生駒山〜鳴川谷(生駒市・東大阪市)

 2023年11月26日



先日信貴生駒スカイラインに阻まれて登頂を断念した生駒山に再挑戦する。確実に山頂に登るためには、やはり生駒市側から登る方が間違いが無さそうだ。生駒駅をスタートし、日本最古のケーブルと言われる生駒ケーブルに沿った舗装道を登っていく。



30分余り自動車道を歩くと、宝山寺の参道に到着する。生駒新地と呼ばれる参道周辺には今も昔ながらの料理屋などが立ち並んでいる。天空の遊郭とも呼ばれていたけれど、確かに参道の向こうには生駒の町を広く見渡すことができる。



給水スポット協力店というものが目に付く。ペットボトルに水道水を入れていただけるらしい。どうやら生駒市の上下水道部の取り組みのようで他では見たことがないけれど、どれほど利用者がいるのだろうか。興味のあるところだ。



何度も近くを通過しているんだけれど、これまで宝山寺に参拝したことがあったような、なかったような…。ちょっと寄り道してみる。寄進された灯篭が参道の両側にズラリと並ぶ坂道を進んでいく。



宝山寺の境内。剥き出しになった岩を背にして本堂がある。岩肌には弥勒菩薩のお姿が見える。高台には多宝塔なども見られ、さらにその奥には奥の院などもあって、奥行きの深い境内だ。



寺社では、ありそうでなかなか見られない、両替機がここにはある。どうやら境内にある膨大な地蔵などにお賽銭をする人も多いようだ。驚くべきことに、3000円分ほども10円玉に両替しておられる方も見られた。



宝山寺から、さらにケーブルに沿って山頂を目指す。生駒ケーブルはケーブルカーとしては珍しく踏切が所々にある。



ケーブルに沿った道を直登するのだから、当然斜度は相当厳しい。こんなにシンドイ道だったけ…。何度も立ち止まり、何人ものハイカーに追い越され、ヨロヨロと登っていく。



登り始めて2時間くらい掛かって生駒山上遊園までやってきた。宝山寺や岩谷滝とかに立ち寄ったとはいえ、結構時間が掛かった。生駒山は楽チンと思っていたのは10年ほども前のこと。体力低下を自覚し、認識を改めなければならない。



有難いことに入場無料だけに、遊具目当ての家族やカップルが多いなか、ちょっと場違いとも思えるハイカーの姿も少なくない。生駒山の山頂(641m)は、ミニSL列車エリアのなかにあって立ち入れないけれど、多くのハイカーが柵越しに三角点の写真をカメラに収める。



三角点を遠くから撮影するよりも、ミニSL列車のプラットホームにある駅名標の方が、山頂碑っぽい。「なら→頂上→おおさか」となっているけれど、今回は奈良県側から登って、鳴川峠か十三峠のいずれかで大阪側に下りるつもりだ。



ズラリと並ぶ放送局の無線塔群を横目に生駒山を後にする。さてどこまで歩こうか。生駒山に登る急坂では結構バテたけど、山頂に一旦登りさえすれば、後は大した登りは無いはずだ。



山稜に沿って南下するけれど、意外に草深い。すれ違うハイカーの多くが熊鈴を付けているけれど、ここで熊が出るのだろうか。今年はアチコチで熊による被害が多発していて、熊鈴を付ける人がさらに増えたように思う。



大阪平野が広く遠く見渡せる。東大阪市内は高速道路や市役所など、まさに手に取るように見えるし、大阪市内の高層ビル群やその向こうの六甲山系まで見通すことができる。



信貴生駒スカイラインの脇を歩いて南へと進む。あまり通行量は多くないので、横断が特に危険とも思えないけれど、ダメらしい。とはいっても、横断しないとどうにもならないトコロがあるのも事実。もう少しハイカーのための架橋とか坑道とかがあればいいのに…。



危険個所はないけれど、段差のある石段や急坂も多く、そこそこ厄介な道が続く。生駒縦走道ってこんな道だっけ…。10年ほど前に近鉄の「てくてくまっぷ」をもとにこの辺りを歩き回ったけれど、もっと呑気に歩いていたように思う。



暗峠。酷道とまで言われる石畳の国道308号線を横切る。この道を枚岡に下りるのがえげつない急坂。何度か歩いたけれど、もう登りたくもないし、下りたくもない。



さらに南へ。紅葉に囲まれた銀樟広場というカッコいい名前の広場の東屋でひと休み。と思ったら、屋根落下の恐れがありますのでご注意ください、とある。屋根落下って、どう注意しろっていうのか…。落ち着かないので早々に退散する。



