2023年4月28日
永年の夢だった徳島県の剣山に登る日がやってきた。まずは見ノ越の登山口から剣神社までの長い階段に歓迎されるのだけれど、山開きが4月29日とあるではないか。って明日じゃん…。山開き前に入山すると天狗に襲われるなんて聞いたことがあるけれど、大丈夫かぁ?
劒神社で安全登山の祈願をして、いよいよ登山道へと入る。気温は9度。レインウェアを羽織って進む。お気に入りのミレーのレインウェアだけれど、もっぱら軽い防寒着として使っている。湧水が多いのだろうか。雨は降っていなかったはずなのに、路面は泥濘んでいる。
リフトの下に設置されたトンネルを潜る。リフト客と登山客の間の無用のトラブルを避けるためのものだろう。リフトを使えば中腹の西島まで15分ほどで登れるらしいけれど、歩いても50分ほどで行けるはずだ。
山開き前だけれど、随分と多くのハイカーが訪れているようだ。しかも朝9時だというのに下山してくるハイカーも多い。山頂付近の山小屋で一泊し朝日や雲海を見た後の下山だろうか。百名山のひとつだけに、礫が多いゴツゴツとした道とはいえ安心して歩ける道が続く。
ケーブル西島から複数に分岐する道のうち、次郎笈へと向かう「遊歩道コース」を進む。日が照り、風が強くなると次郎笈への尾根道は難儀となるというので、剣山よりまずは次郎笈だ。
勾配は緩やかだけれど石灰岩だらけの歩きにくい道が続く。それにしても「遊歩道」という名称はいかがなものか。芦屋や赤穂の山道に遊歩道と冠した登山道があることに憤慨していたものだけれど、百名山の剣山までそうだとは…。遊歩道≒散歩道ではないのか?
おお、いよいよ次郎笈が見えてきた。あの稜線を歩くのだと思うと胸がドキドキ、気持ちがワクワクしてくる。あの稜線を歩くために遥々ここまでやってきたと言っても過言ではない。
なんと美しい稜線なんだろう。思わず息を飲んでしまう。不思議なことに歩いていくのが勿体無いような気さえする。山稜の先にあるピークが次郎笈のはずだ。壮大すぎて距離感が掴めない。
永年憧れていた稜線を進む。森林限界というのだろうか。おそらく風のせいで高木が育つのは難しいようで山肌は一面の笹で覆われている。ゆっくりと歩き、そして少し歩くたびにシャッターを切る。美味しい食べ物を少しずつ時間をかけて平らげるのにも似た感覚だ。
天気も良く、風もない。これ以上ないほどの好条件だ。と思っていたけれど、思いのほか日射が厳しい。日の光を遮るものが何もないのだから当然だ。おそらく首筋あたりが結構日焼けしたはずだ。
なだらかに見えた稜線だけれど、次郎笈に近づくにつれて岩ゴツゴツの急登となり、息が切れてくる。かといって座り込むようなところも無い。太腿あたりに足を攣る前兆のような軽い痙攣を感じる。今日も芍薬甘草湯のお世話になりそうだ。
次郎笈(1933m)に到着。笈とは行者が背負った箱のことで、剣山の別名が太郎笈だ。太郎・次郎の二人の行者が夫々の山に登ったことが由来というがピンと来ない。散臭い伝承とは思いつつも、剣山に眠ると言われるソロモンの聖櫃との関係を考えたくなってしまう。
次郎笈からの眺望。四国山地の山々が四方八方に見渡すことができる。いくつもの稜線が唐山南北の各方向に伸びている。小さいと思っていた四国だけれど、その奥深さを感じずにはいられない。
次郎笈から登ってきた稜線を戻り、いよいよ主峰剣山へと向かう。剣山に向かう稜線もまた華麗なほどに美しい。
剣山に向かって稜線を進んでいく。振り返ると次郎笈に飛行機雲が掛かっている。伊丹から鹿児島などへと向かう飛行機が剣山の上空を飛んでいるようだ。
剣山の山頂に近づいて来たところで、あらためて次郎笈からの尾根道を振り返る。稜線歩きの楽しさのひとつは、これから歩いていく道、歩いて来た道を見渡すことだろう。あそこを歩いてきたんだ、と思うだけで、ゾクゾクするような嬉しさがこみあげてくる。
いよいよ剣山。次郎笈からの登り返しは結構しんどかったけれど、剣山の山頂付近は広々とした高原のようになっている。
剣山(1955m)到着。三角点は植生保護のために設置された木道のなかにあって近寄れない。さらに石垣のようなもので守られ、注連縄まで張られている。まさに古くから山岳信仰が根付いてきた霊峰らしい山頂だ。
平家の落人伝説もある剣山。高原状の山頂では平家の武者が馬を飼育・調練していたとも伝わる。正午を過ぎて日射しは強まり、少し風も強くなってきた。剣山の山頂の木道を散策するには全然問題ないけれど、次郎笈を先にして正解だった。
源氏に負けっぱなしの平家が勢力回復を祈念して安徳天皇の剣を奉納したという剣山本宮宝蔵神社。この大きな岩がご神体だ。立ち寄らなかったけれど大剣神社のご神体も巨石だ。離れたところからでも確認できたけど、写真を撮り損ねた…
瀬戸内方面の眺望。案内によると瀬戸内海や小豆島は勿論、山陰の大山まで見渡すことができるというが、薄曇りのせいで十分に確認はできなかった。
下山道にある刀掛けの松。安徳天皇が剣山に向かう途中ここで休憩したそうだ。宝剣を抱えて立っていた従者に、剣を松に掛けて置いてしばらく休憩せよと言ったところらしい。当時安徳天皇は6歳かそこら。ここまで登ってきたのかさえ、ちょっと怪しい。
少し遠回りになるけれど、登山口まで「遊歩道」で下山する。途中太鼓巡りという洞窟があある。ソロモンの聖櫃(アーク)はこの辺りに沢山ある鍾乳洞のどこかに匿されたというが、ひょっとしてここかも? でも気味悪くて覗き込むことさえできない。
確かに勾配は緩やかなトラバースなんだけど、木の根っこや石礫も多くて油断すると、転倒して崖の下に転がり落ちそうだ。やはり遊歩道という名前には抵抗を感じてしまう。
ゆっくり歩いたうえに気持ちが高揚していたせいか、道中あまり疲れは感じていなかったけれど、下山すると結構疲れていることに気付く。所要時間5時間40分、距離は意外にも短く8.5㎞ほど、獲得標高は840m。