ゆるキャラ大集合スタンプラリー(彦根)

2012年8月26日(日)



彦根まで出掛けて、「8月だよ!ひこねのゆるキャラ大集合!スタンプラリー」に参加した。



が、その前に、米原から彦根まで、これまで乗ったことが無かった近江鉄道に乗車。同じ区間を走っているJRが180円なのに対して、運賃は290円もするのだけど、これが今回の彦根行きのひとつの目的。列車は、意外に新しいが、色調からは、親会社の西武のお下がり?とも思える。



しかし切符は、今となっては懐かしすぎる厚紙タイプ。有人窓口で購入し、改札鋏を入れてもらう。



幸運なことに、彦根駅で、ゆるキャラ電車に遭遇。戦国時代に、彦根の佐和山城を本拠地とした石田三成と、その重臣である島左近をモチーフにした「いしだみつにゃん&しまさこにゃん」号だ。




事前に近江鉄道のHPで調べた限りでは、この車両が、いつ、どの駅にいるのか、などの情報が全く掲載されておらず、半ば遭遇は諦めていただけに嬉しい。天気もいいし、今日は幸先がいい。




さあ、彦根駅前の観光案内所で台紙を貰って、スタンプラリー開始、と思いきや、「スタンプラリーは、お盆休みに沢山の人出があって、賞品が無くなって終了した」とのこと。案内所の係員さんの話によると「もうスタンプも置いていないし、台紙も無い」とのこと・・・。テンションはガタ落ちだ。



気を取り直して、せめてスタンプラリーのコースをもとにウォーキングをして、彦根の観光地を回ることにする。井伊直政像がある彦根駅前からあらためてスタートする。日射しはきつく、かなり暑くなりそうだ。




まず第一ポイントは佐和山城の麓にある龍潭寺。
途中にあった墓地を取り囲む生け垣が、まるで石壁のように見事に直線的に仕上げられている。鋏でカットした跡も見られず、アイロンパーマのように細かな枝が押さえつけられている。植木には詳しくないけれど、これは凄い技術では無かろうか。



 龍潭寺の入り口にある、石田三成像。武将というより、切れ者の行政官のイメージだ。



龍潭寺の奥にある墓地を通り抜け、標高232mの佐和山城本丸跡を目指すが、なかなかの山道。さすがに大半の兵力を投じた関ヶ原の戦いに三成が破れた後、わずかな数の留守部隊が、徳川方に寝返った小早川の大軍相手に善戦したと伝えられるだけある。地形を最大に活用した険峻な城構えとなっていたことが判る。



手元のガイドマップのひとつには、龍潭寺から徒歩18分、とあったが、到底無理だ。30分ほど掛かって、ようやく本丸跡に登頂。汗で服はビショ濡れだ。



本丸跡からの眺望。彦根城や琵琶湖がよく見渡せる。気持ちの良い風が吹いていたこともあり、ここで30分ほど過ごす。



佐和山城からの帰路に、龍潭寺に立ち寄ると、な、な、なんと、スタンプがあるではないか。「いしだみつにゃん」のスタンプだ。しかし台紙も無いので、仕方なく手元にあったチラシにスタンプを押印。

その後、スタンプラリーコースには入っていないが、五百羅漢で有名な天寧寺を目指す。しかし例によって、道に迷いに迷った末に断念。市街地の古い繁華街である銀座町まで歩いて、ちょっと贅沢して近江牛のランチ。居心地の良いレストランだったので、2時間ほども長居してしまった・・・。もはやスタンプラリーウォーキングに向けての戦闘モードはすっかり消えてしまった。

銀座町界隈は、古い町並みを再現した、いい感じの通りになっている。スタンプラリーポイントにもなっていた土産物屋「戦国丸」に立ち寄ると、ここにも、やはりゆるキャラのスタンプが置いてあった。ふと横を見ると、えええぇっっ~、スタンプの台紙もあるじゃぁないか!!



さらに、ラッキーなことに、三成の盟友、おおたににゃんぶ(大谷刑部吉継)も来店?していた。ここのスタンプは、しまさこにゃん(島左近)だったのに、うっかりと、ゲットしたてのスタンプ台紙の、おおたににゃんぶの欄に押印してしまった・・・。



夢京橋キャッスルロードは、大正ロマンの雰囲気で、町並みが整備されている。お洒落なガス燈が何本も設置されていて、薄茶色に統一された建物の風景によく馴染んでいる。



彦根城下をぐるっと巡って、最後に彦根城を訪問。既に夕方4時半を過ぎていた。彦根城の入り口で、ゆるキャラの真打「ひこにゃん」のスタンプを押印して、スタンプラリーを一応完了。



