2022年11月26日
徳川道とは、幕末に開港された神戸に居留する外国人と西国諸藩との間の軋轢を避けるために、西国街道を付け替えるため建設されたものだけれど、完成直後に幕府崩壊という運命の悪戯に翻弄された幻の街道だ。8割程度の道は何度にも分けて歩いているが、あらためて当時の道筋のままに残る六甲山中の徳川道を歩き通してみたい。
明石から住吉まで繋がる全長33㎞の徳川道だけれど、六甲山中や藍那地区以外は宅地開発などにより、道筋も変わり、何の面白みも無さそうだ。そもそも一日で全踏破する体力もないため森林植物園~阪急六甲を歩きたい。まずは神戸電鉄の谷上駅から山田道を進む。
山田道は渓流に沿った、比較的勾配の緩やかな道。朝方まで雨模様だったせいか、路面が緩んでいるのが少々気になるけれど、増水はしていないようだ。谷上駅には森林植物園まで50分と書かれていた。そりゃムリやろ、と思いつつも、できるだけせっせと歩いてみる。
何度も渡渉を繰り返しながら、少しずつ高度をあげていく。橋桁が随分と高く見えるけれど、増水時にはこの橋桁の高さあたりまで水が来るということだろう。この程度の簡素な木橋ならいとも簡単に水に押し流されてしまうはずだ。
せっせと歩いてはきたけれど、渓流を離れ、森林植物園に近づくにつれ、勾配は少しずつ厳しくなってくる。もうこの辺りで50分で到着という目標は諦めて、のんびり歩きにギアチェンジ。山歩き序盤で疲れきる訳にはいかない。
折しも紅葉のイベントが開催中の森林植物園到着はスタート後ちょうど1時間後。まあ今の体力ならこんなもんだ。50分にチャレンジなんて、年寄の冷や水というものだった。今月65歳の誕生日を迎え、ついに無料入場できる歳になってしまった。
森林植物園は既に晩秋の雰囲気。高く聳える黄金色のメタセコイアに囲まれて、早くもクリスマスに向けたデコレーションが見られる。
おお見事な紅葉だ。イロハモミジをはじめ、ケヤキ、ドウダンツツジ、イチョウ、モミジバフウなど、秋に装いを変える樹々が道を覆うばかりに枝を拡げて彩りを競い合っている。
樹々の根元にはスポットライトが設置されている。今月中は開園時間を延長してライトアップされているらしい。
園内にあるシアトル広場。いずれも広く海に面した坂が多くて細長い港町である神戸とシアトルって、実にお似合いの姉妹都市だ。シアトルにも神戸テラスという日本庭園があったことを思い出す。イチローが両都市の球団で活躍したのも単なる偶然ではないかもしれない。
今では森林植物園に取り込まれた徳川道に沿って、東門へと進む。園内のどこも紅葉が美しく(少しピークは過ぎているようにも思えるけれど)、ハイキングの途中であることを忘れて写真ばかりを撮ってしまう。
う~ん、これは何という紅葉だったのだろう。ひときわ紅色感が強い。いろいろな色の紅葉が重なっているのも美しいが、一色に染まっているのもまた良い。
園内中央にある長谷池。水辺の紅葉もまた美しい。このまま園内を見て回って一日を終えても良いかとさえ思ったけれど、森林植物園を後にして徳川道を進んで行くことにする。
東口料金所を越え園外に延びる渓流沿いの道も、美しい紅葉に彩られている。
森林植物園を出て先日歩いたばかりのトゥエンティクロスに出てきた。比較的平坦な道をのんびり歩いてきたせいか、少し肌寒く感じ始める。
杉林のなかの道。時代劇にも登場しそうなのんびりとした雰囲気だけれど、こんな道が長く続かないことは判っている。どうしてこんな山中に街道を付け替えたのかとも思うが、主要街道でも駕籠や荷車の通行などできないところが多かったという。
桜谷道との合流点、桜谷出合で生田川上流を渡渉する。本来徳川道は渡渉部には橋を架けたり、飛石渡し(平らな面を上にして縦横2尺程度の大石を川の中に数個設置)を施したとのことだけど、そのような形跡は認められない。長い年月の間に流されてしまったのだろうか。
杣谷峠に向けて登り道が続く。これくらいの勾配になるととても荷車は惹けないよなぁ…、と江戸時代を空想して大名行列のことを心配している場合ではない。谷上駅から休憩なしで2時間40分ほど休憩することなく歩いてきたけれど、急に疲れが噴き出してきた。
穂高湖の横を抜けて奥摩耶ドライブウェイまで登ってきたところ、見慣れない小さな車が何度も道を行き交っている。掬星台と六甲山牧場の間を低速・小型モビリティの運転実験が行われているところだ。時速20㎞未満の電動車を無料で走っているようだ。
徳川道歩きの最後は杣谷道(カスケードバレー)を下るだけ。勾配の急なところも多く、登るにはしんどい道だけれど、下りは大したこともなかろうと呑気に歩き始める。
ところが朝の雨のせいでの泥濘と落葉のせいで滑るところが多いのだ。杣谷峠で「気を付けて」と声を掛けられた意味がようやく分かった。
滝の横の濡れた岩を下る時など、足元は滑るし、掴むところもないし、滑ったらドボンだ。そもそも下りはただでも苦手なのだ。格好など気にしていられない。安全第一だ。
思った以上に何倍も杣谷道に手こずりながら、ようやく神戸の町が見下ろせるところまで下ってきた。テレビでも見たことがあるけれど、昔の街道って今の登山道に相当する大変な道だとあらためて理解できた気がする。
長峰坂の激坂を下り、JR六甲道までのバスに乗る。最近神戸市のバス停には100円稼ぐのに必要な費用(営業指数)が掲載されている。乗客が多そうなこの路線でさえ114だという。根本的な対策が必要と思う一方、便数削減を予告されているような気もして複雑な気分だ。
歩行距離11㎞、獲得標高600m、所要時間5時間ちょっと。登りより下りの方が疲れた…。どうしてこんなトコに街道を付け替えようとしたのか、もう少しマシな道もあったように思えてならない。
この徳川道建設を幕府から請け負ったのが石井村(現在の神戸市兵庫区石井町)の大庄屋・谷勘兵衛という大庄屋で、納期となる神戸開港の直前までに竣工を成し遂げたというのに、工事代金はすべて幕府御用金として長州藩兵に強奪されたという。つくづく残念な道だ。