みどころすたんぷ(松阪)

2014年3月16日(日)


用事が立て込み、週末のウォーキングができない日が続いたが、外出のついでに足を延ばして、松阪市までやってきた。「みどころすたんぷ」なるスタンプラリーが開催されている。



市内の観光ポスターには、松阪牛、本居宣長、松阪木綿、松阪城、立野古墳といった、松阪市のウリがテンコ盛りに描かれている。これらに関する8ヶ所がスタンプポイントになっているが、市内の1キロ四方程度のエリアにあるため、お手軽な散策用のスタンプラリーだ。



松阪市の駅前には、大きな鈴のモニュメント。鈴の収集家で知られた本居宣長に因むものらしい。市内の下水マンホールの蓋にも、鈴が描かれている。



駅前ロータリーの車止めは、小さな松阪牛のモニュメントになっている。



駅前の観光案内所は、英語、中国語、韓国語の表記もある。おそらく松阪牛を目当てに、世界から観光客がやってきているようだ。



駅から程近いスタンプポイント、岡寺山継松寺。厄除け観音で有名なお寺らしい。



三井家発祥の地。残念ながら鉄柵があって、中には入ることができない。三井が始めた「現金掛け値なし」というのは、当時は画期的な商法だったらしい。



「松阪商人の館」として一般にも開放されている、小津家の旧宅。紙問屋として、国内有数の豪商だったらしく、館内には当時、大関とかにランキングされた金持番付が残されていた。千両箱ならぬ、万両箱というのも展示されていた。小判が入ってないので、ただの木箱なんだけどね。





歴史民俗資料館。松阪で発達した木綿織や、松阪城を築城した蒲生氏郷に関する展示を見て回る。



蒲生氏郷は、ここに三重五層の天守を築城したそうだが、江戸時代初期に台風で倒壊したらしい。古田重勝という古田織部の甥と伝わる人が初代松阪藩主だというが、その後転封して松阪藩は生滅した。津の藤堂藩に組み込まれたと思っていたのだが、紀州藩の一部になったそうだ。



城壁には柵も何もない。小学生以下は保護者同伴でないと城跡に入らないように、との注意書きが見られる。恐る恐る石垣の間際までやってきたが、かなり怖い・・・。



天守台に登る階段も、武骨な石積み。勾配も大きく、上るのも下るのにも、注意力を集中させなければならない。



そうして上った天守台は、広い空地になっている。



松阪城の搦手にある御城番屋敷。城の警護にあたった藩士の武家長屋。無論復元したものだと思うが、ほとんどの家屋は、フツウの住居として使われていた。市営住宅になっているのかなぁ・・・。生垣が美しいが、当時もあったのだろうか。あまり時代劇では見ない光景だ。




御城の傍にある本居宣長記念館にも立ち寄る。 美しい文字を書くことで知られた宣長の直筆が数多く展示されている。楷書も行書も印刷されたように整った文字だ。



宣長が愛した鈴が、お土産として販売されている。



宣長が暮らした家が、記念館の傍に移設されている。鈴の間、として知られる宣長の部屋は、二階にあるが、屋内からは立ち入ることができない。外部から、大きく開いた窓を通じて覗き込むような仕掛けになっている。



松阪市内で発掘された埴輪などを保管・展示している文化財センター。古い紡績工場の赤レンガ倉庫を再利用したものだそうだ。



と、あちこち歩き回って、スタンプラリーは無事終了。文化財センターでプレゼントに応募する。1等賞は松阪牛500g。



この辺りを歩いていて、目についたのが、注連飾り。正月だけでなく年中飾っているようだ。



注連飾りといえば、柑橘系の果物がつきものだが、土地柄、伊勢エビが付いたものも見られる。



まったく奇遇なことだが、 夕刻、市内でテレビを見ていると、秘密のケンミンショーが放送(再放送?)されていて、この伊勢地域の注連飾りに関する風習が紹介されていた。スサノオノミコトがこの地にやってきた際の伝説に由来するものらしい。

沿線散歩(10)姫路妻鹿+官兵衛スタンプラリー

2014年3月2日(日)