山道を歩いていると、タマにこんな風にブロック塀で長々と進入を拒んでいるエリアが現れる。たぶん神感寺の境界のようだ。こんな風にされると内部がとても気になって覗き込んでしまうのだけれど、鬱蒼とした林があるばかりだ。



鳴川峠。未だ15時だし、体力的にはもうひと踏ん張りして十三峠までは歩けそうだけれど、最近日没との競争のように下山することばかりなので、余裕を持ってここで下山することにしよう。



鳴川谷を瓢箪山駅に向けて下っていく。谷道なのでどことなく暗く、川沿いなので道には石がゴロゴロと転がっている。



あちらこちらで紅葉を楽しむことができたけど、一面の紅葉には出会えなかった。まあ、緑のなかの紅葉の方が美しくも感じられる。



突如現れた赤いトンネル。このトンネルを抜けるのが、「らくらく登山道」と命名されているコース。山上まで行くのではなく、トラバース気味に山歩きが楽しめる道のようだ。



長い下り道で瓢箪山稲荷までやってきた。本殿の奥にあるのが瓢箪山。実は2つの古墳のようだ。この際、瓢箪山に登頂したいと本殿の裏手に回ったけれど柵などで塞がれてしまっている。まあ、YAMAPでもここは山として紹介されてはいない。



歩行距離11㎞、獲得標高700m。所要時間は5時間50分。結構時間が掛かったなぁ…。生駒山だけだと思ったら、知らないうちにあと4つも山頂を獲得していた。どれもあまりピーク感が無く、山頂との認識もないまま通り過ぎている。







甲州街道(15)上諏訪〜下諏訪

 2023年11月20日


甲州街道歩きも最終盤。上諏訪宿から6㎞先の下諏訪宿に向かう。おそらく諏訪大社の上社・下社によるものだろうけど、京都に近い方が「下」となっている珍しい例のように思う。湖岸から200mほど離れた道を進むけれど、山がすぐそこに迫っている。平地部はごく狭い。



久しぶりに見る一里塚址の石碑。江戸から五十二里。トラブルや寄り道も多かったけど、甲州街道完歩に15日も掛かるとは思っていなかった…。



平地が限られているからか、結構な斜面の上にも住宅が立ち並んでいるし、耕作面積を増やすための棚田も見られる。



諏訪地域を歩いて驚かされることのひとつは火の見櫓や消防団の多さだ。古いものが放置されているのではなく現役バリバリ感がある。過去に大火に見舞われたのかもしれないけれど、長らく諏訪大社を中心とした地域住民の連携が強いことが窺える。



比較的新しい蔵が多いのも、火災への備えのように感じられる。調べてみると、諏訪地方は特に冬はかなり乾燥するところらしい。意外に雪も少ないそうだ。一昨日の吹雪は結構レアな経験だったのかもしれない。



諏訪市から下諏訪町へと入る。正岡子規門下の歌人が集まったアララギ派の中心人物である島木赤彦の旧居に立ち寄る。農村の庄屋さん宅といった感じがするけれど、茅葺屋根と書院造が特徴的な士族の家なんだそうだ。



眼下には諏訪湖が広がる。この辺りは石投場と呼ばれる名所なんだけれど、諏訪湖周辺の干拓が進んだせいか、今では湖まで石が届くとはとても思えない。



「南信八名所石投場」の石碑が立っている。南信濃のベスト8に入るとは、相当な名勝と言える。その脇には明治天皇駐輦址の碑が立つ。明治天皇もここで石を投げたのではなかろうか。



ついに甲州街道最後の一里塚碑。江戸日本橋から数えて53番目の一里塚となる。間もなく合流する中山道の下諏訪宿直前の一里塚は55番目だから江戸〜下諏訪は甲州街道が約8㎞短い。それでも多くの旅人は物価が安く、設備が充実していた中山道を好んだらしい。



承知川の橋に使われていた大石が壁のように立てかけられている。武田信玄にゆかりのある橋なんだけど、この石の表面の模様が信玄の埋蔵金の在り処を示しているとも伝わるらしい。もっとも目を凝らしても、縦横の線が何本もあるとしか見えない。



諏訪大社下社秋宮に到着。中山道との合流地点はすぐそこなのだけれど、急ぐ必要はない。正面の立派な注連縄が施された社殿は重要文化財に指定されている神楽殿。1835年に造営されたものらしい。



