2012年12月23日(日) -②
沿線散歩の姫路~飾磨コースを片付けて、続いて、もう1コースを踏破するため、山陽電車の浜の宮駅に降り立つ。ホームと改札を繋ぐ地下通路には、地元の加古川市の高校美術部員による絵が描かれている。橋本市の隅田駅ほどのインパクトはないが、可愛いイラストだ。
まず、駅から数分のところにある天神社「浜の宮」に行く。かつては、このあたりが海岸だったようで、隣接する浜の宮公園にも、防風林と思われる松林がある。
さらに15分ほど歩いて、尾上神社へ。
神社の境内にある「尾上の松」。見れば、なんと若木である。以前来た時は、こんな感じじゃなかったように思うんだけど・・・。一つの根から男松(黒松)と女松(赤松)が育つ、おめでたい松のはずだが、柵に囲まれて、よく見えない。この松が8代目なんだそうだが、こんな若木が天然記念物というのは少し解せない。
加古川を渡り、高砂市に向かう。風がムチャクチャ冷たい。
橋から、加古川の河口に向けて2kmほど歩いて、高砂海浜公園までやってきた。ここも松林がいい感じだ。
松林を抜けると、砂浜と入江があり、その向こうに陸繋島のようなものがある。あまりにも出来過ぎた風景なので、人工海浜かと思ったが、「日本の白砂青松100選」に選ばれているところを見ると、天然のものなのだろう。少し不便なところだが、Myお気に入りスポットがひとつ増えた。
再び加古川西岸を北上し、今度は高砂大橋を渡って、高砂の市街地へ向かう。かなり高い橋なので、風が強く、少々オッカナイが、両側に歩道があるという贅沢な構造になっている。
高砂大橋の上から見た高砂市内。江戸初期の姫路城主、池田輝政が開削したと言われる堀川がよくわかる。
かつて高砂城だったと伝えられる高砂神社の山門。池田輝政が、姫路城を補佐し、海岸部の守備を固めるために、この地の古い城跡に大規模な城郭を築いたそうだが、その後の一国一城令により破却されてしまった。
境内に「池田輝政公高砂城趾」という石碑がある。当然その横の銅像は池田輝政だと思い、写真を撮ったが、戦国時代を戦い抜いた大大名という雰囲気がない。帰宅して調べてみると、なんとこれは工楽松右衛門という、厚手の帆布を発明し、北方航路開拓に貢献した人物の銅像だと判明した。石碑との関係が紛らわしいぞ。因みに新巻鮭も松右衛門の考案という。
高砂の市街地の堀川沿いに残る三連の倉。明治時代のものだそうだ。
高砂市の下水マンホール。松と海だ。松は、謡曲「高砂」に出てくる尾上の松のように思えるが、尾上神社は、加古川市になる。
高砂市のキャラクター、ぼっくりくん。おそらく海浜や高砂神社の松に由来しているんだろう。
山陽電車の高砂駅も地下道も、やはり近隣の高校生の手により、ペイントされていた。殺風景な地下道をこのような形で楽しいものに仕上げることには、とても好感が持てる。
12月にしては結構な寒さのため、厳しいウォーキングになったが、昨日の雨と霧の中のゴルフ(退院後3ラウンド目)の疲れもあまりなく、15km歩けたことには満足している。
まとめ
歩行距離 8.8km
所要時間 129分 (2時間09分)
歩数 13400歩 (しっかり 11200歩)
本日の合計
歩行距離 15.1km
所要時間 212分 (3時間32分)
歩数 21400歩 (しっかり 14800歩)