彦根城から見た佐和山城跡(手前の山)。後半はブラブラ歩きになってしまったけれど、暑さもあって、水をがぶ飲み。予想以上に疲れた・・・。



完成した?スタンプラリー台紙。もっとも、おおたににゃんぶ(大谷刑部)と、しまさこにゃん(島左近)の押印が逆になっているし、いしだみつにゃん(石田三成)に至っては、龍潭寺で別の紙に押印したスタンプを切り抜いて、スタンプラリー台紙に貼り付けたもの。



スタンプラリー的には、またしても不完全燃焼気味で終わったけれど、楽しい日曜日を過ごせた。


まとめ


歩行距離  10キロくらい
所用時間  5時間くらい (昼食休憩2時間、彦根城見学30分を含まず)
歩数     19500歩 (しっかり 7100歩)










大阪城 城灯りの景

2012年8月25日(土)



日も暮れかけた頃、大阪城で開催中の「城灯りの景」(しろあかりの「え」と読むらしい)を見に行く。今年で12回目になるのだが、行くのは初めてだ。

城内に2万個もの行灯が並べられているという。蝋燭の灯りだ。辺りが暗くなるのに従って、行灯の灯りが輝きを増していく。



メインの会場は、普段は有料になっている西の丸公園。コンサートの賑やかな演奏が鳴り響き、驚くばかりの人出だ。。そもそも、この公園は有料にすることで、芝生や桜の木を大切に育て、いざという時には大阪の迎賓機能を果たすところだったはず。この2日で公園はかなり荒れちまうだろう。遊ばしておくより、このように地域の活性化のために使った方が良いという考え方までは判らなくはないけど、この公園を国際モトクロス会場にする、という発想は理解できない。東京には、皇居、明治神宮、浜離宮・・・など都心にも静寂で風格のあるエリアがいくつもある。大阪も国際都市を自負するなら、そのような場所がひとつは必要ではないのか。



公園の外周には屋台が立ち並んでいる。人気の有る屋台には大行列ができている。



自販機の飲み物は、あらかた売り切れの赤ランプが点灯していた。夕方以降は過ごしやすくなってきたとはいえ、まだまだ暑いし、B級グルメというのは総じて味が濃いからねぇ・・・。



天守閣前広場にも、膨大な数の行灯が並べられていた。天守閣のイルミネーションも相俟って、とても美しい。それにしても、この費用はどこから出ているのかなぁ・・・。



大阪夏の陣で豊臣秀頼と淀君が自刃した場所と伝えられている山里曲輪は、普段は比較的静かな所なんだけど、ピッカピカにデコレーションされていた。



大して歩いてもいないのだけど、あまりの人出と騒がしさで、とても疲れた。

無料イベントとなると、費用のことなど考えずに大勢集まってきて喜んでいる。目論みどおり2日で6万人の来場があったとしても、一人あたり300円ほど掛かる計算になる。入場料300円に設定して6万人集まるだろうか・・・。大阪城の魅力向上に繋がっているのだろうか・・・。こうした人出の多いイベントは苦手なので、どうしても辛口の感想になってしまう。



ギンギラギンの天守閣広場を離れ、極楽橋を渡り、京橋口に向かう堀端から天守閣を振り返る。やはり、お城から少し離れて月明かりに照らし出されたシルエットを眺める方が性に合っている。



【番外】東北三陸海岸

 

2012年8月18日(土)~21日(火)



夏休みを利用して、岩手県と宮城県を旅行した。昨年東北地方を襲った大災害から1年5ケ月を経過した街の復興状況を見て回るとともに、両県の名所や温泉も訪れた。

未だ津波による深い傷跡から癒えることのない三陸海岸に、観光を兼ねて出掛けることには少なからず躊躇いがあった。ボランティアなどで現地を訪問した何人もの職場の仲間にレクチャーを受け、十分な下調べをしつつも、現地では復興活動などの妨げにならないよう気を付けたつもりだ。


【18日】  大阪===花巻(泊)


空路花巻に入り、宮沢賢治関係の施設などを訪問し、南花巻の志戸平温泉に投宿。


宮沢賢治記念館の入り口。「雨にも負けず」の原稿実物がある。これって、賢治の手帳に書いてあったメモのようなもので、没後に発見されたとは知らなかった。



宮沢賢治記念館の近くにある童話村。


この夜の花火大会は事前情報を大きく上回る人出。花火会場近くでは、駐車スペースを見つけることができず、結局、旅館の人に教えてもらった穴場、円万寺の展望台から花火見物。

 

【19日】  花巻⇒遠野⇒釜石⇒大船渡⇒陸前高田⇒気仙沼⇒南三陸(泊)


花巻から遠野を経由して、三陸海岸に向かう。
釜石に近づくにつれて、津波の被害を実感する。特に港の付近は壊滅的な被害であったことが判る。あまりのことに写真を撮ることさえ躊躇われる。それに被害が広域にわたっているので、よほどの広角レンズでも無いと被害を実感できる写真は難しいだろう。

