2014年3月2日(日)
雨もすっかり上がり、近鉄・阪神・山陽3社沿線クイズ&スタンプラリー「沿線散歩」の姫路コースに出掛ける。「黒田官兵衛を学ぼウオーク」といったタイトルが付いているように、大河ドラマに便乗した格好だが、妻鹿の山巡りは元より歴史ファンやハイカーに根強い人気があるところだ。
阪神梅田駅から直通特急を利用しても1時間半以上も掛かってしまって、スタート地点の妻鹿に到着したのは正午前。久しぶりの妻鹿駅は、かつての昭和レトロの雰囲気が無くなり、小ざっぱりした駅に改装されていた。
駅前には、軍師黒田官兵衛と一文字ずつ書かれた提灯が吊り下げられている。これって、秋に開催される灘のけんか祭りの為に設置されているゲートのはずだ。
大きな漁村だったとか、牡鹿が家島諸島の男鹿島へ海を渡ってしまい、牝鹿が残ったのがこの地だといった伝説などを聞いたことがあるばかりで、街中はあまり探索したことが無かったので、沿線散歩のコースを歩く前に迷路のように狭い路地が入り組んだ妻鹿の町を散策。意外にお寺が多いところで、教念寺には大きな仏足石があった。
黒田官兵衛の父、黒田職隆の墓が妻鹿駅の北の住宅街の中にある。どうやら長い間放置されて荒れ果てていたものを、地元の有志が30年ほど前に整備したもののようだ。ここは、「播磨物語、黒田官兵衛ゆかりの地スタンプラリー」のスタンプポイント。スタンプラリーの応募期限は既に過ぎているが、しばらくの間、スタンプは残しておいてくれるようだ。
八幡神社の境内に、妻鹿出身と伝わる母里太兵衛の生誕地の碑があった。槍の名手で、黒田節の逸話の主人公として有名な黒田官兵衛の腹心だ。それにしても石碑も説明板も、昨年秋の製作。大河ドラマが決まって、手っ取り早く神社の境内に、慌てて建立したものと思われる。
国府山城、あるいは妻鹿城、と呼ばれる官兵衛の居城があった甲山の麓の荒神社に、妻鹿城址の石碑がある。
黒田家が世に出るきっかけとなった「目薬の木」も境内に植えられている。そもそも目薬の木とは何か、使うのは樹液なのか葉なのか根なのか、さらには目にさすものか、塗るものか、服用するものか、全く説明がない。帰宅して調べると、日干しした樹皮を煎じたもので目を洗うものらしい。驚いたことに、メグスリノキが「本名」だった。
ここでも、播磨物語・官兵衛ゆかりの地のスタンプをゲット。これで24ヶ所中、16コをゲットしたことになるが、残りには遠隔地が多い。コンプリートは容易ではない。
沿線散歩のコースを外れて、せっかくなので国府山城に登ってみることにする。登山口には沢山の竹杖が用意されている。要らぬお世話とも思えたが、念のため手に取って上り始める。
以前にも登ったことはあるが、そこそこの登り道が続き、良い運動になる。未だぬかるんでいるところも多く、杖に大いに助けられた。
市川に沿った妻鹿の町や、その向こうの工場地帯と瀬戸内海まで良く見渡すことができる。
主郭があった頂上付近からは、改修中の姫路城は勿論、以前訪問した増位山、広峯山、書写山、青山、英賀城址など、官兵衛ゆかりの地をぐるりと見渡すことができる。
山を下りて、姫路バイパス自動車道の脇に設置されている歩道を通って市川を西に渡る。
先ほど登った甲山が市川の向こうに見える。火力発電所から出る煙が、城の危急を告げる狼煙のようだ。
姫路市役所の傍を流れる外堀川。3kmほども北にある姫路城から真っ直ぐに南に流れている。姫路城の規模の大きさが窺い知れる。
姫路を代表する日本酒メーカー、灘菊酒造で一休み。お洒落なレストランも併設されている。
工場内は自由に探索できる。定期的にガイドツアーもしているようだ。
灘菊酒造の門前にあるロンドンバスの横に、栗山善助屋敷跡、とかかれた碑がある。伊丹有岡城に幽閉されていた官兵衛を救出した忠臣として知られ、黒田家の筆頭家老になった人だ。説明文を読むと、この地のかつての住所は、栗山字古屋敷だったそうだ。
生野で産出された銀を飾磨港に輸送する道であったことから、銀の馬車道とも呼ばれる飾磨街道を南に歩く。
飾磨街道に面して建てられている亀山御坊本徳寺。浄土真宗西本願寺派の古刹だ。大きな境内に立派な本堂があるが、本堂の障子に、黒田官兵衛のポスターが何枚も貼られているのは、いかがなものかと思う。
ゴールの飾磨駅に到着。軍師官兵衛のデコレーション列車が、姫路駅に向かって出発するところだった。
まとめ
歩行距離 11kmくらい
所要時間 191分 (3時間11分)
歩数 16700歩