雪野山・瓶割山(東近江市・近江八幡市)

 2025年1月18日


昨年、箕作山や太郎坊に登った時から気になってた瓶割山に登ってみる。柴田勝家が六角氏に包囲された際に、残り少ない水が入った甕を叩き割り、全軍を鼓舞して六角軍を撃退したことで知られる。雪野山(写真左)から縦走して甕割山(写真右)へと向かうことにする。



最寄りと思われる北部工業団地というバス停から、真っ平な近江平野に広がる田畑の畦道を20分ほど歩いて雪野山の登山口にやってきた。今日歩く予定の縦走路は「蒲生野トレイル」と名付けられているようだ。案内地図や標識も充実しているようで安心だ。



が、いきなり長い長い階段が続く。地図で見たときから勾配がキツイことは判ってはいたけれど、容赦のない直登が続く。一体どこまで続くんだ~。



展望台を兼ねた東屋で早速長い休憩。これでは先が思いやられる。東屋を後にして、再び歩き始めると、また階段地獄。そして東屋、そしてまた階段地獄…。



かなり登ってきたつもりの頃、ようやく頂上らしきものが見えてきた。未だ先は長いと知り、気持ちが挫けそうになる。標高300mそこそこだというのに、早くも足腰は大きなダメージを被っている。



やっとのことで雪野山(308m)。瓶割山の前座扱いをしていたことを申し訳なく思う。まだ一座目だと言うのにこの疲れよう…。この山の山頂部は前方後円墳の後円部になるらしい。



雪野山を過ぎると、ちょっと快適な稜線が続く。この山が連なる様が龍にも見えるらしく、その王者と言う意味でか、雪野山は龍王山とも呼ばれているようだ。トレイル道にはベンチや展望台も多く、とても良く整備されている。



まあ、快適な尾根道が続くはずもなく、次のピークに向けての激下りが始まる。麓から眺めていただけでは想像できないほどに、アップダウンがきつい。階段の土が削れて、土留めとなっている丸太状の縦杭が突き出ている。躓かないよう、慎重に下らなければならない。



展望所では箕作山の向こうに冠雪した伊吹山が良く見通せる。ここは盆の木跡というところ。お盆にここで火を焚いてご先祖様の魂をお迎えする行事が行われていたらしい。



やれやれようやく第二のピーク、安妃山(191m)にやってきた。軽い縦走と思っていたけれど、なかなか歩きごたえがある。安妃だなんて、いかにも何か古い伝承でもありそうな山名なんだけど、不明のままだ。



琵琶湖の奥には比良山系の山々が連なっている。滋賀県は湖国と呼ばれ、琵琶湖ばかりがクローズアップされがちだけど、数々の山に囲まれた山国でもあることを再認識させられる。アプリで山座同定を試みたけれど、ちょっとズレているかもしれない。



腰越山(164m)、少し離れたところにある山頂碑は荒木山(144m)となっている。まあ、どっちでもいいんだけど…。



明神山(杓子山とも言うらしい)の山頂が見えてきたけれど、あの山に登るためには、一旦かなり下らなければならない。縦走するたびのことだけれど、邪魔くせーなぁと思いながら、山を下っていく。



明神山(159m)の山頂に到着。本日の主目的となる瓶割山(写真右側)と岩倉山(左側)が良く見える。ここまで来れば岩倉山のピークも欲しいところだけれど、瓶割山頂からのピストンしか道がないようだ。結構疲れてきたので、もう岩倉山は登らんでも良かろう…。



明神山から一旦平坦な田園地帯に下山。南方には鈴鹿山脈の1000m級の山々が連なる。御在所岳とか釈迦が岳とか藤原岳とかだろうか。登ってみたいとは思うけれど、ポンコツハイカーには手強そうな山ばかりだ。



あれば霊仙山?真っ白な山肌がそそり立っているように見える。真っ平な近江盆地の周囲、どちらを見ても美しくも険しい山々が連なっている。



さあ、瓶割山だ。搦手と思われる登山道で入山。登山口には「瓶割山遺跡」の説明板があるけれど、瓶割り柴田に関する記述はごく僅かだ。もっとアピールしてほしいぞ。戦国時代を通じて最もカッコいい場面だと思うんだけど…。



途中までは整備された舗装道だったものが、急にひどい山道となる。あまり整備もされていない急坂を攀じ登るように進んでいく。織田軍が築城したものではなく、元からある小城を分捕ったものだから大して守備力の高い城とは思わなかったけど、なかなかのものだ。



中腹まで登ると、先ほどまで歩いていた雪野山、安妃山、腰越山、明神山の連山がよく見渡せる。確かに龍と言われれば、そうも見えなくもない。まあ龍なんて見たことが無いんだけど…。



頂上に近づくにつれて石垣跡なども現れる。六角氏といえば、近江源氏の名族だけれど、得意技は甲賀の衆を動員しての山岳ゲリラ戦。平野部の拠点が脅かされると、すぐ甲賀に逃げ込んで織田軍を悩ませていたはずだ。そんな六角だけに柴田勝家も難儀させられたはずだ。



かなり疲れさせてくれたけれど、瓶割山(234m)に無事登頂。山頂部は二の郭になっていたようだ。勝家ファン(がどれほどいるのかは知らないけれど)の聖地だというのに、ごく普通の山頂碑があるだけ。柴田勝家の銅像があってもいいと思うんだけど…。



山頂に隣接するピークが一の郭があったところのようだ。こちらの方が平坦部は広いけど、300くらいの兵を収容するのが精々のに思える。10倍の六角勢に囲まれたものの、瓶割り柴田とも鬼柴田とも呼ばれる勝家の号令一下、六角勢を打ち破ったシーンは実に印象深い。



大手筋から下山。結構急坂だ。当時、浅井長政が織田を離反し、近江における信長は窮地に立たされていた。それだけにこの城での勝利の意味は大きかったはずで、この戦の結果次第では直後にあった姉川の戦いの帰趨が変わっていた可能性は低くないはずだ。



瓶割柴田の話は虚構とも言われる。でもコロンブスの卵やワシントンの桜の木など、英雄譚の多くは後付けだ。後世の人々に「いかにも」と思わせた事績を有した人物である証左なのだ。が、道中見つけた瓶割柴田が案内板の小さく貧相な武将だけ、というのが悲しすぎる。



それにしても、この山って守りにくいよなぁ…。四方八方を見渡すことができるとはいえ、四方八方から攻め立てられる。さすがの勝家も、この城の守将に任じられた際には、厄介なことになったぞと思ったはず、なんて考えながら、近江鉄道の平田駅まで歩いて帰る。



距離10.1㎞、獲得標高517m。所要時間は5時間50分。