その奥にあるのが1781年造営の幣拝殿。もちろん重要文化財だ。その右手前には一之御柱が立っている。上社同様、下社にも本殿はなく、神体はご神木なんだそうだ。



ついに中山道との合流地点にやってきた。甲州街道と中山道がT字路を形成している。長野県に入ってから、あまり街道の標識類や遺跡が少ないことに寂しい思いをしてきたけれど、下諏訪宿では旧宿場町の雰囲気を色濃く保存されている。



江戸から下諏訪まで甲州街道で五十三里十一丁。京までは七十七里三丁とある。この後、中山道を京都まで歩くつもりだけれど、まだ全体の4割しか歩いていないことになる。



合流点から見た甲州街道。正面の緑の奥に諏訪大社下社秋宮がある。



これが中山道。この五十五里先に江戸がある。



そして、これが京へと向かう中山道。甲州街道と合流して賑やかさを増しているように見える。道の左右には旅籠(今も旅館として営業している)が立ち並んでいたようで、おそらく信州で最も華やかな宿場町であったと思われる。



街道沿いの旅館の門前には、温泉の注ぎ口がある。「源泉掛け流し」、「諏訪明神ご神湯」とある。時代劇で良く見る旅籠到着時に足を洗うものなのか、あるいは手を洗うものなのか、はたまた神湯を口に含むものなのか…。もちろん無料の足湯の提供も見られる。



高札場も復元されている。東海道では度々見られたものだけれど、甲州街道ではほとんどお目にかかることは無かった。



合流地点からほんの少しだけ中山道を京に向かって歩いて、下諏訪駅に到着。駅前には長野五輪会場に立てられたという御柱が移設されている。中山道をこのまま塩尻宿まで歩くことも考えたけど、最終日の午後は諏訪の観光とグルメに充てることにする。



諏訪名物の味噌天丼に初挑戦。甘じょっぱい醬油出汁ではなく、信州名物の味噌だれをかけていただく。たれが変わると天丼の風味がまるで違うものになる。



今日は6.6㎞、3時間の軽いウォーキング。近いうちに戻ってきて、中山道へと進みたい。



おまけ:塩尻駅構内の蕎麦屋。日本一狭いと言われる。入口は50㎝ほどしかないぞ。店内はギリギリ2人入るのがやっと。(同じ店の構外側には5人くらい入れそう) たまたま誰もお客さんが居なかったけど、入店する勇気は無かった…。



甲州街道(14)青柳〜上諏訪

 2023年11月19日


昨日は吹雪のため金沢宿を少し過ぎたあたりで前進できなくなり、敢え無く青柳駅に撤退する羽目になったが、気を取り直して青柳駅から再スタートだ。気持ち良く晴れ渡ってはいるけれど、ホームは氷結してガリガリ状態。出だしから転倒の危機だ。



昨日撤退した道を再び西へ2㎞進むと、猛吹雪で身を潜めた鎮守の森が現れた。あらためて見渡せば吹雪を避けるにはもっと適当な場所があるけれど、あの時はあまりの天候急変のため、まるで余裕が無かった。服をもう一枚重ね着する猶予さえ与えられなかった。



稲藁が積み重ねられた白い田んぼを横目に進んでいく。あちらこちらに残雪は見られるけれど、天気が良いせいか、長閑な田園風景を楽しむ余裕がある。



あまり多くは見られないけれど、ところどころに甲州街道の道標も見られるようになってきた。この種の道標ひとつで、街道歩きの楽しみが随分と変わってくるものだ。



周囲のゴツゴツした山々は昨日の降雪を経て、さらに厳しい冬山の様相になっている。街道脇を流れる宮川の水も随分と冷たそうだ。



茅野駅に近づくにつれて、地域の名物を商う店が目に付くようになってきた。ここは馬肉を扱っている。金沢宿の近くでは鹿肉のレストランも見られた。



これは寒天蔵。海藻を原料とする寒天の国内最大の生産地は、意外なことに山に囲まれた茅野なのだ。寒冷な気候が寒天づくりに適しているのだろう。昭和初期から寒天製造が盛んになり、この寒天蔵は繭蔵を転用したものらしい。今では多目的ホールに改装されている。



味噌もまた信州名物。茅野にも大きな味噌蔵があり、見学を受け入れ、大きな土産物店まで併設している。味噌だけでなく、どぶろく、甘酒、漬物など、様々な発酵食品を取り扱っている。



