とよなか百景(神崎川~伊丹空港)

2019年10月19日(土)


先日3コース中2コースを踏破した「とよなか百景スタンプラリー」。今日は残る1コースをやっつけてしまおう。



阪急神崎川駅をスタート。目指すは伊丹空港の西にあるスカイランドHARADAというスポーツ施設だ。



以前も訪問したことがあるグリーンスポーツセンター。下水処理施設の上に、グランドやテニスコートが設置されている。下水処理施設にありがちな負のイメージは全く感じられない。



神崎川近くの遊歩道の脇に外島樋門跡と書かれた石碑が立っている。豊中市南部を灌漑した用水の終着点がここにあったらしい。



椋橋総社。かつて素戔嗚尊が鯉に乗って神崎川からこの地に降臨したと伝えられているそうで、「鯉の宮」の別称で知られている。



鯉池や鯉塚があるのはもっともなんだけど、赤い鯉の石像が広島カープの帽子を被っていることには驚いた。




旧猪名川の堤防に設置された遊歩道を北へ北へと歩いていく。堤防の対岸は尼崎市になるようだ。




名神高速のあたりでかつては灌漑用水だったと思われる水路に沿った道を進む。



水路には魚も棲みついているようで、鴫などが獲物を狙っているようだ。




利倉にある春日神社では秋祭りの真っ最中。それにしても、このあたりには「春日神社」が多いように感じる。



春日神社の北に「蛍ドーム」なるものがある。下水を高度処理して整備したせせらぎの周囲に草木を植栽し、蛍も養育しているようだ。



下水処理場からの水とは思えない静かなせせらぎ。水辺では散策や水遊びを楽しめるようになっている。



「大阪植物取引所」なんてものを発見。外からはどんなことをしているのか窺い知ることができないが、どうやら生花の取引をするところのようだ。高速道路だけでなく伊丹空港にも近いところだけど、空輸されてくる生花もあるのだろうか。



これは案山子かぁ?畑にパンダやらアンパンマン(かなぁ?)の人形が立っている。




伊丹空港の南端にやってきた。千里川の堤防は伊丹空港に着陸する飛行機を真下で見ることができる人気スポットだ。多くの人が立派なカメラを構えている。



スマホでも結構いい写真を撮ることができる。超低空で滑走路に着陸しようとする飛行機の迫力は相当なもの。頭上から伝わってくる轟音と空気の振動は、他では体感できるものではない。




あっという間に頭上を通過し、飛行機は滑走路に滑り込んでいく。



これといった施設もないところなのにコインパーキングがある。明らかに千里川堤防に飛行機を見に来た人たちのための駐車場だ。記憶が曖昧だが、40年ほど前には千里川堤防に車を乗り入れることができたはずだ。



豊中市と伊丹市が府県を超えて共同運営しているごみ処理施設、クリーンランドの横を通過する。ごみ処理場とは思えない緑の覆われた広大な施設だ。



夕闇が迫る頃、ゴールのスカイランドHARADAに到着。原田下水処理場の上に大きなグランドなどが設置されている。神崎川のグリーンスポーツセンターと同じコンセプトだ。



スカイランドHARADAの事務所でマンホールカードを配布していた。大阪府と兵庫県の流域下水道のカードを2枚いただいた。




さらに伊丹空港の近くまで歩き、スカイパークにも立ち寄る。ここでは真横から離着陸する飛行機を見ることができる。



伊丹市バスの岩屋バス停まで歩いて帰路につく。伊丹市バスに乗ったのは初めてだ。



本日の歩行軌跡。約11km。



モバイルスタンプラリーも全20ヶ所のスタンプポイントをコンプリート。スマホから記念品に応募する。






おおいそめぐり(大磯町)

2019年10月15日(火) ②


東海道五十三次ウォークの途中、大磯町で「おおいそめぐり」スタンプラリーに出くわす。さほどの寄り道にもならなそうだし、スタンプポイントには面白そうなところが多いので、可能な範囲でチャレンジしてみよう。



まずは駅近くにある元木下家別邸。大正元年に建設されたという東京の貿易商の別宅だ。三角屋根が可愛いお洒落な洋館は、今ではレストランとして活用されていた。





大磯町立図書館もスタンプポイントになっている。こちらも三角屋根だ。




大内館という旅館の離れになっている「蔵にて」という喫茶ラウンジ。関東大震災の直後に建てられた当時の最高強度を有する蔵らしい。開店前のせいかスタンプゲットならず。もとよりコンプリートは難しいとは思っていたけど、3ヶ所めで早くもギブアップだ。




