中山道(9)(安中~横川)

 2025年2月16日


中山道遠征も3日目。風邪の症状は治まったけれど、身体はクタクタ。高い交通費を払ってここまで来たからには、とは思うけれど3日連続で歩くのは今では随分と辛い。帰路の時間に余裕を持たせるため、大きな亜鉛工場がある安中駅に始発でやってきた。



さあ、安中宿の探索だ。が、期待していたほどに宿場町の風情は見られない。郵便局前には本陣跡を示す簡素な標識が立つだけだ。



旧街道といえば、道幅はせいぜい3~4間(5~6m)くらいのものだと思うんだけれど、日本橋からこのかた、どこも道幅は拡張されていて、旧街道らしい雰囲気にはまだ出会えない。



安中藩士の住宅が再現保存されているというので、少し寄り道して見学する。開館時間前なので塀の外から覗き込むだけだけど…。これはおそらく下級武士が住んでいたと思われる4軒長屋。庭付きとはいえ、広さはせいぜい40~50平米くらいだろうか。質素なものだ。



こちらは奉行職にあった武士の家。門付き、庭付きの一戸建て。なかなか重厚で住み心地の良さそうなお宅だ。



今では大きな亜鉛工場や化学工場が市の主要産業のようだけれど、かつては養蚕で栄えたという。古く重厚な蔵がいくつも見える。



安中の西木戸跡。この先はいよいよ中山道最大の難所とも言われる碓氷峠に向かって、勾配がきつい道になるようだ。



新島襄の生家を訪問。同志社の創設者というより、会津若松城でスペンサー銃を撃ちまくった八重の旦那さんとして知られているかもしれない。下級武士というけれど、結構大きなお宅だ。藩主に認められて蘭学を学んだというから、もっと上の位だったのかもしれない。



貯水槽には安政遠足の絵が描かれている。今まさに歩いているのは当時の遠足で武士たちが走った(歩いた?)道だ。碓氷峠までなんて元気な時でも到底ムリだ。2日間の街道歩きの疲れが重く蓄積しているけれど、なんとか横川駅まで辿り着きたいものだ。



「中山道しのぶ安中杉並木」と上毛かるたにも取り上げられている杉並木。こういう道にやってきると俄然元気になる。400年ほど前に整備されたものだという。排気ガスで枯れる木も多いと聞くけれど、是非とも保護してもらいたいものだ。



赤城山、榛名山とともに上毛三山と呼ばれる妙義山。松井田宿からすぐのところだ。登山でも人気の山だそうだけれど、ポンコツハイカーにはとても登れる山には見えない…。



いよいよ道路標識に軽井沢の文字が現れた。道の向こうには浅間山が聳えている。



松井田宿。日本橋から数えてようやく16番目の宿場町だ。中山道69宿の2割を少し超えたに過ぎないことに愕然としてしまう。古い低層家屋が多く、ようやく田舎町にやってきたという気がする。



薬局なども宿場町を意識した意匠で建設されている。疲労が蓄積した足腰は既に悲鳴をあげ、松井田駅から帰ろうと言い始める。この先は更に坂が続くだろうけれど、ゆっくりでも何とか横川駅を目指そう。



落ち着いた街並みではあるけれど、ここも本陣や脇本陣は残っていない。ごく簡単な説明板が電柱に括り付けられているだけだ。



松井田宿をさらに西へ1時間ほど歩くと、五料茶屋本陣がある。参勤交代の大名などのために設けられた休憩所のようなものらしい。内部も見学できるようだけど、既に足腰はパンパンで、一旦靴を脱いだらもう歩けなくなりそうな気がしたので見学は控えた。



地味な坂道を登って横川を目指す。夜泣き地蔵と茶釜石。叩くと釜のような音が鳴るらしいけれど、お地蔵さんに睨まれているようで、叩くことはできなかった。



信越本線。新幹線開通に伴う並行在来線の縮小が行われた結果、多くの区間が3セク化された。さらに横川~軽井沢間は廃線になり、その結果、信州や越後とも分断され、高崎~横川の8駅間を一編成の普通列車が行き来するばかり。「信越」でも「本線」でも無くなった。



遠く谷合に横川の集落が見えてきた。もうひと息だ。手前の山が近づいてきたせいか浅間山はむしろ見えにくくなってきた。この寒さでは碓氷峠に挑むことはできないけれど、また暖かくなってから戻ってくるぞ。



13時半、ついに横川駅に到着。疲れと痛みに耐えてよく頑張った。昼食も摂らずにやってきたのは、おぎのやで横川名物、峠の釜めしを食べるため。



持ち帰りで駅舎のベンチで食べるつもりだったけれど、店に空席があったので、店内で釜めし定食を食べる。釜めし1400円に300円プラスで、みそ汁、香の物、さらに碓氷峠の力餅がひとつ付く。一気に平らげてしまった。



横川駅舎。近くには碓氷関所跡や鉄道関係施設もあって、観光客が随分と多い。もっともここまで歩いてきた人はさほど多くはないはずだ。春には横川駅から坂本宿を経て、碓氷峠、そして軽井沢を目指すため再訪したい。



寸断された信越本線。どことなく物悲しい。ここから軽井沢までの廃線ウォークというのもあるらしい。とても気になるぞ。街道も歩きたいし、廃線跡も歩きたい。次回はもう少し時間的な余裕を持ってやってくることにしたい。



距離19.5㎞、所要時間は6時間19分。獲得標高も390mと中山道歩きで初めて登りらしい道を歩いたけれど、まだまだ序ノ口。この先の碓氷峠は相当大変だと聞く。



日本橋から9日かけて、ようやく長野県境手前の横川。少しずつ歩行軌跡は伸びてはいるものの、いつになったら京都に辿り着くのか、考える気にさえならない。