伊川谷散策(学研都市~太山寺~寺谷)

2020年5月29日


神戸市西区伊川谷の太山寺を訪問する。誤解も多いだろうが、須磨区や垂水区にも匹敵する面積を有する伊川谷町(旧伊川谷村)は、さほど海岸線から遠くない割には、良く言えば自然豊か、悪く言えばド田舎との印象が強い。可能な限り歩き回ってみよう。



太山寺の最寄り駅、地下鉄学園都市駅からスタート。この辺りも伊川谷村だったはずだが、ニュータウン開発で学園西町といった名前が付けられ、他の地域とは差別化されている。駅から住宅街をしばらく進むとダイエー創業者の中内功が設立した流通科学大学がある。



しかし間もなく街は途切れ、大都市神戸とは思えないような長閑な田園が広がってくる。すぐ近くには山陽新幹線も走っている訳だから、新神戸と西明石を結ぶ直線の上にほぼ位置しているはずだ。もっとも地下を走っているためその姿は見えない…。



駅から30分くらい歩いて、ようやく創建716年と伝わる天台宗の古刹、太山寺の仁王門が現れた。



仁王門から本堂までの長い参道に両脇には、太山寺の塔頭が並んでいる。そのいくつかは茅葺だ。



太山寺の本堂。神戸市内では唯一の国宝に指定されている建築物だ。鎌倉時代の建築だというが、簡素でありながら力強い木組みは、いかにも武士の時代らしい建築様式に感じる。



広い境内は伊川をも取り込んでいる。深い緑に囲まれた伊川の渓流を渡る朱塗りの太鼓橋を渡ると奥の院がある。



境内には三重塔が聳えている。江戸時代中期のものだそうだが、三層の屋根の大きさがほぼ同じという構造になっているため、重厚感が感じられる。



伊川に沿った旧道を歩いていくと、切り立った崖の花こう岩に彫られた摩崖仏がある。兵庫県下では最も古い摩崖仏だそうで、弘安年間のものだ。弘安といえば、2度目の元寇があった時だ。異国からの侵略に対する不安や恐怖と、摩崖仏建造は無縁ではないかもしれない。



旧道を越えて阪神高速北神戸線が並走する県道に出る。新しい道が縦横に走っているけれど、それは大きな集落などのない伊川谷が道路建設の障害が少なかったからだろう。



新太山寺トンネル。車がビュンビュン走るガードレールもないトンネルの歩道を歩くのはあまり気持ちのいいものではないけれど、雨の日はもちろん、暑い日や寒い日には気温が安定したトンネル内でホッと一息つけることも確かだ。



新太山寺トンネルを抜けたあたりから、北の山地に向かって歩いていく。伊川谷での散策の参考になりそうなものを探した結果、神戸市が50年近くも前に整備した「太陽と緑の道」くらいしか見当たらなかった。頼りない地図しかないけれど、何も無いよりはマシだ。



神戸市のHPからダウンロードできる地図は、これ以上簡略化しようもないもの。10㎞ほどの道程における目印は数か所しかない。そもそも、このコースの見どころとか特徴とかの記載もなく、地図を掲載しているだけ。眺望の有無も、山道なのか里道なのかも判断できない。



幸いなことに、それほど荒れた道ではないようだ。地図では「ゴルフ場」とだけ書かれているけど、2つ並んだゴルフ場の裏山を歩いていく道のようだ。ゴルフ場は全く見えないのだけど、道にはミスショットされたゴルフボールが20~30個は転がっている。



右も左も眺望というものは皆無に等しい。木々に覆われて空さえもあまり見えない。大まかな地形も掴めないままに、急な登りと下りを何度も繰り返す。自然豊かな道ではあるけれど、ちっとも楽しくない…。



ところどころ、道のメンテがされておらず、倒木で道が半ば塞がれていたりする。障害物競争をしているようだ。



道中の数少ないチェックポイント、「高畑城跡」の案内板が現れた。戦国時代に伊川谷を任された赤松氏傘下の明石氏の居城だったらしいが、草木は茂り、説明板にも図面がないため、縄張りのイメージさえ沸かない。



第二チェックポイントの鉄塔。久しぶりに空を見上げることができた。ここまでずっと鬱蒼とした森の中で空さえ見えない道が続いていたのだ。



太陽と緑の道のコース26とコース27の分岐点。どちらも特段の見どころは無さそうだが、より集落に早く出れそうな寺谷に向かう道を選ぶ。これほど人里離れた道が続くとは思わず、手持ちの水が底を着きかけているのだ。