次なるスタンプポイントは見るからに老舗の和菓子屋「新杵」。吉田茂も愛したといわれる饅頭や豆大福を購入するつもりだったのに、こちらは定休日。





吉田茂がしばしばロールスロイスでやってきたという井上蒲鉾店。吉田茂の好物はハンペンだったらしいが、名物のさつまあげを購入。これが予想を遥かにに超える旨さ。白身魚のすり身の旨味が口の中に広がる。追加購入してしまった。





鴫立庵。京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並ぶ日本三大俳諧道場なんだそうだ。西行がこの地で詠んだ「心なき身にも憐れは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」に由来するという。





鴫立川のせせらぎと木立に囲まれた庭には、茶室、お堂、石仏などが静かに佇んでいる。しみじみとした趣が感じられる空間だ。





島崎藤村旧邸。大文豪としては以外に質素な住まいだ。「夜明け前」などには感銘を受けたものだが、この人のあまりにも罪深い私生活を知ってからは大嫌いになってしまった…。





せっかくなので大磯海岸を見に行こう。かつては住宅街がそのまま海辺に繋がっていたのだろうけど、今は高い堤防を兼ねていると思われる西湘バイパス道路が聳え立ち、町と海とを遮っている。





「大磯こゆるぎの浜」と呼ばれるところらしい。「こゆるぎ」とは「小揺るぎ」なんだそうで、かつて群発地震がよく発生したことに由来すると聞く。広く長い砂浜が延々と続いている。きっとこの風景は西行など昔の旅人が見たものと同じもののはずだ。





大磯から小田原まで続いている西湘バイパス道路。歩道も併設されていて、この道なら海を眺めながらのウォーキングを楽しめそうなんだけど、写真を1枚撮っただけで、本来の目的、旧東海道に戻る。





旧伊藤博文邸(滄浪閣)。工事中で敷地内に入れない。どうやら隣接する旧陸奥宗光邸、旧大熊重信邸、旧西園寺公望邸を合わせて再整備しようとしているようだ。それにしても凄い顔ぶれだ。政界の奥座敷とはよく言ったものだ。




工事の体制や工程を表示する立看板には、働き方改革への取り組みについての記載もあるのだけど、その横には伊藤博文、西園寺公望の2人の元首相が描かれている。





戸塚正商店。明治創業の米穀店だ。単に昔からあるお米屋さんというだけでなく、お米マイスターとして、イノベーティブな商品開発と販売手法で全国に商圏を広げているお店だ。





大磯城山公園内にある大磯郷土資料館。スタンプポイントになっているので寄り道したのだけど定休日。う~ん、歩留まりの悪いスタンプラリーだ。





「旧吉田茂邸地区」と書かれた門がある。吉田茂邸はずっと奥にあるようだ。





随分と広大な敷地のなかに邸宅がある。もとは吉田茂の養父が別荘として建てたものを相続したらしい。邸宅は2009年に全焼したものの、寄付金を募り復元され、今は大磯町の郷土資料館の別館として開放されている。




和装にトレードマークの葉巻とステッキを持った吉田茂の似顔絵パネルなども見られる。売店などもあって、吉田茂が愛したバラと有名な暴言に因んだ「バカヤローズティー」などという思わず苦笑してしまうようなお土産が販売されていた。





吉田茂の銅像が立っている。像は自身が日米平和条約を締結したサンフランシスコを向いているそうだ。





巨大なプールがあることで有名な大磯プリンスホテルもスタンプポイントになっているんだけど、定休日などでスタンプゲットできないところが多く、すぐそこに見えるのだけど立ち寄る気にならない…。





ゲットしたスタンプは全11個中わずかに6つ。定休日などは仕方ないのだが、吉田茂邸では立派な邸宅や庭に圧倒されて、ついスタンプを押すことさえ忘れてしまうという失態を演じてしまった。




大磯宿~小田原宿【東海道五十三次 -5】

2019年10月15日 ①


大磯駅からスタート。大磯町内には見どころが多いんだけど、今日は何としてでも小田原まで行かねばならない。寄り道の時間を少しでも確保できるよう、さっさと歩くようにしよう。



旧宿場の施設があったことを案内板は、平塚宿のものなどと比べるとカラフルな絵も描かれているなど、丁寧なつくりだ。和英双方の説明があるのも、世界中からの観光客を意識しているのだろう。