釜石から三陸海岸を南下する。日曜日なので、ダンプカー等もあまり走っていない。三陸海岸沿いに車を走らせることが、復興工事の邪魔になっていないことに少し安心する。

途中、鉄の歴史館を訪問。高炉模型と二面映像による製鉄の歴史の説明が、迫力があって良かった、と聞いていたが、残念なことにスピーカーの調子が悪く、半分しか話を聞き取れなかった。



陸前高田。奇跡の一本松。
多くの人が見物に訪れており、付近に駐車することは断念。数百m離れたところから写真を撮る。





陸前高田の街中。建物の基礎だけは残っているが・・・。復興が進んでいない一方で、夏草の生い茂ることの早さが恨めしい。


気仙沼の第18共徳丸。港から800mも入ったところに打ち上げられている。ここにも多数の人が訪問していた。住宅街の基礎が船の周囲に残っている。津波のせいとはいえ、この船がこの周辺の家々を薙ぎ倒したとなると、住民の心境は複雑なことだと思う。



主要な道路橋は、もとの橋の横に仮設の橋を架けて復旧している。自衛隊が大活躍したそうだ。
しかしJR気仙沼線は随所で寸断されたままだ。復旧は容易では無さそうだ。



【20日】  南三陸⇒女川⇒石巻⇒東松島⇒松島(泊)


南三陸町の旧志津川町を回る「語り部ツアー」に参加した。地震・津波のあった日の小学校の避難誘導のお話や、水も電気も無いなかで耐えてきたお話などを聞かせていただくとともに、いろいろな場所に連れて行っていただいた。

南三陸町の町役場の横にあった防災庁舎は、最後の最後まで、避難勧告を繰り返し放送していた女性職員の方など、多くの方が亡くなられたところだ。胸が詰まる。



 女川町の港近くには、津波で薙ぎ倒されたと思われる建物が、未だに横たわっている。



石巻市。
戦国時代に葛西氏の城があった日和山から見た沿岸部には、建築物がほとんど見当たらない。



北上川の中州も、流線形をした石ノ森章太郎漫画館を除いて、流されてしまったのか・・・。



石巻駅の料金表。青く塗られた不通区間が、北側にも南側にも広がっている。




石巻市内には、サイボーグ009や仮面ライダーなど、石ノ森漫画のキャラクターが数多く設置されている。ヒーローたちよ。悪者の成敗も大事だが、震災復興にありったけの力を発揮してくれ




宿泊した旅館の露天風呂からみた松島湾。



【21日】  松島⇒塩竃⇒多賀城⇒仙台⇒名取⇒岩沼===大阪



松島湾の遊覧船に乗る。カモメが船を追いかけてくる。 




湾内の島々が緩衝の役割を果たし、津波の被害が比較的軽かった松島だが、今なお修復できていない橋や施設もある。幸い、松島のシンボルともいえる五大堂に掛かる「透かし橋」は渡ることができた。海面が透けて見えるので、少し怖い。



伊達家の菩提寺ともなっている瑞巌寺。本堂は残念ながら修復中。参道脇に苔むした石窟と石像が並び、厳粛な雰囲気が漂っている。





陸前高田や石巻の被害の甚大さと比べると、職場の仲間がボランティアに出掛けた東松島などは比較的元の姿を取り戻しているように感じた。まだまだ大変なことだとは思うが、少しほっとした。

しかし、仙台空港の付近など、瓦礫の大きな山があちらこちらに見られた。カーナビに表示されているガソリンスタンドなども跡形も無くなっていたし、レンタカーを返却する営業所も引越していた。1年5ヶ月の月日を掛けて、かなり復興は進んだとも言えようが、残念なことに、まだまだ先は果てしなく長い・・・。わずか2~3日、見て回っただけで、判ることは高々知れているのだろうが、それでも自分にとっては大きなものを感じることができた。


林田まちなかあるきスタンプラリー(姫路)

2012年8月12日(日)



面白いイベントも見当たらないし、暑さのせいもあって、行きたいところが無くなってきた。
結局、せっかく一日空いていることもあり、不安一杯なのだが、姫路市の林田まちなかあるきスタンプラリーに行くことにした。

何故不安かといえば、まず、姫路の端っこにある林田というところが、ひどく不便なところで、姫路駅から40分ほどもかかるうえに、1時間に1本程度しかバスの便がない。さらに、5月に行ったイベントの中で実施したスタンプラリーをさらに半年間も続けているもの。この不便な土地に出向いて、今頃スタンプラリーに参加する者は皆無に近いだろう。その結果、スタンプポイントになっている施設の係員にスタンプラリー開催中であるとの認識が無かったり、ひどい場合、スタンプさえ無くなっていたり、という事態に陥る可能性が少なくない。事実、そのような経験は何度もあるのだ。

