比叡山スタンプラリー2013 (2)

2013年10月12日(土) ②


スタンプラリーは終了したが、滋賀県側から比叡山を越えて京都側に下りるというハイキングとしては、未だ道半ば。しかし、時間も体力もあるので、久しぶりに根本中堂に入って、中を見せていただく。内部は撮影禁止なのが残念だった。




少し足を延ばして、南光坊天海の住坊址を訪問。江戸幕府のブレーン・黒幕として有名だが、足利将軍の隠し子だとか、明智光秀と同一人物だとか、逸話や風説がテンコ盛りの人物だ。もっとも108歳くらいまで生きたというのは本当のようで、晩年は比叡山に暮らしたらしい。



天台宗を代表する言葉「一隅を照らす」。照「千」一隅なのか照「于」一隅なのかで意味が変わってくるらしい。かつては、各人が置かれた場所で精一杯努力して社会の一隅を照らす、という感じの解釈だったのだが、最近は、各人が頑張って千里(社会)に光を届ける存在になる、といった解釈が有力のようだ。どちらにしても、心の隅に刻んでおきたい言葉だ。



延暦寺の根本中堂のあたりが、比叡山の山頂と考えている人が多いが、山頂エリアまでは、根本中堂からまだ30分ほど歩かなければならない。延暦寺からバスやケーブルで帰るという誘惑を断ち切り、石塔や石仏が並ぶ道を進む。さあ、京都に向けて下山だ。



もう随分前に廃止された比叡山人工スキー場の跡。しかし未だにリフトなどの機材は残っている。



貸スキーの建物も残っている。中を見ると、まだまだ使えそうな、スキー板、スキー靴、スノーボードなどが並んでいる。



叡山ケーブルの乗り場にやってきた。多くの人が、八瀬からここまでケーブルで、さらにロープウェイに乗り換えて山頂を目指すが、今日は緊急設備点検のため、どちらも休止中。行楽シーズンの3連休に突然の点検とは、何があったのだろう・・・。JR北海道での不祥事との関係を勘ぐってしまう。



どこに行っても、このような道があると喜んで写真を撮ってしまう。真っ直ぐで凛とした高木は、歩くものの背筋もピンと伸ばしてくれるような気がする。しかし、鬱蒼とした林の中では日射しが弱く、時間にあまり余裕が無いことを思い知らされる。山の日暮れは早い。



もともと、瓜生山から北白川に抜ける道で下山する予定だったが、日暮れが近づいてきたため、雲母坂(きらら坂)を経て修学院に下りることにする。距離は短いが、とんでもない悪路であることは、以前ここから登山した際に思い知らされている。名前のキラキラ感や、勅使坂という別名に誤魔化されてはいけないのだ。駕籠や牛車が通れるような道とは程遠い。



とにかく急坂なうえに、狭い。長い歴史の中で度重なる豪雨のたびに、道が抉れたのだろうか。道というより、涸れた川を歩いているような気分にさえなる。体一つがぎりぎりのところも多く、到底すれ違うことさえできない。腰や足首への負担は、山を登るより遥かに大きい。



道の両側は切り立った崖のようになっている。いかな大軍が攻め寄せようと、両側の崖に、弓兵や投石兵を配置しておけば、守り切れそうな気がする。もっとも、千種忠顕なんかも、そのつもりだったのだろうが、負けてしまった。足利軍は、どうやって攻め上がったのだろう・・・。



予定とは全く異なるルートになったが、準備不足にも拘わらず、夕暮れまでに、無事下山することができた。修学院離宮に近い、静寂で明媚な音羽川は、大好きなポイントだ。京福電鉄の修学院駅から帰宅。




おまけ


何年も履いていた、お気に入りのトレッキングシューズの靴底が擦り減って酷いことになった。トレッキングシューズは併せて4足もあるのだけれど、ここ一番には、この黄色のローカット。4年前に滑落事故を起こした際にも履いていた。その際に来ていた服もリュックも血まみれになって処分したが、このシューズだけは今も残っている。戦友のような存在だ。



先日、これは、難しいなぁ・・・、と、渋る靴屋さんを説得し、靴底を修理してもらった。ギザギザも無い、靴底材を無理やりくっつけただけのようで、少々不安ではあったが、本日使用したところ、何の問題もなく完歩できた。まだまだ長い付き合いになりそうだ。



まとめ


歩行距離   20~22kmくらい?
所要時間   524分 (8時間44分) 
歩数      38400歩 (しっかり 20800歩)