中山道(8)(倉賀野~安中)

 2025年2月15日


昨日赤城おろしにやられて引いてしまった風邪は、朝になっても癒え切らず出発を逡巡していたけれど、11時を過ぎてようやく倉賀野駅から始動し、宿場町の後半を見て回る。本陣は残されていないものの、脇本陣跡にはそれっぽい建物がある。



高札場も復元されている。バテレン(宣教師)を訴え出た者には銀500枚、イルマン(修道士)なら銀300枚の報奨金が出るという。銀500枚といえば、現在価値で4000万円ほどにもなるようだ。



倉賀野宿を過ぎると、復元された松並木が現れる。石碑には「左側通行」とある。どうやら中央分離帯のように松並木を配置していたようだ。



高崎を始点とする上信電鉄。いかにもローカル線らしい単線だけれど、国内では4番目に開業した私鉄なのだ。信越両国と江戸を結ぶ物資の集散地、高崎の繁栄ぶりが窺える。もっとも信州まで延伸するつもりで上新電鉄と名付けたものの下仁田止まりとなっている。



人口37万、群馬県の最大都市となる高崎の市街地にやってきた。突き当りが高崎駅の西口。道路幅が広く、開放感のある街並みだ。



寄り道して高崎城址へ。もとは井伊直政が築城したものだ。広大な城域は今では高崎市役所、医療センター、音楽センターなどに分割されているけれど、僅かに乾櫓と長屋門が残されている。実は一旦農家に払い下げられて納屋になっていたものを買い戻したらしい。



群馬音楽センターの前には、大きな弦楽器(チェロ?)のオブジェが立っている。が、近づいてみると、なんと電話ボックスだと判って驚かされる。



さらに巨大な象の藁人形が立っている。高崎と象の関係は良く判らないけれど、高崎ってかなりアートな街だ。



中山道に戻り、高崎市街地を西へと横断。大都市のはずが、城下町の堅苦しさのため敬遠されがちな宿場町だったそうで、本陣も脇本陣も無かったそうだ。蔵造りの古い商家なども少しは見られるものの、街道や宿場町の風情はほとんど感じられない。



高崎を過ぎれば、いよいよ広大な関東平野の西端も間近だ。東京からほぼ途切れることなく続いてきた都市圏を抜け出し、ようやく田舎にやってきたような気がする。浅間山が一層存在感を増してきた。



遠くに見える立像は高崎観音に違いない。高さは41m。近年は100m級の仏像が増えてきたので大した巨仏といえなくなってきたけれど、築90年近い高崎観音は今なお高崎屈指の名所となっている。



市の西部にはいくつものダルマ工房が見られる。上州のからっ風がダルマに張る紙の乾燥に適していたことで生産が始まったそうだけれど、江戸時代に天然痘が流行った際、赤いダルマが厄除けになると江戸の人々が買い求めたことで爆発的に成長したらしい。



今では赤だけでなく、色とりどりのダルマが生産、販売されている。駅の土産物屋を覗いてみても、やはりイチオシは様々なダルマグッズだ。



藤塚の一里塚。日本橋から数えて28番目の一里塚となるけれど、現存する一里塚は随分と久しぶりだ。塚木は樹齢200年超の榎だという。



群馬県内に入ってから、1㎞ほどおきに中山道の木製標識が立っている。次の宿場町までの距離が書かれているのだけれど、老朽化してほとんど読めない…。文字だけでも上書きしてもらえないものかと思う。



群馬県は長野県と並んで道祖神が多い地域だという。特に目を惹くのは男女双対道祖神というもの。仲の良い夫婦が寄り添っているような絵柄にはホッコリさせられる。



第九中仙道踏切。中山道歩きの途中から気付いたのだけれど、どうやら中山道がJRを横断する踏切には通し番号が付けられているようだ。確か熊谷の踏切が第六だった。ひとつひとつを丁寧に確かめてくれば良かった…。



板鼻宿に到着。かつての本陣は公民館になっている。和宮は京を出て20日めにここで宿泊したらしい。2万人以上もが付きそう前代未聞の大行列で、ゆっくりと降嫁したように思っていたけれど、ここから5日で日本橋に到着しているのだから一日24㎞ほどにもなるペースだ。



公民館の裏には和宮資料館がある。かつて和宮が宿泊したという書院だ。大して居心地の良さそうな建物には見えないけれど、伊賀者が床下で警護するなど、とにかく安全第一だったのだろう。残念ながら休日は内部見学できない。



板鼻宿には清水を満々とたたえる用水路が流れている。碓氷峠か榛名山の方から湧き出た水だろうか。人工の用水路だというのに一切の汚れを感じさせない清らかな水だ。醒ヶ井の用水路にも似たところだ。それぞれのお宅ではこの水を生活用水に引き込んでいるらしい。



出発が遅かったせいもあって、早くも17時前。西の空は夕景色だが、異様にゴツゴツした山が聳えている。妙義山だ。これまた群馬を代表する親分さんだが、登れるのような気がしない。山の傾斜は垂直よりさらに反り立っている。



碓氷川。山にも近いだけにゴツゴツした川原石が転がっていそうなところなのに、やけに丸っこい石ばかりが目に付く。ここまで転がってくる間に早くもこれほどに削られたということか。この後の道の険しさが思いやられる。



安中市に入る。群馬県最西端の市になり、気持ちは高揚するけれど、信越本線の安中駅で今日はフィニッシュ。安中駅の西側にある安中宿の散策は明日の楽しみとしよう。




安中といえば、かつて安中藩主が藩士に課したという遠足(とおあし)で知られる。安中から碓氷峠までを走らせた(歩いていた?)という。距離30㎞、標高差1000m。日本におけるマラソンの発祥と言われるが、今も年1回これを記念したマラソンが開催されている。



歩行距離16.9㎞、所要時間は5時間45分。風邪気味だったけど、なんとか目標を達成することができた。もっとも体はクタクタだ。明日は安中宿から横川を目指すつもりだけれど大丈夫だろうか。勾配もきつくなりそうだ。