半国山(亀岡市)

 2022年11月6日


亀岡市の北西にある半国山に出掛ける。朝に出発して山に登るのは随分と久しぶりのこと。午後からの短い山歩きでも結構バテることが続いているだけに、難易度低めの低山を選んだのだけれど、それでもちょっと不安だ。



登山口周辺は朝霧が濃く立ち籠めている。運が良ければ山頂から雲海が楽しめるとは聞いていたけれど、こんな霧のなか、山に登って行けるのだろうか。



赤熊から登って宮川に下る周回ルートで半国山を目指す。現在の体力に見合いそうな山、というだけで選んだのだけれど、下調べは十分とはいえないまま、霧で山の姿さえ見通せない赤熊登山口へと向かう。



いよいよ登山口。獣害対策フェンスを開けて山に入る。最近何故か鹿にも猪にも出会うことが無くなった。荒い息遣いに動物たちが警戒しているのか、あるいはこちらが周囲を観察する余裕が無くなっているのか…。でも地名が赤熊だけに熊鈴の装着をしっかりと確認する。



しばらく進むと、「ようこそ半国山」の手作りゲートがある。地域の方々により整備された登山道のようだけれど、「豪雨のため本来の登山道は酷く荒れている」との注意書があり、進むべき道には赤テープが付けられているようだ。



赤いテープに導かれながら音羽川という渓流に沿って登っていく。山の中に入るといつの間にか霧は消えている。



石がゴロゴロとしている音羽渓谷とも呼ばれる道は、歩きやすいとはいえないけれど、さほどの勾配でもなく、意外に余裕をもって進んで行ける。



登山口から40分ほど登ったところにある音羽の滝。清水寺の音羽の滝は三筋だけれど、ここは二筋のようだ。山科にも確か音羽の滝があったはずだ。それにしても、なんとなく雰囲気は判るような気はするんだけれど「音羽」とはどういう意味なのだろうか。



気温が程よく低いからだろうか。ずっと登り道が続くのだけれど、ほとんど息切れもしないし、汗もかかず水も飲みたいとは思わない。マイペースとはいえ、これだけ快調に山に登るのは久しぶりのことのように思える。



立木に括り付けられた標識は、この後、急な勾配が現れることを予言しているかのようだ。ここまで快調に登ってきたからといって、この先も快調に進めるとは限らない。



そのうちに難所が現れるに違いないと用心して進むが、勾配はほぼ一定。勾配の変化やアップダウンが無いため、あまり疲れず歩けているのかもしれない。もっとも道は岩だらけが続くとはいえ、抉れていたり、水溜まりがあったり、細くなったり、と色々と変化する。



眺望の無い道が続く。GPSや高度計が無ければ、どこまで登ってきたのかさっぱり判らない。しかし登山口から1時間半ほど歩き続けて、ようやく前方から光が刺してきた。稜線が近づいてきたようだ。



坂を登りきったところは半国山と烏帽子岳に挟まれた鞍部で「牛つなぎ広場」と名付けられている。この山の木材の運搬には牛を利用していたようだ。ということは、ここまで登ってきた道は牛でも歩けるが、この後は牛では進めない急坂になるということだろうか。



体力的にも余裕があるので、予定にはなかったけれど烏帽子岳(659m)に立ち寄ることにする。予想どおり厳しめの坂を登ってきたけれど、山頂標識が見当たらない。牛つなぎ広場に案内標識はあったのになぁ…。まあ、間違いなく山頂はこの辺りだ。



烏帽子山から再び牛つなぎ広場に下り、あらためて半国山の山頂を目指す。こちらもやはりそこそこの坂だ。牛は登坂能力に優れていると言われるけれど、重い荷車を挽いての登坂には限界があるのだろう。牛の登坂能力を身をもって確かめることができたような気がする。



登山口から2時間10分で半国山(774m)に登頂。予定外の烏帽子山を経由してきたけれどタイムも上出来で疲れもあまりない。付近の岩を積み上げたようなユニークな形の山頂標識がある。



おお、運開が少し残っている。ちょうど亀岡の市街地あたりじゃないだろうか。まだ午前10時。こんなに早い時間に山頂からの眺望を楽しむのは久しぶりのことだ。すっごく気持ちいい。やはり登山は早起きして出掛けるに限る。



山頂で地元のハイカーと20分ほど立ち話を楽しみ下山する。ふと気づけば、登山開始から一度も腰を下ろしていないし、水さえ飲んでいない。無意味な目標だとは思いつつも、このまま、「座らない」、「食べない」、「飲まない」のまま下山してみよう。



林に囲まれた宮川へと向かう下山道は、眺望はないものの静かで緩やかな道が続く。既に登頂を済ませ、のんびりと下山しているせいか、時折すれ違うハイカーに対して詰まらない優越感を持ってしまう。いつもは遅い出発で、日暮れに追われるように歩いているのに…。



しかし眺望のない下り道が延々と続き、気分はダレてくる。体力的な疲れもあるのかもしれない。歩くのが徐々に鬱陶しくなってきた。



神尾山城跡まで下ってきた。応仁の乱以降も管領細川家の内紛など、果てしなく戦乱が続いた室町時代末期に獅子奮迅の如く戦った柳本賢治の居城だ。いくつもの曲輪や堀切、石塁などが今も保存されている。



神尾山城から少し下り、鎌倉時代の創建と伝わる金輪寺の境内を通過する。境内には樅や楓の古木が立ち並んでいる。



金輪寺まで来れば下山したも同然、と思っていたけれど山道はさらに続く。疲れた足腰に石段は響く…。登っていたときより、最後の下りの方が間違いなくスローペースになってしまった。



座らない・食べない・飲まないを頑なに守って、休憩込みで4時間40分かけて登山終了。距離9.2㎞、獲得標高690m。久しぶりに登山らしい登山だったけれど、意外にダメージは小さい。