雨もすっかり上がり、近鉄・阪神・山陽3社沿線クイズ&スタンプラリー「沿線散歩」の姫路コースに出掛ける。「黒田官兵衛を学ぼウオーク」といったタイトルが付いているように、大河ドラマに便乗した格好だが、妻鹿の山巡りは元より歴史ファンやハイカーに根強い人気があるところだ。



阪神梅田駅から直通特急を利用しても1時間半以上も掛かってしまって、スタート地点の妻鹿に到着したのは正午前。久しぶりの妻鹿駅は、かつての昭和レトロの雰囲気が無くなり、小ざっぱりした駅に改装されていた。



駅前には、軍師黒田官兵衛と一文字ずつ書かれた提灯が吊り下げられている。これって、秋に開催される灘のけんか祭りの為に設置されているゲートのはずだ。



大きな漁村だったとか、牡鹿が家島諸島の男鹿島へ海を渡ってしまい、牝鹿が残ったのがこの地だといった伝説などを聞いたことがあるばかりで、街中はあまり探索したことが無かったので、沿線散歩のコースを歩く前に迷路のように狭い路地が入り組んだ妻鹿の町を散策。意外にお寺が多いところで、教念寺には大きな仏足石があった。



黒田官兵衛の父、黒田職隆の墓が妻鹿駅の北の住宅街の中にある。どうやら長い間放置されて荒れ果てていたものを、地元の有志が30年ほど前に整備したもののようだ。ここは、「播磨物語、黒田官兵衛ゆかりの地スタンプラリー」のスタンプポイント。スタンプラリーの応募期限は既に過ぎているが、しばらくの間、スタンプは残しておいてくれるようだ。



八幡神社の境内に、妻鹿出身と伝わる母里太兵衛の生誕地の碑があった。槍の名手で、黒田節の逸話の主人公として有名な黒田官兵衛の腹心だ。それにしても石碑も説明板も、昨年秋の製作。大河ドラマが決まって、手っ取り早く神社の境内に、慌てて建立したものと思われる。



国府山城、あるいは妻鹿城、と呼ばれる官兵衛の居城があった甲山の麓の荒神社に、妻鹿城址の石碑がある。



黒田家が世に出るきっかけとなった「目薬の木」も境内に植えられている。そもそも目薬の木とは何か、使うのは樹液なのか葉なのか根なのか、さらには目にさすものか、塗るものか、服用するものか、全く説明がない。帰宅して調べると、日干しした樹皮を煎じたもので目を洗うものらしい。驚いたことに、メグスリノキが「本名」だった。



ここでも、播磨物語・官兵衛ゆかりの地のスタンプをゲット。これで24ヶ所中、16コをゲットしたことになるが、残りには遠隔地が多い。コンプリートは容易ではない。



沿線散歩のコースを外れて、せっかくなので国府山城に登ってみることにする。登山口には沢山の竹杖が用意されている。要らぬお世話とも思えたが、念のため手に取って上り始める。



以前にも登ったことはあるが、そこそこの登り道が続き、良い運動になる。未だぬかるんでいるところも多く、杖に大いに助けられた。



市川に沿った妻鹿の町や、その向こうの工場地帯と瀬戸内海まで良く見渡すことができる。



主郭があった頂上付近からは、改修中の姫路城は勿論、以前訪問した増位山、広峯山、書写山、青山、英賀城址など、官兵衛ゆかりの地をぐるりと見渡すことができる。



山を下りて、姫路バイパス自動車道の脇に設置されている歩道を通って市川を西に渡る。



先ほど登った甲山が市川の向こうに見える。火力発電所から出る煙が、城の危急を告げる狼煙のようだ。



姫路市役所の傍を流れる外堀川。3kmほども北にある姫路城から真っ直ぐに南に流れている。姫路城の規模の大きさが窺い知れる。



姫路を代表する日本酒メーカー、灘菊酒造で一休み。お洒落なレストランも併設されている。



工場内は自由に探索できる。定期的にガイドツアーもしているようだ。



灘菊酒造の門前にあるロンドンバスの横に、栗山善助屋敷跡、とかかれた碑がある。伊丹有岡城に幽閉されていた官兵衛を救出した忠臣として知られ、黒田家の筆頭家老になった人だ。説明文を読むと、この地のかつての住所は、栗山字古屋敷だったそうだ。



