、ごま、くるみ、大根おろし、みその6種類。全部食べたかったけど、アソートは無いようなので、くるみを頂戴した。8つをあっという間に平らげてしまった。



碓氷峠から軽井沢へは「旧碓氷峠遊覧歩道」と名付けられた道を進む。クマ注意の警告に従って熊鈴を鳴らしながら、軽井沢に向け下っていく。遊覧歩道とはいうけれど、そんなに呑気でも楽しい道でもなく、とても曲がりくねった、誰とも出会うこともない寂しい道だ。



碓氷峠から遊覧歩道を3㎞ほど歩くと、別荘が多数見られるようになり、さらに進むと少し宿場町の風情のある街並みが現れるけれど、その多くは中山道の宿場町なんてことに何の興味も無さそうな観光客向けの飲食店や土産物店だ。



脇本陣江戸屋。実際に脇本陣だったところらしいけれど、今はCafe & Wineのお店だ。まあ仕方ないとも思うし、脇本陣江戸屋という店名だけでも残っていることだけでもヨシと考えるべきだろう。



軽井沢の標高は950m。麓よりは数度気温が低いはずだ。麓ではとうに散ってしまった桜が、ここでは満開だ。



距離16.9㎞、獲得標高1095m。所要時間は9時間ほどだけれど、ゆっくり休憩しながら歩いたせいか、さほど疲れはない。もっともこの日のために購入し、試し履きもしてきたはずの靴が、少しキツく靴底も薄く感じられ、足裏にイヤな痛みが残る。明日以降が心配だ。