アップダウンは無いものの、再び左右も上も樹木に覆われた眺望のない地道が延々と続く。退屈だ…。



長々と歩いて、ようやく眺望が広がってきた。遠くに垂水の街、さらには瀬戸内海も確認することができる。



森を抜け、ついに寺谷の集落に出てくることができた。まるで長い緑のトンネルを歩いてきたような気分だ。



寺谷には、いかにも古めかしい太陽と緑の道の木製の看板が残っている。文字も地図も読めないところが多い。おそらく太陽と緑の道を整備した当時のものだろう。とするならば、築50年ほどの看板ということになる。



本来ここから神戸電鉄の木津駅まで歩く予定だったけど、体力的にはともかく、精神的に疲れてしまった。折よく間もなく西神中央駅に向かうバスが到着するタイミングでもあったので、迷うことなくバスに乗り込んで帰路につく。



本日の歩行軌跡。歩行距離は約11㎞。おそらく50年ほどは手が加えられていない里山にどっぷり浸かった伊川谷ウォーキングだった。道は良くとも、途中に見どころのないウォーキングは距離以上に疲れる…。




落葉山ミニ登山(有馬)

2020年5月25日 ②


甲南山手から六甲山を越えて有馬温泉まで歩いてきたが、少し体力も時間も残っているので、有馬温泉の裏山とも言える落葉山(おちばやま)に登ってみることにする。有馬温泉と六甲山の間に位置する有馬三山のひとつだ。



街中に近いメイン登山口とは別に、六甲有馬ロープウェイ駅の近くも登山口があることを六甲山からのトレッキング中に発見した。ここから登れば同じ軽く落葉山を巡るミニ登山が楽しめそうだ。



登山口には「太陽と緑の道」の看板があったけど、これが頼りにならない。昭和47年に整備された後もメンテされているということだが、看板類は朽ち果てているし、神戸市のHPに掲載されている地図も超シンプルで使い物にならない。



結局間違った道を進んでしまったようだ。道とは言えない急斜面をよじ登っていくことになる。落葉山の名のとおり、春落ち葉がうず高く積もる斜面を何度も足を滑らせながら進む。



さらには痩せ尾根の岩場だ。右にも左にも余裕はない。頼りがいのない細い木の枝や幹にしがみつきながら進んでいく。難路を無理やり登っていくと、下りることができず、もはや進むしかないという最悪のパターンに陥ってきたぞ。



道無き道を進んできたが、ようやくメインのハイキング道にたどり着くことができた。どうやら落葉山と灰形山(これも有馬三山のひとつ)の中間地点に出たようだ。



本来のハイキング道に出ると、もはやそれほどの難路ではなくなったのだけど、六甲山を越えてきたうえに、ここまで危険地帯を攀じ登ってきたダメージは大きく、もはや帰りたい一心だ。



道が緑のトンネルのようになっている。なんとこのトンネルが落葉山の頂上なのだ。



当然のことながら眺望は全く無い。緑のトンネルの傍らに頂上を示す小さな石標が立っているだけだ。



頂上近くには妙見寺という日蓮宗の寺院が建っている。



日蓮宗のお寺のはずなんだけど、立派な鳥居もある。神仏習合時代の名残だろうか。



狛犬の代わりに、狛「馬」が立つ。有馬という地名は馬とは関係なく、元は「有間」だったと聞く。競馬の有馬記念が有馬温泉との関わりを想起させるけど、元久留米藩主の末裔の有馬伯爵が創設したものだ。もっとも有馬氏は秀吉に移封される前はこの地の豪族だった訳だから、有馬と馬が関係無いとも言い切れないかもしれない。



落葉山へのメインの登山道はこの妙見寺への立派な参道となる。登ってきた道とは雲泥の差だ。



無事温泉街の真ん中に下りてくることができた。おそらくここから登っていけば、有馬三山を巡る道はさほどの難路ではなさそうだ。いつか三山を制覇してみたい。



一部営業中の店舗やホテルもあるけれど、多くは休業中。温泉街はひっそりと静まり返っている。



温泉むすめに見送られて、神戸電鉄有馬温泉駅から帰路につく。



歩行軌跡。落葉山に登る途中でスタート地点に向かて一ヶ所GPS電波の飛びが生じている。







六甲山魚屋道(甲南山手~有馬温泉)

2020年5月25日 ①


芦屋から六甲を越えて有馬温泉に向かう。六甲銀座とも呼ばれる高座の滝経由の道を避けて、甲南山手からの魚屋道(ととやみち)を歩くことにしよう。芦屋の登山口に長らく貼られていた登山自粛の注意書も無くなったけど、可能な限り密を避けたいものだ。



魚屋道はその名の通り、海産物を有馬まで運んだ道だそうだ。もっとも時の幕府は西宮から宝塚を経由する道を行くことを強いたため(安全のためなのか、街道への利益誘導のためなのかは知らないけど…)魚屋道は長らく秘密の抜け道のような存在だったらしい。



