大文字山(京都市)

 2024年2月3日

先日稲荷山に登ったついでに歩き始めた京都一周トレイル。国道1号線のすぐ北にある清閑寺から再スタートだ。叡山系の清閑寺は、隣接する興福寺系の清水寺と長らく対立してきた古刹だ。バスを降り、清閑寺境内にあるという高倉・六条両天皇陵への参道から山に入る。



清水寺と清閑寺の寺域が接するようなところを進んでいく。かつては南都北嶺の争点となった紛争地帯ところのようなところだったのではないかと思われるが、今では静かな山道が続く。



気が付かないうちに清閑寺山(202m)を通過してしまう。さらに10分ほど歩けば清水山(242m)だ。稲荷山もそうだけど、東山三十六峰の多くはその麓にあるお寺や神社の名が付いている。おそらくはその山まででが境内に含まれていた(今も?)のではなかろうか。



杉林のなかの歩きやすい道が続く。この道から清水寺へと下りることもできるようだ。混み合う五条坂・清水坂を避けて、山から清水寺へと下っていくのも面白そうにも思うけど、結局はどこかで大混雑に突き当たってしまうに違いない。



比較的暖かい週末ということもあってかもしれないけれど、歩いている人は少なくない。しかも海外の人(観光客なのか、日本に住んでおられる方かは判らないけれど)を多く目にする。トレイル道の通行止標識も、日・英・中・韓の4か国語のものが同じ大きさだ。



東山(220m)。ちょっとした公園や展望台が整備されている。12年前にも歩いた道だけど、こんな休憩場所があったとは記憶していない。トレイルにベンチも増えたように感じるけれどさほど新しいものではない。「くたびれたやつが見つける一里塚」なのかなぁ…。



高台寺、知恩院、青蓮院などの名刹の奥山を進む。京都市長選挙を明日に控え、候補者名を連呼する声が山中にも聞こえてくるのがちょっと鬱陶しいけれど仕方ない。時折り樹々の隙間からは京都の街並みを確認でき、八坂の塔と呼ばれる法観寺の五重塔もよく見える。



三条通に一旦下り、蹴上から再び写真右手に連なる山へと向かう。奥に見えるのが比叡山。冠雪は確認できないけれど、今日は銀閣寺か北白川あたりをゴールにして、比叡山に登るのは春になってからだろう。



琵琶湖疎水から京都への舟運を担っていたインクライン。鉄道が普及する以前、明治時代の遺物だと思っていたんだけれど、調べてみると昭和23年まで運用されている。意外に新しい歴史遺産と言える。



南禅寺の裏手から東山連峰へと入ると、まず現れるのが京のお伊勢さんと呼ばれる日向大神宮。茅葺屋根に千木・鰹木という、数多の神社がひしめき合う京都でも一味違う風情を感じる。伊勢神宮同様、内宮、外宮があり、奥には天岩戸と呼ばれる洞穴があったりする。



東山三十六峰をさらに北へ、これでもかというほどに根っこが張りまくった道が続く。これがなかなかに歩きにくい。



10分ほど急坂を寄り道をして神明山(218m)のピークを取りに行く。YAMAPを始めてから登頂した山が今朝の時点で394座。区切りの400座目を大文字山にするため、その前に5つの山を制覇したい。村山や江夏が区切りの三振を長嶋や王から奪いにいったようなものだ。



東山連峰は大部分が堆積岩のようだ。断層の活動により隆起したもののようで、あまり尖がったピークがなく、まさに「布団着て寝たる姿や東山」だ。大文字山を王や長嶋に喩えるのは失礼千万だろうけれど、ポンコツハイカーなりに名の通った山を区切りとしたいものだ。



ちょっと遠回りして大臼山。さほどピーク感もなく、眺望も無いような山ばかりだけれど、これで本日5座め。大文字山へと向かう準備は整った。



何の木だろうか。とても細い枝が道を覆い、トンネルのようになっている。ちょうど人の背丈ほどの高さだけれど、おそらく何人ものハイカーが歩いたおかげで、このような高さのトンネルになっているように思う。



