志方城山(加古川市)

 2024年4月1日


4年間くらい愛用してきたトレッキングシューズが、さすがにヤバイ。モンベルショップに持ち込むものの、ソールの貼り換えも難しい状態とのこと。まあ、判ってはいたけどねぇ…。確かに同じソールの新品と比べると凹凸がほとんど無くなっていることに驚かされる。



特に踵が酷い。靴を引きずって歩く癖のせいだろう。ミッドソールの劣化も酷い。間もなくアウターソールが剥がれてしまいそうだ。以前、小野アルプスでアウターソールが剥がれた状態で紅山の大岩稜を随分怖い思いをしながら登ったのに、性懲りもない…。



ということで、新しいトレッキングシューズの試し履きを兼ねて、加古川市志方の城山に登ってみることにする。先日登った御茶山の次の旗振り信号中継点になっていたと言われる山だ。



NHK大河の黒田官兵衛が放映されていた頃は、加古川市内でイヤと言うほど見られた勘兵衛とその正室光姫のマスコットキャラクターに久しぶりに再会。この山頂には南北朝~戦国時代にかけて中道子山城という山城があったというが、光姫の実家の志方城とは別の城だ。



登山口には車両の進入をブロックする柵が設けられているけれど、しばらくは車両も通行できそうな整備された道が続く。チョコっと歩くだけなので、ペットボトル1本だけしか持ってこなかったけど、ひどく暑く感じる。もう1本持って来ればよかった…。



明らかに20度は上回っている。登山道の脇にある桜も急に開花したのではなかろうか。花弁が随分とフレッシュに見える。



新しい靴は、どうもしっくりこない。アウトソールが新しいせいか、少し身長が伸びたような気がする。立っているだけでも不安定さを感じてしまう。山の上に電力会社の反射板が見える。チョコっと登山のつもりでやってきたけれど、かなり登らされそうだ。



整備された登山道から、旧登山道への分岐が現れた。近道とはいえ、クサリ場とか岩場がある急坂のようだ。新しい靴のグリップを確かめるのにちょうど良さそうだ。



これが城の大手筋だったというけれど、えらく急な坂から始まる。ロープにしがみついて攀じ登っていくけど、靴の方は問題なさそうだ。



少し道を外れてさらに急坂を攀じ登って小毘沙門岩を見物に登ってきた。それにしても暑い。半袖で十分だったとさえ感じる。20度を超えると加速度的に山歩きの体力消耗が増してくる。



登ってきたのはいいけれど、激下りで元の登山道に戻る。かなり滑りそうに思えたけれど、さすが新品シューズ。かなりグリップが効いて、岩場に食らいついてくれる。



これが毘沙門岩だろうか。案内標識はあるけれど、矢印がドコを指しているのかが良く判らない。



毘沙門岩を過ぎると、比較的歩きやすい道となる。でも相変わらずシューズがしっくりこなくて、座り込んで靴紐を緩めたり、締め直したりすることを繰り返す。



ツツジの蕾も早くも膨らみを見せている。まだツツジが咲くには早すぎるようにも思うけれど、今日の暖かさで一気に膨らんだのではないだろうか。春の息吹を感じる。



大手門跡。秀吉軍が攻めてきたときには、竹の皮を敷き詰めて滑りやすくしたのに、逆に竹の皮に火をかけられて一気に落城してしまった、という、他で何回か聞いたことがあるおバカな話がここでも伝わっている。



麓から見上げていた電力会社のものと思われる反射板。電波を反射しているだけで理屈は理解できるのだけれど、増幅器どころか電源もない単純な設備で電波を中継できるというのも不思議なものだ。旗振り通信と似たものを感じる。元々は二の丸だったところのようだ。



かなり汗をかきながら城山頂上(271m)にやってきた。山頂には何故か「赤松城」の石碑。確かに赤松氏が築城したものだけど、そもそも播磨一帯は赤松氏の城郭だらけなのだ。しかもこの城は南北朝時代には、赤松氏のなかで唯一南朝についたという。



15㎞ほど南東にあるはずの御茶山を探す。晴天とはいえ思ったほどの視程は無く、背後の菊水山や鍋蓋山などの六甲山系があるので見えにくいけれど、雌岡山に連なった御茶山との間に山も無く、肉眼で確認できる。でも頂上で振る旗を確認するためには望遠鏡が不可欠だ。



東に目を転じれば小野アルプス紅山の大岩稜。今ではダム湖(権現湖)となっているところも含めて東側の守りは堅そうだ。見晴らしも良く見張り台としても好立地だ。でも西側からの道は比較的緩やかで一部の急坂を除けば大して防衛力の高い城とは思えない。



西に聳える高御位山の南にも旗振山という名前の山がある。でもここからでは近すぎるように思える。いくつもの事業者が競い合い、いくつものルートがあったのだろう。それも秘匿性の高い事業だから、残った記録も限られているという。それだけに興味は尽きない。



受信した内容は、ここから再び旗振りによって、加東市と西脇市の境にある鳴尾山を経て丹波、あるいは桶居山を経て姫路へと伝送されたとも聞く。頂上の桜は二分咲きといったところ。昔の旗振り人が眺めていたのと同じ空を見上げながら、まったりと風に吹かれる。



四国八十八ヶ所を模した石の祠が並んでいる。御茶山にもあったものと瓜二つだ。旗振り山同士、信仰の面でも繋がっているのだろうか。



余裕があれば、権現山を経て権現湖まで歩くつもりだったけど、靴もしっくりこないし、それ以上に水が無いのが問題だ。旧登山道ではなく、歩きやすい新登山道を通ってのんびりと下山する。



何かの拍子でスタートポイントに戻る手前数百mのところでゴールボタンを押してしまった。記録上では、歩行距離2.4㎞、所要時間2時間、獲得標高240mだけど、実際にはもう少し歩いているはずだ。