決してマイナーな登山道ではないのに、なぜか誰とも出会わない。まだ登山を自粛している人が多いのかもしれない。登りはそこそこキツいけど日射も眺望もあって気持ちのいい登山道だ。もっともこの季節に仕方ないことだけど、毛虫が多いことには往生する。



総じて道は良く整備されていて、分岐点にはわかりやすい標識もある。迷いようの無い道のようにも思えるけど、油断は禁物だ。東六甲山系は数多くの道迷い事故が発生することで有名だ。



イノシシの目撃情報が多い風吹岩方面へと向かう。以前もこの付近の登山道でイノシシと出会い慌てて道を譲ったけど、このような切り立った崖に挟まれた道でイノシシと出くわしたくないものだ。



岩がゴロゴロと転がっている。風吹岩までもう少しのはずだ。子供たちがはしゃぐ声も聞こえる。



風吹岩に到着。ここで芦屋から高座の滝やロックガーデンを経由して登ってくる六甲銀座ルートと合流する。幸い今日はイノシシは見当たらない。



イノシシはいないんだけど、猫は6匹も確認できた。餌をどうしているのか不思議でたまらない。風吹岩を縄張りにしているようで、大胆にもイノシシに立ち向かう動画も見たことがある。しかし人間に対しては全く無防備だ。



風吹岩での小休憩のあと、雨ヶ峠に向かって登っていく。



何度か涼し気な渓流を渡る。風吹岩の猫たちも飲み水には困っていないだろう。



本庄橋跡。今では砂防ダムがあるあたりに石橋が架かっていたそうだ。今では登山者のために簡易な(でもしっかりとした)木橋が架けられている。



本庄橋跡から、急な石段の道が続く。六甲山頂に向けての終盤で最もしんどいところだ。



いつものことだけど、疲れてくるとかつての滑落事故の古傷のある右脚が上がりにくくなり体形が歪んでくる。薄紅色のヤマツツジ?に応援されるように、石段をひとつずつ踏みしめるように登る。



六甲山頂にほど近い一軒茶屋に到着。いつもはここでカレーライスを食べるのだけど、コロナの影響で閉店している…。幸い自販機は稼働していたので、冷えた水でリフレッシュができた。



六甲山頂の近くには自衛隊のものと思われる電波塔があるのだけど、今日は電波塔の前に迷彩を施したトラックが停車していた。塗装ではなく、幌におそらく自然の蔓草を貼り付けたカモフラージュだ。もっと近寄って触ってみたかったけど、怒られそうだ…。



六甲山頂。六甲山を訪問する人は多いけど、山頂まで来る人はごく少ないと思う。な~んにも無いんだから。山慣れた人は最高峰に立ち寄らずに有馬に抜け、マイカーやケーブルで訪れる人は、眺望が良く施設が充実したガーデンテラスや牧場で遊んで帰る。



山頂付近から阪神間方面の眺望。霞んでいてイマイチだけど、大阪湾岸の埋立地の状況や大阪市内の高層ビルが確認できる。



再び一軒茶屋に戻り、魚屋道で有馬温泉方面に向かって歩いていく。ここから先はダラダラとした下りになるはずだ。



道は総じて平坦で、歩きやすい。もっともここまでの疲労が蓄積して、さほどのスピードで歩けるものでもない。



途中台風被害で道が崩落していたりして、ちょっと険しい迂回路を歩かねばならない箇所があったりもするけれど、大した難路でもない。



日本最古のトンネル跡。明治7年に開通し、湯治客を運ぶ駕籠や荷馬が石垣のトンネルをくぐっていたと説明板には書かれているのだけど、当時を彷彿とさせる名残は全く見つけることができない。崩落で完全に埋まってしまったのだろうか。



トンネルは無くとも、さほどの急坂を歩くことなく有馬温泉までやってきた。六甲有馬ロープウェイは時間を短縮しつつも営業中のはずだけど、全く人の気配が感じられない。



本日の歩行軌跡。適度に涼しく、山道をおよそ14㎞歩いた割には、ダメージも少ない。



何度も六甲山には登ったけれど、まだ未踏破の道が多い。YAMAPに掲載されているメジャーな道をひとつひとつ制覇していきたいものだ。


平面地図ではイメージが沸きにくい登山経路をYAMAPの3D機能を使っての立体化を試みるが、たかだか900mの山歩きでは、さほどの迫力ある画像にはならない。



幸い体力も時間も残っているので、有馬温泉の近くの落葉山にチョコっと登ってみたが、その様子は別にアップする。(②へ)