生野で産出された銀を飾磨港に輸送する道であったことから、銀の馬車道とも呼ばれる飾磨街道を南に歩く。



飾磨街道に面して建てられている亀山御坊本徳寺。浄土真宗西本願寺派の古刹だ。大きな境内に立派な本堂があるが、本堂の障子に、黒田官兵衛のポスターが何枚も貼られているのは、いかがなものかと思う。



ゴールの飾磨駅に到着。軍師官兵衛のデコレーション列車が、姫路駅に向かって出発するところだった。



 まとめ


歩行距離   11kmくらい
所要時間   191分 (3時間11分)
歩数      16700歩

【当選】西はりまスタンプラリー

2014年3月1日(土) ②


加古川で開催されている「黒田官兵衛と光ゆかりの地クイズラリー」を終えて帰宅すると、宍粟市から郵便が届いていた。1月初頭に、龍野や太子を歩き回った「西はりまスタンプラリー」の賞品だ。三等賞の「西播磨の地場産品」が当たったのだ。



そもそも、1等の旅行券、2等のビデオカメラが各1名の当選だけに、3等というのは悪くない。姫路なら「しろまるひめの縫いぐるみ」、たつのなら「揖保乃糸」といった具合だが、宍粟市が提供している賞品は「しーたん(宍粟市のマスコットのようだ)の糊付メモ用紙」・・・・・・。もっとも実用的な品物だ。有難く頂戴させていただこう。

封筒には、「読めますか?兵庫県『しそうし』です」のスタンプが押されていた。全国で最も読めない市名だと聞いたことがある。





続・黒田官兵衛と光ゆかりの地クイズラリー(加古川)

2014年3月1日(土)



先週10ヶ所のうち6ヶ所踏破で終わってしまった、加古川の「黒田官兵衛と光(てる)ゆかりの地クイズラリー」の残りをやっつけることにする。朝からグズついた天気だが、意を決して加古川駅に到着。光(てる)姫のパネルが、にっこりと出迎えてくれたが、雨はシトシト降り続いている。



先週は、光姫の出生地の志方城跡を訪問した後、その西にある長楽寺まで歩いて終了となったが、今日は、まず志方地区の東端にあるある安楽寺へ。、この寺の見どころと言われる、壁面に描かれた地獄極楽絵図と極彩色に彩られた十王像を、ガラスを通して覗きこむが、お堂の中が暗くて良く見えなかった・・・。



さて、問題は次のポイント「志方の城山」。中道子山城、あるいは赤松城とも呼ばれるこの城は、東播随一の規模を誇る城郭だったというが、秀吉軍による火責めで落城したらしい。城山の麓に、種鶏場なるものを発見。種馬とか種牛のように、種鶏というのもあるのか、と思ったが、鶏の場合、特別な血統を持つ優秀な雄鶏という意味ではないようだ。



高さは270mほどだが、登山口から頂上まで1.9kmもあるようだ。雨は止まないし、道もぬかるんでいることは間違いないが、ここは登るしかないだろう。往復1時間半くらいは歩くことを覚悟していざ出発。



ところが、一念発起の山登りを開始して、ものの2分もしないうちに、クイズポイントに遭遇。こちらは、山に登る気マンマンだったのに・・・。でも、クイズポイントまでやってきたことだし、雨も降っていることだし、急に軟弱になってUターン。まあ、ウォーキングは臨機応変が肝心だ。



近畿自然歩道になっている道を、次のポイントの円照寺に向かって歩く。近畿自然歩道って、あちらこちらで出会うけど、沢山のコースがあって、全貌が判りにくい。この道は、山陽道コースの一部になっているようだ。



円照寺には、秀吉が対島津戦の陣鐘に使うため、周防国の寺院から略奪した鐘が残っている。庭の手入れをされていたオジサン(住職?)が、鐘付堂にのぼって、銘文を読めと勧めてくれる。明応七年の文字が読み取れる。応仁の乱の真最中に製作されたものということになる。