大文字山に近づくにつれてハイカーの数はどんどん増えてくる。北から歩く人、南から歩く人はほぼ半分ずつくらいに感じる。京都一周トレイルは、何故か大文字山には寄らずに浄土寺方面に下る。京都一周トレイルはピークハントを意識しない道どりとなっているようだ。



京都一周トレイル道を外れて大文字山(465m)に立ち寄る。他ではあまり見ることの無い、八角形の低めの碑が立つ山頂は広く数多くのベンチが並んでいるけれど記憶と異なる。学生時代にこの山の麓に住んでいたけれど、多くの人は火床までしか登らなかったと思う。



大文字山からの眺望。東山連峰が手に取るようだ。写真の奥が京都の中心部、左側は山科の街だ。歩き始めた伏見稲荷はL字型に見える連山の角あたりのはず。連山の端っこは醍醐寺あたりになるようだ。



通常は火床経由で銀閣寺に下るのだろうけれど、学生時代にランニング(といっても大半は歩いていたけれど)で登らされた階段ばかりの道を下るより、体力も時間も残っているので、地図で見つけた気になる山の登頂を目指して北側に下っていく。



大文字山の北側に、熊山、小熊山、孫熊山、曾孫熊山、玄孫熊山という、気になる名前を持つ5つの山が並んでいる。YAMAPには赤線で示されている道が見つからない。テープが貼られた木を頼りに急坂をくだっていくが、どうもおかしい。



目指すのは地図右上に伸びる道なんだけど、全然違う方向に来ている。このまま林の中を突き進めば正しい道へと出れそうだけれど、やめとこう。若い頃なら猛進していただろうけれど、歳を重ねて体力は衰えたものの、代わりに経験値を得た。怖れと言ってもいいだろう。



結局元来た道を戻り、火床を大きく迂回するかたちで銀閣寺方面へと向かう。市街地に近いうえに歴史ある地域なので、道は悪くはないのだけれど、何本もの道が複雑に入り組んでいて、どこを進むかが悩ましいし、思わぬ難路が現れる可能性にちょっと不安になってくる。



結局、無難に火床から下ってくるメインの道へと戻る。応仁の乱の最中にこの地にあった城の攻防戦での大量の戦死者を供養したものだ。考えてみれば、京都って古戦場だらけだ。特に東山は戦の無かったところなど無いのではないかとさえ思える。



15時半頃、銀閣寺に下りてきた。こんな時間なのに、登っていく人がやけに多い。陽気な外国人グループは歌を歌いながら登っていく。銀閣寺の参道も随分と華やかになった。50年近く前、この近くに住んでいたけれど、当時はもっともっと静かで地味な参道だった。



銀閣寺前の交差点から大文字山を振り返る。イマイチ「大」の字がくっきりとは見えない。季節によって草木の状態も違うのかもしれない。学生時代は毎日のように見えていたはずだけれど、そんなことさえ気にしたことは無かった。



比叡山への登り口に近い北白川仕伏町で今日は終了。市電が廃止され、地下鉄が完成するなど、京都の交通事情も随分と変わったはずなんだけど、学生時代と同様、四条河原町へと向かうバス系統が3番のままであることに驚かされるとともにちょっと嬉しくなってしまう。



本日の歩行軌跡。歩行距離13㎞、所要時間6時間半。獲得標高は900m。大文字山からGPSの調子が悪くなり、歩行軌跡はムチャクチャになっている。学生時代住んでいた下宿や銭湯(どちらも無くなっていた)など、街をウロウロしたのに、直線で処理されてしまった…。


12年前は伏見稲荷からスタート、今日よりも5㎞ほどは長い距離を7時間で歩いている。しかも翌日も早朝から比叡山に登り水井山を越えて大原まで歩いている。当時との比較は虚しいことだけれど、同じ道を歩き通す自信はあまりない…。