2015年6月21日(日)
仕事を何とか午前中で切り上げて、堺で開催中の「知っトク行っトクスタンプラリー」に出掛ける。スタンプポイントの多くは、堺のスタンプラリーで頻繁に訪問するところだが、特徴的なのは、サッカーナショナルトレーニングセンターJ-GREEN堺でしか台紙を配布していないということ。
地下鉄住之江公園駅から、南海バスに乗って約15分。Jグリーン堺のクラブハウス前に到着。驚いたことに、えらく人が多い。JFL、女子サッカー、少年サッカー、さらにはフットサル、ラグビーまで、20面ほどはあろうかと思われるフィールドのほとんどが使用されている。
クラブハウスには、サインの寄せ書きがされたユニフォームや、選手の足型タイル、さらにサッカーグッズのショップもあったりして、サッカーファン垂涎のお宝が並んでいる。
圧倒される広さだが、広すぎて、1枚の写真では到底説明しきれない。大賑わいしていることは、実に素晴らしいことだが、福島原発の影響でJヴィレッジが使用できなくなってしまったことも、無関係ではないはずだ。
オープンして5年目という新しい施設なのに、敷地境界にある入口は、古いレンガ積みの門になっている。想像するに、かつてのガス工場の門がそのまま使われているのではなかろうか。
大和川の堤防を東にズンズン歩く。入道雲の様子はすっかり夏の景色だ。以前、奈良の三郷から大和川沿いに大阪湾の河口まで歩いたのは、とても寒い日だった。ひどく疲れたものだが、同じコースを夏に歩けば、さらに激しく疲れただろう。
阪神高速の湾岸線と、松原線を連結する大和川線の工事は順調に進んでいるようだ。上手く写真に撮れないが、湾岸線から東進する大和川線が、地下トンネルに潜るところが確認できた。
南海本線の七道駅に向かう途中で、コンペイトウミュージアムなるものを発見。コンペイトウを作る大きな釜があって、色とりどりのコンペイトウが販売されている。知る人ぞ知る、ちょっとした堺の名所になっているようだ。
七道駅前に、河口慧海の銅像がある。今まで気付かなかったが、最近できたものかもしれない。明治時代、仏教の聖典を求めて、日本人として初めてヒマラヤを越えてチベットを訪れた(悪く言えば密入国なのかもしれないが・・・)、チベット学の祖ともいえる人だ。
Jグリーンから歩くこと1時間以上。ようやく最初のスタンプポイントに到着。この付近で生まれた河口慧海が通った清学院。入館料100円。寺子屋として使用されていた様子が再現されている。
鉄砲鍛冶屋敷跡。今も住居として使用中のようで非開放。中の様子を窺い知ることはできない。
次のスタンプは、チンチン電車が走る大通りに面した堺伝統産業会館。ここは、別途開催中の関西5私鉄が共催している歴史街道BINGOdeラリーのスタンプポイントにもなっている。昨年苦労してようやく1ビンゴ達成したが、スタンプポイントが広域に散らばっているため、徒歩でスタンプを集めるのは至難だ。
阪堺電車。いつ見ても、ほのぼのした気持ちになる。
殿馬場中学の前に、堺奉行所跡、旧堺市役所跡の石碑と説明板がある。このことは以前より知っているのだが、未だに判らないのは、明治初期にあった堺県の県庁の所在地。一時は奈良県全域をも包含する大県だったはずだが、堺県の名を目にすることは少ない。
堺市役所。ここの21階展望台が、スタンプポイントになっている。堺というところは、何かにつけてスタンプラリーを開催してくれるところだけど、スタンプポイントは、ほとんどいつも同じ。この市役所展望台も少なくとも10回は訪問しているはずだ。
仁徳陵を上から見れる、という触れ込みだが、周囲の緑地や他の御陵との境も判らず、長い緑地にしか見えない。それよりも、市役所から近く、独立している反正陵の方が前方後円墳のイメージが見て取れるように思っていたのだが、樹木が茂りすぎて古墳の形はやはりピンとこない。
続いて、堺東の観光案内所でスタンプをゲット。驚いたことに、南蛮衣装を着ての記念撮影ができるようになっている。う~ん、それほど利用する人が多いとは思えないが、たまのイベントの際に使用する衣装を有効活用していると考えるならば、納得できる。
南海高野線の堺東から、南海本線の堺駅方面に向かう。堺のメインストリート、フェニックス通りを歩道橋で渡る。
堺県と並んで、謎めいているのが、堺幕府。京にもおれず、近江に落ち延びていた室町12代将軍、足利義晴に対して、権勢を誇った三好一族に擁立されていたのが、弟の足利義冬。実態として、義冬の本拠地だった堺が政権を握っていたと聞く。フェニックス通近くの願本寺が、堺幕府があった場所と伝わるが、境内には当時の名残を感じさせるものは何も無い。
宿院頓宮。住吉大社の御旅所だったところだ。チンチン電車とフェニックス通が交わる、堺の中心ともいえる宿院という地名の由来はこの神社にあるはずなんだけど、実は初めて境内に入った。
宿院の傍にある、けし餅屋さん。誰にでもお薦めできる堺の名物だ。いつの間にか新大阪駅の土産物店でも販売されていた。地味な色合いのお菓子だが、控えめな甘さと、芥子の食感が気に入っている。
今春オープンした「さかい利晶の杜」。千利休と与謝野晶子という堺出身の2人を組合せたミュージアム。スタンプは珍しく有料ゾーン外にあったので、内部はあらためて時間のある時に見学したいと思うが、この組合せはどうだろうか。時代も違うし、ファン層も違わないだろうか。強いて共通点をあげれば、頑固なまでの反骨精神ということだろうか。以前、堺市立文化館では、アルフォンス・ミュシャと与謝野晶子を組合せるという荒業で、来訪者を困惑させていたものだが、同じ轍を踏むことにならないか心配だ。
かつて環濠都市として繁栄した堺だが、戦後、その濠は高速道路建設のために埋め立てられたり、残る濠も悪臭漂う堺の恥部であった。近年、濠の周りの整備が進み、水辺には遊歩道なども設置された。年数は掛かったが、ようやく落ち着いた水辺を取り戻した。遊歩道の脇には、堺大空襲のモニュメントがある。随分昔のことだが、今も供養の花束が供えられていた。
集めたスタンプは5つ。様々なスタイルのザビエコくんのデザインだが、全部集めたい、とまでは思わせない。5つ集めれば応募可能なので、入館料200円の山口家住宅と堺市博物館はスルーした。もっとも、賞品はサッカーボールとかユニフォーム。当たっても持て余すなぁ・・・。
関西5私鉄歴史街道BINGOdeラリー。伝統産業会館と利晶の杜の2ヶ所でスタンプはゲットしたものの、1列揃えるメドがつかない。
事前に距離を調べずに歩き始めたが、結局10kmほどは歩いたようだ。歩数は15000歩、所用時間は3時間弱。予想以上に疲れた足を引きずるように、南海堺駅から帰宅する。