【番外】東北三陸海岸

 

2012年8月18日(土)~21日(火)



夏休みを利用して、岩手県と宮城県を旅行した。昨年東北地方を襲った大災害から1年5ケ月を経過した街の復興状況を見て回るとともに、両県の名所や温泉も訪れた。

未だ津波による深い傷跡から癒えることのない三陸海岸に、観光を兼ねて出掛けることには少なからず躊躇いがあった。ボランティアなどで現地を訪問した何人もの職場の仲間にレクチャーを受け、十分な下調べをしつつも、現地では復興活動などの妨げにならないよう気を付けたつもりだ。


【18日】  大阪===花巻(泊)


空路花巻に入り、宮沢賢治関係の施設などを訪問し、南花巻の志戸平温泉に投宿。


宮沢賢治記念館の入り口。「雨にも負けず」の原稿実物がある。これって、賢治の手帳に書いてあったメモのようなもので、没後に発見されたとは知らなかった。



宮沢賢治記念館の近くにある童話村。


この夜の花火大会は事前情報を大きく上回る人出。花火会場近くでは、駐車スペースを見つけることができず、結局、旅館の人に教えてもらった穴場、円万寺の展望台から花火見物。

 

【19日】  花巻⇒遠野⇒釜石⇒大船渡⇒陸前高田⇒気仙沼⇒南三陸(泊)


花巻から遠野を経由して、三陸海岸に向かう。
釜石に近づくにつれて、津波の被害を実感する。特に港の付近は壊滅的な被害であったことが判る。あまりのことに写真を撮ることさえ躊躇われる。それに被害が広域にわたっているので、よほどの広角レンズでも無いと被害を実感できる写真は難しいだろう。

釜石から三陸海岸を南下する。日曜日なので、ダンプカー等もあまり走っていない。三陸海岸沿いに車を走らせることが、復興工事の邪魔になっていないことに少し安心する。

途中、鉄の歴史館を訪問。高炉模型と二面映像による製鉄の歴史の説明が、迫力があって良かった、と聞いていたが、残念なことにスピーカーの調子が悪く、半分しか話を聞き取れなかった。



陸前高田。奇跡の一本松。
多くの人が見物に訪れており、付近に駐車することは断念。数百m離れたところから写真を撮る。





陸前高田の街中。建物の基礎だけは残っているが・・・。復興が進んでいない一方で、夏草の生い茂ることの早さが恨めしい。


気仙沼の第18共徳丸。港から800mも入ったところに打ち上げられている。ここにも多数の人が訪問していた。住宅街の基礎が船の周囲に残っている。津波のせいとはいえ、この船がこの周辺の家々を薙ぎ倒したとなると、住民の心境は複雑なことだと思う。



主要な道路橋は、もとの橋の横に仮設の橋を架けて復旧している。自衛隊が大活躍したそうだ。
しかしJR気仙沼線は随所で寸断されたままだ。復旧は容易では無さそうだ。



【20日】  南三陸⇒女川⇒石巻⇒東松島⇒松島(泊)


南三陸町の旧志津川町を回る「語り部ツアー」に参加した。地震・津波のあった日の小学校の避難誘導のお話や、水も電気も無いなかで耐えてきたお話などを聞かせていただくとともに、いろいろな場所に連れて行っていただいた。

南三陸町の町役場の横にあった防災庁舎は、最後の最後まで、避難勧告を繰り返し放送していた女性職員の方など、多くの方が亡くなられたところだ。胸が詰まる。



 女川町の港近くには、津波で薙ぎ倒されたと思われる建物が、未だに横たわっている。



石巻市。
戦国時代に葛西氏の城があった日和山から見た沿岸部には、建築物がほとんど見当たらない。



北上川の中州も、流線形をした石ノ森章太郎漫画館を除いて、流されてしまったのか・・・。



石巻駅の料金表。青く塗られた不通区間が、北側にも南側にも広がっている。




石巻市内には、サイボーグ009や仮面ライダーなど、石ノ森漫画のキャラクターが数多く設置されている。ヒーローたちよ。悪者の成敗も大事だが、震災復興にありったけの力を発揮してくれ




宿泊した旅館の露天風呂からみた松島湾。



【21日】  松島⇒塩竃⇒多賀城⇒仙台⇒名取⇒岩沼===大阪



松島湾の遊覧船に乗る。カモメが船を追いかけてくる。 




湾内の島々が緩衝の役割を果たし、津波の被害が比較的軽かった松島だが、今なお修復できていない橋や施設もある。幸い、松島のシンボルともいえる五大堂に掛かる「透かし橋」は渡ることができた。海面が透けて見えるので、少し怖い。



伊達家の菩提寺ともなっている瑞巌寺。本堂は残念ながら修復中。参道脇に苔むした石窟と石像が並び、厳粛な雰囲気が漂っている。





陸前高田や石巻の被害の甚大さと比べると、職場の仲間がボランティアに出掛けた東松島などは比較的元の姿を取り戻しているように感じた。まだまだ大変なことだとは思うが、少しほっとした。

しかし、仙台空港の付近など、瓦礫の大きな山があちらこちらに見られた。カーナビに表示されているガソリンスタンドなども跡形も無くなっていたし、レンタカーを返却する営業所も引越していた。1年5ヶ月の月日を掛けて、かなり復興は進んだとも言えようが、残念なことに、まだまだ先は果てしなく長い・・・。わずか2~3日、見て回っただけで、判ることは高々知れているのだろうが、それでも自分にとっては大きなものを感じることができた。