これまで知らなかったけれど、貧乏神というのは味噌が好物なんだそうだ。ということで、味噌蔵の奥には世にも珍しい貧乏神神社なるものがある。



少し寄り道をして、日本三大奇祭にもあげられる御柱祭の木落としが行われる現場にやってきた。八ヶ岳の麓から切り出された樹齢150年ほどの樅の木を人力で諏訪大社の4つの境内(上社前宮、上社本宮、下社春宮、下社秋宮)へと運び込むのだ。



樅の大木をこの斜面で曳き落とすのが御柱祭最大のハイライト。動画では何度も目にしたけれど、現地に来てようやく木落としの凄さが少し実感できたような気がする。



茅野駅前には、前回(2022年)の御柱曳航で使用された太い縄が飾られている。諏訪湖周辺の地域が分担して、6年に一度、計16本の大木を延々と曳き、諏訪大社の4つの境内へと運び込むらしい。



茅野駅前の土産物屋でちょっと小ぶりの「おやき」を購入。沢山の具材が使用されているなかで、しめじ、りんご、なすの3つをチョイス。アツアツのおやきで空腹を宥める。



甲州街道をかなり外れることになるが、諏訪大社に立ち寄らない訳にはいかない。できれば4社全てをお詣りできれば、きっといいことがあるに違いない。真っ赤な紅葉、真っ青な空、真っ白な山々のコントラストを楽しみながら、進んでいく。



茅野駅からしっかり1時間歩いて、ようやく諏訪大社の本宮に到着…。って、前宮を素っ飛ばしてしまった。すぐ近くを通過したはずなのに…。今更戻る気にもなれず、四社詣りの野望は緒戦で敢え無く潰えてしまった。



週末ともあって多くの参拝客が訪問し、参道の土産物屋も随分と繁盛しているけれど、森に囲まれた本宮の神聖な雰囲気は十二分に保たれている。さすが古事記にまで登場するという長い歴史を有する神社だ。参拝所に向かう石段の脇に昨年建てられた御柱のひとつがある。



参拝所。正面に見える茅葺の建物が拝殿。本殿はなく、ご神体はその向こうにある山なのだ。ここのご神体は日本最古の神社とも言われる大神神社と同様だ。



諏訪大社本宮から北へ、再び甲州街道に合流すべく戻っていく。途中「富士見橋」と書かれた橋を渡る。これまで何十もの「富士見」を通過してきたけれど、アテにはならない。が、念のため振り返ると、見事な真っ白でデカい富士山が聳えているではないか。



甲州街道に戻る。いかにも旧街道らしい道幅だ。蔵も多く見られるけれど、戦後に建てられた比較的新しいものに感じる。おそらく江戸時代からの蔵文化が長らく受け継がれている地域だと感じる。



上諏訪の街に入ってきた。酒造が盛んな地域のようで、観光客も受け入れる大規模な酒蔵が何軒も並んでいる。雰囲気はいいのだけれど、旧街道や旧宿場町としての案内板の類がほとんど見られないのは残念だ。



本陣跡の説明も、至ってシンプルな立て看板があるだけ。今では精密工業の工場も多く立地し、諏訪大社や諏訪湖に加えて温泉まである人気の観光地となっているだけに、あまり旧宿場町をウリにする気はないようだ。



甲州街道のゴール下諏訪宿行きは明日にして諏訪湖周辺を散策する。浮城と呼ばれる諏訪高島城は外壁に木材を多用し、銅葺きの屋根を有する復興天守は、なかなかにいい雰囲気を醸し出している。信玄にいいようにされた諏訪氏だが後年高島藩主に復して本拠とした城だ。



日は間もなく暮れるが、標高750mの諏訪湖岸を少し散策してみる。満々と水を湛えた湖面のすぐ傍に遊歩道が整備されている。冬には全面凍結するのが常だったそうだけれど、最近の氷はかなり薄くなってきたらしい。



諏訪湖一周は16㎞。遊歩道も整備されているし、平坦そうだし、距離も実に手頃だ。かつて琵琶湖一周を歩いたけれど、諏訪湖一周というのも随分と魅力的に感じる。



歩行距離21.6㎞。相変わらずだけれど、スマホの負荷が高いのか、何度も歩行軌跡が端折られて直線状になっている。実際の距離はもう1~2㎞は長いのではなかろうか。所用時間は約9時間。