2025年1月7日
JR大津駅から逢坂山や如意ヶ嶽など、東海道線の北側に連なる大津から山科にかけての山々を歩いてみることにする。JR大津駅から10分ほども歩けば、逢坂山や長等山に向かう登山口だ。新快速停車駅から駅チカというのはとても魅力的な山域なのだ。
「逢のみち湖のみち山歩みち」というキャッチフレーズが付けられた登山道は緩やかで歩きやすい。まあこんな道がいつまでも続くはずもないのだけれど、序盤はこれくらいの道が有難い。
先週歩いた蝉丸神社を経て音羽山へと向かう道が分岐している。この辺りも東海自然歩道の一部になっているようだ。
少し道を外れて兜山(227m)。何も無い山頂だけれど、この山の名前は、関ケ原の戦いの前哨戦となった大津城攻めで、毛利元康、小早川秀包、立花宗茂など西軍がこの山域に陣を構えたことに由来するのではなかろうか。そう考えるとこんな山でも興味深く見えてくる。
倒木は多いけれど、道にかかる部分はきれいに取り払われ、歩きやすく整備されている。手入れを怠らず、登山道を守ってくれているようで有難い。
南には音羽山。鉄塔が頂上付近に立っているので見間違うことはない。あそこまで歩いていくのはとても無理とも思えるけれど、今日予定しているコースはもっと長いはずだ。大丈夫かなぁ…。
逢坂山(325m)。清少納言、蝉丸が逢坂の関、三条右大臣が逢坂山、百人一首には頻出する名所のはずだけれど、山頂には何もない。今ではこの下を走るトンネルばかりが有名になっているように思う。
しかし山頂からは大津市街地と琵琶湖の絶景が堪能できる。琵琶湖を隔てた湖東の山々も良く見通せる。
逢坂山から一旦下山して、小関越の道と交差する。京都と大津を結ぶ主要幹線である東海道が大関越、それに対してこの間道が小関越と呼ばれたらしい。10年ほど前に踏破したけれど、久しぶりに歩いてみようかなぁ…。
小関越の道を越えて再び山中へと入っていく。かなりの勾配だ。ここは如意越の道なんだそうだ。京・大津間には、小関越、如意越のほか、山中越、東塔越、横川越…、東山を超える何本もの道があったようだ。京が防衛の難しい町と呼ばれる理由のひとつのはずだ。
長等山。立花宗茂がここから大津城にむけて大砲をぶち込んだという。それにしても、戦上手が揃った西軍に対して大津城の京極高次はよく粘ったものだ。降伏が2日ほども早ければ、関ヶ原の戦いの勝敗がひっくり返ったとしても不思議ではない。
風がひどく強い。山全体が唸りを上げているようにさえ感じる。つい急ぎ足になるけれど、なんだか道が急に荒れてきた。大津市を出て京都市に入ったせいだろうか。トラバースを倒木が塞いだところがいくつも登場し、そのたびに越えていくのに苦労させられる。
などと思っていたら、道を間違えて進んでいるではないか。オレンジ色の道を進むべきところを青を進んできてしまった。幸い最近YAMAPでも、ハイカーが実際に歩いた軌跡を黄色く示す機能が追加された。同じように道を誤ったとも思われるハイカーが結構いるようだ。
確かに他の多くのハイカーが歩いたという記録はあるのだけれど、容易な道ではなく、ひどい急斜面だ。好き好んでこの道を歩いた人などいないのではなかろうか。
このあたりでは最も標高の高い如意ヶ嶽(472m)にやってきた。以前、京都の銀閣寺から大津京まで歩いたので、判ってはいたけれど、この山頂は大阪空港の持ち物なのだ。どうやら大阪空港に離着陸する飛行機を誘導する装置が設置されているようだ。
以前歩いたときよりも、設備はかなりグレードアップしたように感じる。何も知らなければ、怪しげとしか見えない円盤状の巨大な施設が空を見上げている。
如意ヶ嶽を過ぎれば、後は山科へと下るだけ…のはずなんだけれど、道の分岐が一層多くなり、道間違い多発エリアとなる。
如意ヶ嶽からは大文字山へと進むルートがメインのようで、山科へと下る道はかなりマイナーなようだ。道が不明瞭なところが多く、また標識も数少ない。その一方で枝道は随分と多いのだ。
ピークハンターには嬉しいことに、このルート上には4つもの山のピークがある。ひとつ目は毘沙門山(381m)。山頂標識ではなく、手書きの道案内図が掲げられているんだけれど、これがなかなか複雑なのだ。YAMAP無しで迷わずに下山できそうにない。
風はますます強い。「山眠る」は冬の季語だけれど、山の樹々全体が風に揺れ唸りを上げているのは鼾のようなものだろうか。さらに雪までチラついてきた。だというのに、影山のピークに向けて、急峻な坂を進まされる。疲れも相まってなんだか滅入ってきた。
影山(302m)。陰山と書かれたりもするようだ。下り尾根の途中にある小ピークだけれど、結構疲れさせてくれた。眺望は無い。
荒れ放題の道になってきた。並行する枝道が多く、正しい道を歩いていないのかもしれない。だんだん陰鬱になってきて、早く山を下りたい気持ちが増すのだけれど、こんな時ほど転倒したり道間違いしたりするものだ。ゆっくり確実に進んでいこう。
柳山(261m)を越え、さらに諸羽山(220m)。どちらもピーク手前は結構な急坂で歓迎してくれた。何故か諸羽山の山頂碑には220mと261mの二つの標高が記載されている。261mというのは柳山の標高のはずだ。
山科までもうひと息なんだけれど、さらに道は難しい。石ゴロゴロの急坂なうえに、とにかく分岐が多い。どの道を進んでも下山できるのかもしれないけれど、なるべく安全な道を進みたいものだ。何度も何度もYAMAPを見ながら現在位置と進むべき方向を確かめる。
歩行距離11.8㎞、獲得標高780m、所要時間6時間26分。気温はともかく、風が強く寒かった〜。登りよりも下りの方が疲れるという珍しい山歩きだった。