野田迷路探検~ななとこまいり(1)

 

2012年6月16日(土)


昨夜は遅くまで飲んでいたし、天気予報では終日雨だし、今日はゆっくり過ごそう、と思ってたところが、朝10時頃に雨は止み、空も晴れてきた。長くは続かない晴れ間だろうけど、大阪の福島区のお地蔵さん巡りをしてみることにした。

「ななとこまいり」といって、福島区の野田に残るお地蔵さんを巡ることでご利益があるそうだ。「ななとこ」というのは、「七所」のことのようだが、手元にある「野田迷路探検」という地図に載っているお地蔵さんは27もある。野田に14、吉野に7、玉川に6だ。

ということで、野田だけでなく、吉野も玉川も、ぜーんぶ廻っちゃうことにしよう。




まずは、吉野からスタートだ。
なぜなら、「い」「ろ」「は」・・・と符号が付けられている地図のお地蔵さんの「い」が吉野だからだ。最短距離ではないのだが、せっかくなら順番どおりに廻る方がご利益がありそうではないか。


此花との区境に近い、マンションの前に「い」のお地蔵さんがおられる。なかなか立派なお堂のなかに安置されていて、整理も行き届いていて、付近の方々に慕われていることがよくわかる。




もっとも、木柵のなかに、ひっそりと奥深く安置されているものがあったり(吉野)・・・、



二宮金次郎像と並んで、新築のお堂のなかにおられるものがあったり(吉野)・・・、



新しいお花や、火の付いたお線香が供えられているものがあったり(吉野)・・・、



どういう訳か、4体もお地蔵さんがおられたり(大開)・・・、



まさか、と思うほどの細い路地の奥にあったり(玉川)・・・、



折からの強風で、扉が激しく開閉を繰り返していたり(玉川)・・・、



家屋(どうやらお寺のようだ)の中に組み込まれていたり(玉川)・・・、



ピカピカと点滅する格安自販機の横にあったり(玉川)・・・、



家屋から突き出す形で一体化しているものがあったり(玉川)・・・、



と、まあ、様々なお地蔵さんが、この町のあちこちで、人々の暮らしを見守り続けている。

玉川を回っている間に、風雨が強くなり、さしている傘は度々裏返しになるなど、歩行も困難になってきた。ここで止めてはご利益も半減とは思いつつも、今日は約半数の13のお地蔵さんにご挨拶をしただけで帰路につくことにした。


おまけ


野田阪神本通商店街は、別名「出世街道」と名付けられている。地蔵巡りのついでに散策。

松下幸之助が創業し、門真に本社・工場を移転するまで、事業拡大しながら徐々に工場を新増設したのが、この地(大開)だ。義弟の井植歳男とソケットを作りだした東成は「起業の地」で、大開は「創業の地」だそうだ。幸之助は死ぬまで本籍を大開から移さなかったというから、この地への思い入れは相当なものだったのだろう。

ところが、創業の家はなかなか見つからない。商店街に偶然見つけたパナソニックの電器店で聞いてみると、案内パンフレットをくれた。この店に道を訪ねる人は少なくないはずだ。もっとも当時の家が残っているはずもなく、小さな標識があっただけだった。




ただ、阪神電車線路沿いにある大開公園には立派な記念碑が建てられていた。案内板の裏には寄金に賛同した人たちの名前が刻まれている。パナソニックに入社した、大学時代の友人の名前を見つけた。



野田城跡。戦国時代には、しばしば戦いの舞台となっている。かつて、この辺りは数々の川に囲まれた島のような地域で、海と陸の双方ににらみを利かす要衝になっていたようだ。


「吉野の桜、高雄の紅葉」と並び称された、野田藤の発祥の地。今は小さな藤棚があるだけ。




地下鉄玉川~野田阪神の間にある新橋筋商店街。「野田迷路」といえば、まず新橋筋商店街と、この商店街から派生する、さらに細く入り組んだ路地を連想する。


玉川の中央卸売市場のあたりに、格安飲料自販機が多いことは知っていたが、10円自販機が出現していたことには驚いた。




それにしても、ウォーキングの後半は、ひどい雨と風。目立たないお地蔵さんが多く、まるで宝探し感覚で、道を行ったり来たりして、結構疲れた。
また日をあらためて、残りの野田地区のお地蔵さんにご挨拶をさせていただきたい。


まとめ


歩行距離   6~7kmというところか・・・。
所要時間   140分(2時間20分)
歩数      12000歩 (しっかり5600歩)