その一方で、路地の片隅に追いやられてしまっている古い石碑もあったりはする。



海水浴場発祥の地と書かれた標識が立っている。でも、そもそも人類は古来海浜で活動をしてきたはずで、漁業とか海運などばかりではなく、海で泳いだり浜辺で遊んでいたはずなのだ。何をもって海水浴の始まりとしているのだろうか。



新島襄終焉の地の石碑がみられる。小さな緑地になっているのだけど、この土地は同志社大学の所有地になっているようだ。



続いては「湘南発祥の地」の石碑。江戸時代にこの地に住んでいた中国人が中国の地名に肖って自らの住処を湘南と呼んだのが始まりとのことだ。



大磯には旧街道の松並木が多数残されている。もっとも巨木や老木は多くないので、江戸時代のものではないのかもしれない。



海岸近くを通る国道1号線の起伏はそれほど感じないのだけど、そこそこのアップダウンがあるようだ。1号線の標高を細かく測定した結果なのだろうが、津波浸水想定区間が小刻みに設定されている。




六所神社。平安時代、相模に赴任した国司が、近隣の6つの神社をここににまとめたらしい。月に一度のお参りの手間を嫌ったからだという。



実は大磯町では、アチコチと寄り道をしたんだけど、これについては「大磯めぐりスタンプラリー」として別にアップする。大磯町を出て二宮町に入る。



国道1号線を歩くこと2kmほど、面白そうなところを見つけることもできないまま二宮町を横断してしまい、小田原市に入ってしまう。




ゆるやかにカーブする海岸線に沿った道の向こうに小田原の街並みが見えてきた。その向こうに連なるのが箱根の山々のようだ。



JRの国府津駅に立ち寄る。御殿場線の起点となる駅とはいえ、4階建ての立派な駅舎ビルが建っていることに驚く。旅客エリアはさほど広くないのだけど、何に使っているのだろうか。



御殿場線を少し探索してみる。昭和9年に熱海の西に丹那トンネルが開通する前は東海道線だったのだから、そこいらへんの支線とは格が違うはずなんだけど、かつて東西を繋ぐ大動脈の一部だったとは思えない長閑な単線だ。




箱根登山バスのバス停が現れる。今日は小田原までのつもりだけど、いよいよ東海道五十三次最大のハイライト、箱根越えが近づいてきたことに心が躍る。



「酒匂中学校」と書かれた門柱があるのだけど、その奥にあるのは住宅ばかり。調べてみると中学校はこの先100mも向こうにある。疲れてくると足取りが遅くなって、逆に色々と面白いものをみつけがちだ。



酒匂川。江戸時代には橋がなく、急な大雨で川止めになると、4里も東にある大磯宿に戻るわけにもいかず、野宿して朝を待つ旅人も多かったらしい。そんな旅人たちが飲む酒の匂いが充ちていたことが川の名前の由来かと思ったけど、全然違うようだ。



いよいよ小田原宿に入る。江戸から歩き始めて、初めての城下町と宿場町がひとつになった町だ。



「もせるごみ」と書かれたポスターが目につく。小田原の方言のようだけど、「燃えるゴミ」という言い方もおかしいように思えてきた。「燃える太陽」のように、本来は「燃える」=「燃えている」で、「燃やすことができる」ではないような気もする。う~ん、日本語は難しい・・・。



小田原城からは1kmほども離れているところに、土塁の址が残る。相当広大で堅固な城だったようだ。信玄や謙信の侵攻を凌いだまでは良かったけど、秀吉に対しては残念な結果に終わってしまった。



小田原かまぼこ通り。城下町であり宿場町でもある小田原だけど、さらに水産加工業の集積地でもある。かまぼこ通りにはかまぼこだけでなく干物屋や鰹節屋などが軒を連ねている。



小田原駅のコンコースには、大きな小田原提灯が吊り下げられているのだけど、先日の台風の影響でボロボロになっていた。復旧するのも大変そうだ。



駅の西口には騎乗姿の北条早雲像。なぜか黄色い法被のようなものを着ている。よく見るとラグビーワールドカップで来日し小田原でキャンプを行うオーストラリア代表のユニフォームを着ているようだ。



華やかな早雲像とは対照的に、駅の東口近くには、ビルの陰に北条4代目氏政とその弟氏照の墓所がひっそりと佇んでいる。北条氏も早雲以降、氏綱、氏康と英傑が続き、続く氏政も凡庸では無かったものの秀吉との外交を誤ってしまった。



本日の歩行軌跡。う~ん、電車に乗っても、車で走っても同じような軌跡になるんだろけど、間違いなく22km歩いたのだ。



別に大磯町での史跡探索については「おおいそめぐり」と題して別にアップする。