龍王山(天理市)

 2024年4月7日


天理市にある龍王山に登ってみる。4月に入って暖かい日が続いているけれど、今日も快晴。山登りには既に暑すぎると感じるレベルだ。調べてみると12年前の5月に登っているのだけれど、想像以上に疲れたことは覚えている。



12年前は長岳寺ルートで登り、北(地図の左側)の天理ダム方面に下山したけれど、今回は未踏破の崇神ルートで登ってみたい。この崇神ルートの途中に1㎞四方に何百もの古墳が密集する、松本清張の小説にも「死者の谷」として紹介された国内最大級の墳墓群があるのだ。



スタートしてすぐに登場する前方後円墳は崇神天皇陵。日本史上、「実在した可能性のある最初の天皇」とも言われる崇神天皇。実在したとすれば3世紀後半で卑弥呼のすぐ後の時代となる。この周辺で発掘調査が進む纏向遺跡と合わせて、最近注目度を増している。



あちらこちらで桜が満開。ただでも全国から多くの人が訪れる山の辺の道だけれど、春の陽気に誘われて、さらに大勢の人が歩いているように見える。



山の辺の道から離れて、龍王山へ向かう登山道に入る。まだ平坦な道を20分ほど歩いただけなのに早くも汗ばんできた。時刻は既に12時を過ぎ。これからさらに暑くなるはずだ。



覚悟していたよりも平坦で歩きやすい道が続く。長岳寺ルートより崇神ルートの方が厳しいと聞いていた割には楽な道が続く。どうせ同じ山頂まで標高を上げていくのだからどの道でも同じと言う人もいるけれど、適当な勾配の坂道が長く続く方がありがたい。



山道を30分ほど進むと、なにやらコンモリとした小高い丘が杉林の中にあるのを発見。いかにも怪しいぞ。



小高い丘の裏側に回り込んでみるとビンゴ。明らかに古墳だ。開口部から少し覗き込んでみるけれど、何も見えない。というか、何か見えたら怖い…。



これらの墳丘は6世紀後半から7世紀前半にかけて築造されたものらしい。纏向遺跡や崇神天皇の時代とは300年ほども後の時代で、聖徳太子の時代にほぼ重なる。



悪戯を防ぐためなのか、天理市は古墳の位置を一般には公開していない。現地にも何の案内板も説明板もないけれど、登山道から左右を観察するだけでいくつもの古墳が容易に見つけることができる。もっとも川の向こうなど容易にアクセスできないものも多い。



内部は暗くてよく見えないけれど、当然盗掘されているのだろう。未発見のものも含めて1000ほどの古墳が集中しているというけれど、決して庶民の墓ではなく、相応の身分がなければこのような古墳の建設は難しいはず。それなりのお宝が眠っていたんじゃなかろうか。



それにしても数十年の間に1000基の墓ということは、単純計算では1ヶ月にひとつの古墳が築かれたことになる。「死者の谷」とは怖ろし気な名だけれど、この登山道では頻繁に亡骸を山上に運ぶ葬送があったことは間違いなさそうだ。



かなり開口部も広く、どこかから光が入り込んで内部もよく見通せるものもあるけれど、さすがに入ってみようとは思えず、外から恐る恐る観察するだけ。



通過するハイカーはここに古墳が多数あることを知ってか知らずか、素通りする人ばかり。登山路から外れて、穴をじっと覗き込んでいるのを、変な奴がいるなぁ…とでも思っているのかもしれない。



かなり時間をかけて10ほどの古墳を観察したけれど、そろそろ竜王山の山頂に向かうことにする。予想はしていたけれど、序盤が緩やかな道だったことの反動で、後半はかなり険しく荒れた道が続く。



途中、長岳寺の奥の院に立ち寄る。奥の院といっても建物はなく、高さ1.5mほどの不動明王の石仏が立つだけ。火焔光背を背負う凛々しいお顔立ちの不動明王だ。



長岳寺ルートとの合流点を過ぎ、いよいよ龍王山の山頂に向かう。かつては高取城を上回る比高を誇る龍王山に南北ふたつの城郭を築き権勢を誇っていた十市氏の本拠地だけれど、白の遺構は判らない。この辺りが大手門だろうか、と想像を逞しくするしかない。



かなり疲れたけれど、無事龍王山(585m)登頂。ちょっとガスってはいるけれど、奈良盆地を広く見渡すことができる。写真右には雄岳・雌岳の二つのピークを持つ二上山、左には標高1100m超の金剛山。その手前には畝傍山や耳成山もよく見える。



城の主であった十市氏は、松永・筒井の大和争奪戦に巻き込まれ、歴史の表舞台から姿を消している。もともと本丸があった山頂は今ではベンチなどが並ぶ、ゆったりした展望台になっている。設置された遊具は、どことなく城攻めを意識したもののように見える。



山頂の下にある龍王社。注連縄で結界が張られ、部外者の立ち入りを拒んでいる。麓の住民が雨乞いをした場所だとも聞くが、こんこんと泉が湧き出ている。龍王山城は険峻な山上にありながら、水の手にも恵まれた城であったようだ。



続いて北城に向かおうとしたけれど、案内板には×印だらけ。どうやら通行止のようだ。車道を迂回すれば北城まで辿りつけそうにも見えるけれど、今日はやめとこう。最近、醍醐山でも二上山でも通行止でUターンさせられることばかりが続いている。



長岳寺ルートで下山。しばらくはとても気持ちのいい、なだらかな尾根道が続く。でも記憶ではこんな呑気な道ではなかったはずだ。



下っていくにつれて、やはり険しい道になってきた。でもトータルで考えれば、やはり長岳寺ルートの方が歩きやすそうな気がする。



今日は新しいトレッキングシューズの履き慣らしを兼ねての山歩きだったけど、古墳探索の後は崇神ルートの急坂でヘトヘト状態で、靴の違和感など感じる余裕さえ無くなってしまっけれど、泥だらけの隘路で靴のことを思い出す。おニューの靴を汚したくない…。



長岳寺に下山。空海が創建したという古刹だ。ここでも見事な桜が満開だ。



距離7.8km、累積標高538m。所要時間は4時間20分。