円照寺は、花の寺としても有名。未だオフシーズンだが、ご住職?がわざわざ案内してくださった。ツバキなどは全国から何百もの種類を集めているそうだ。そして、これがご住職?の一押しの、アメリカのツバキだそうだ。



円照寺は近年移転したらしく、元の円照寺があったところは、別院となっている。別院の傍に、見事な蝋梅(ロウバイ)の木がある。黄色の花も可愛らしいが、甘い香りがとてもいい。



ちなみにツボミは、こんな感じ。



残るポイントは、日光山常楽寺だけ。といっても、まだ2kmしか歩いていない。志方の城山への登山をパスはしたものの、ここから常楽寺までは優に10km以上は歩かなければならない。さて、どの道を行くか思案しながら歩いていると、堂山の六地蔵石棺仏に遭遇。室町時代後期のものらしいが、良く保存されている。



城山登山を断念したこともあって、遠回りして、権現ダムなるものを見て行くことにする。なだらかな山道を上っていくと、大きな池がいくつも見える。灌漑用の池だろうが、冬の枯れ木の向こうに見える池は、とても静かで青く澄んでいる。



円照寺から「権現ダムまで4kmくらい。ドライブにもハイキングにも楽しそうな道が山林を貫いている。ところが、雨のせいか、季節のせいか、歩いている人は勿論、車の通行も全くない。



道は立派なのに、人の気配が全く感じられない。道の横に警ら箱を発見。中はどうなっているのか、覗いて見ると、巡回した際の記録としてスタンプを押すカードが入っていた。こういうものは、重点警戒地区に置かれることが多いと聞いたことがあるが、確かに、人目が無さすぎる。



権現ダムに到着。かなり大きなダム湖だ。越流壁がジグザグ状になっているのがユニーク。しかし、この形状、どういう効果があるのだろうか・・・。



ダムの堰堤は、ソーラーパネル設置工事のため通行止、との表示があった。どうやらダム湖とは反対側にある広大な南斜面にパネルを設置するようだ。歩行者は通っても良さそうだったので、ダムを西に渡る。



加古川右岸自転車道。高砂海浜公園から加古川に沿って北上し、権現ダム湖を一周して志方東までの22.5kmのコースのようだ。高砂海浜公園はお気に入りスポットだし、路面も良く整備されているようで、歩いてみたい道だ。自転車をモチーフにした案内板も可愛い。



権現ダムを過ぎると、常楽寺まで、全く見どころが見当たらない。真っ直ぐで退屈な道を延々と歩かなければならない。



集落に入っても、やはり何もない道が続く。降り続く雨のせいだろうか、全く人に出会わない。10人のうち9人は傘を差す程度の雨なんだけど、ずぶ濡れになった帽子を唯一の雨除けにして、トボトボ歩く。もっとも差そうにも傘を持ってきていない・・・。



コミュニティバスが1日に2本走っているようだ。医院駐車場というバス停名も凄いが、セブンイレブンというバス停名は、ありそうで、なかなか無いのではなかろうか。



気分転換に、加古川の河畔出て、川岸を歩く。自動車がかなりスピードを出して走っているので、ちょっと怖い。



ついに、日光山常楽寺に到着。いやぁ、長かった。歩き疲れたというのではなく、歩いても歩いても時間が進まない(当然のことながら距離も進まない)というウォーキングだった。降雨に加えて、気を取られるような面白いものに出会わず、退屈な道を歩いたからだろう。



常楽寺には、鎌倉時代や室町時代の石塔などが残されている。もっとも大伽藍は、秀吉の播磨攻めの際に焼け落ちたそうだ。糟屋武則など一部の例外を除き、加古川の城も寺も反秀吉だったわけだから、かなりの建造物が焼失したことだろう。



常楽寺で、無事すべてのクイズポイントを歩き切り、これでお終い、と言いたいところだが、ウォーキングは未だ未だ続く。常楽寺の傍にはJRの加古川線が通過しているものの、ちょうど駅と駅の中間。最寄りの厄神駅までは、3kmほども歩かなければならない。



 加古川線はワンマン列車。バスのように、運賃表と料金箱が運転席の後ろに設置されている。



まとめ


歩行距離     約17km
所要時間     266分 (4時間16分)
歩数        30500歩