加えて、ネットを検索しても、全くといっていいほど、情報は無い。ホントにやっているのか?
このような状態なのに、往復で、数千円の交通費と、4時間の移動時間をかけて出掛けるのは、相当な変り者だと自嘲しながら、姫路に向かった。



スタンプポイントは8ヶ所。「伊勢自然の里環境学習センター」だけが、林田地区から北東に5キロも離れている。長い一本道を行って、また同じ道を帰るのは嫌なので、林田から山ひとつ隔てた夢前町から歩くことにする。

夢前町にあるバーズタウンに立ち寄る。昭和49年にニュータウンのシンボルとして岡本太朗が制作したモニュメントがあるのだ。こう言っちゃ何だけど、こんな山間部にニュータウンを造成するなんて、当時の日本は元気だったんだねぇ。




夢前町は今では姫路市の一部になっているが、かつて中国自動車道のカントリーサインは、何の変哲もない「山」の絵だったように記憶している。この山々の左奥に林田があるはず。山頂だけ見ているととても越えていく気が起こらないんだけど、それでも山に向かっていくと、実に上手い具合に道が付いていることに驚く。山を越えて行くのは楽しい。越えてきた山を振り返るのは愉快だ。



 小一時間ほど歩いて、最初のスタンプポイント「伊勢自然の里環境学習センター」に到着。ビオトープとか、古代米の田んぼとかがある。

でもスタンプが見当たらないし、事務所に係員もいない。田んぼの方で作業をしている人に声を掛けるのも躊躇われて、20分ほどセンター内を見学。そのうちに係員の方が戻ってきて、無事スタンプ台紙を貰い、一つ目のスタンプをゲット。



環境学習センターから、林田の中心まで5キロ。暑いなかを、黙々と歩く。
「まちなかあるき」の幟が、所々に立っているんだけど、歩いている人には、誰ひとり出会わない。




第2のスタンプポイントは、田んぼの中にポツンとある「天然温泉ゆたりん」。入り口にはスタンプは置いていない。仕方ない。スタンプ貰うために600円払って温泉に入る。2時間ほど歩いているので、Tシャツは汗でぐっしょり。ゆっくり温泉に入って、着替えを済ませて、スッキリした。

でも心配していたとおり、「スタンプラリーはもう終わっている」と言う温泉の係員さんに、スタンプ台紙を見せて説明させられた。スタンプひとつに結構手間取ってしまった。



スッキリはしたけれど、 温泉に入ると、逆に疲れが出て、歩く気が起こらなくなってくる。極端に落ちたペースで、トボトボと歩いて第3ポイントの八幡神社に到着。階段が辛い。



第4ポイントは、林田の東側の静かな山中にある道林寺。三方を山に囲まれているので、風が無く、随分湿っぽい感じがするところだ。



第5チェックポイントは祝田神社。神社や寺では賽銭箱の横あたりにポツンとスタンプを置いてあるので、手間がかからずスタンプを押すことができる。


第6ポイントの鴨池。美しい池だ。
池のどこにスタンプがあるのか、訝しく思っていたら、池の中に祠のある島があり、池の岸から島に渡ることができるようになっている。



島の上にある祠。写真の右下にある白っぽいものが、スタンプを入れてある箱。
景色も風もいいので、ついつい長居してしまった。


町の真ん中にやっと入って来た。第7のスタンプポイントは、敬業館。かつて林田が藩だったときの藩校のようなところだ。



最後のスタンプポイントの旧三木家住宅。江戸期からの大豪邸だ。



ところが、開館時間は16時まで。11分遅かった。スタンプはおそらく既に閉ざされた分厚い門の内側にあるのだろう。残念だ。「ゆたりん」での長風呂が悔やまれる。




結局スタンプ台紙をクリアすることなく、バス停を目指して、トボトボと歩く。
林田というところは、八方を山に囲まれた田園地帯。まんが昔ばなしの舞台のようなところだ。特に何があるというところではないけれど、日本の原風景に出会えたように思う。



1時間に1本のバス。タイミングが悪く、40分以上待つ羽目になった。



スタンプ台紙。完歩したけど、ひとつだけ空白のスタンプ欄が残ってしまった。宇治田原、京都市電と、このところ詰めの甘いウォーキングが続いている。



(おまけ)
姫路駅前にあった、道路工事用の柵。宇治田原への道で、黄色のウサギ、オレンジ色のタヌキを見つけたが、このピンク色の作業員もなかなか可愛い。



まとめ


歩行距離  約17km
所用時間  325分 (5時間25分)   風呂&食事の1時間を含む
歩数     27600歩 (しっかり23900歩)