網干散策(3社沿線スタンプラリー⑩)

2017年1月28日(土)


近鉄・阪神・山陽3社沿線クイズ&スタンプラリーも8コース目。今日は姫路市の網干のレトロ建築を巡る。網干と聞けば、未だに、もう40年以上も前にNHKで放映されていた人形劇「新八犬伝」に登場した「さもしい浪人、網干左母二郎」を思い出して、ひとり失笑してしまう・・・。



山陽電鉄網干線の終着駅、網干駅にやってきた。今まで何度か訪れたところだけに天気は良いものの、あまりテンションは上がらない。



マップに指示された道順どおりに、メイン道路ではなく、古い建物が立ち並ぶ脇道を縫うように歩いていく。歩く道が変わると、何度か訪れたところでも、街の印象が随分と変わってくる。



昔からの漁業が盛んな町で、海と共に栄えてきたところとはいえ、水路の上に建物があるのにはビックリ。何か特殊な建物なんだろうか。



昭和感満載の商店街が現れた。思い返せば看板の野球帽を被った少年のマスコットなど、かつてはありふれたものだったはずだが、今や超レアものだ。



レトロな街のなかにある網干神社。戎さんをお祀りする神社のようだ。



住宅街を南に抜けると、網干に大きな工場や研究所を構えるダイセルの関連施設が立ち並ぶエリアにやってきた。



明治時代、技術指導のために招いた外国人技師のための洋館。ダイセル異人館との名で知られている。手続きをすれば内部も見せてもらえるようだ。



緑の異人館とは別に、オレンジ色の異人館もある。工場地帯にあって、この辺りは植栽も多く、ダイセルの特別なエリアになっているようだ。



今は広い公園だが、塩田鎮守神の大黒祠があったとの石碑が建てられている。このあたりには塩田が広がっていたことが覗える。網干神社の祭神のなかに塩竃大神が含まれていたのも、塩田事業に関連するように思える。



海に向かって問屋川に沿って、長い緑道が続いている。緑道の左右には桜の木が道に覆いかぶさるように植えられている。春には素晴らしい景色になりそうだ。



網干なぎさ公園までやってきた。展望台の上にシュロの木(かな?)が1本建っている。何だか凛としていてカッコいいぞ。



工場地帯ではあるが、なぎさ公園には、その名のとおり、おそらく人工の砂浜海岸が見られる。犬を連れて散歩する人が多数見られる。



もっとも、海岸部の大半はダイセルなどの工場プラント群が占有している。



海岸部から別の道を通って再び山電網干駅に向かう。真言宗の古刹、大覚寺に少しお邪魔する。



とあるお宅の前に豚さんのプランターが並んでいる。何だか、こちらを皆で見つめているように感じられて、ついシャッターを押してしまう。



あぼし一番街。これも古い商店街のようだ。



揖保川から分かれて入江のようになっている船溜まり。かつてはこの辺りが海岸部だったのだろうが、今や埋立が進んで海まで結構距離があるが、いくつもの船が係留されている。



船溜まりを渡る橋。何やら遊園地のような造りになっている。橋の上には電飾が施されている。



よく見れば、揖保川の土手にも、ハート型など、いくつものイルミネーションが設置されている。もっとも、イルミネーションが似合う町とも思えないのだが・・・。



あぼしまち交流館の前に「網干町歌」の碑がある。戦後すぐに姫路市に吸収されて消滅した網干町だが、北原白秋作詞、山田耕筰作曲、という、超ゴールデンコンビによる町歌まで消えることを惜しんで作られたものなんだろう。



船渡八幡神社。本殿の向こうは揖保川だ。揖保川を渡る船の安全を守る神社だったのだろうか。



船渡八幡神社の境内には、 相撲の土俵があり、相撲倶楽部の物置まで設置されている。網干神社の境内でも、やはり土俵があったが、網干って相撲の盛んなところのようだ。稀勢の里の横綱昇進で、相撲人気もさらに高まるかもしれない。



山電網干駅に戻って帰宅。ユニバーサルデザイン化の一環だろうか、駅の中には、これでもか、というほどにピクトグラムが並んでいる。



本日の歩行軌跡。せっかく網干までやってきたというのに、わずか7kmほどのウォーキングで帰るのは惜しかった・・・。



家島(姫路市)散策

2017年1月22日(日)


 かつて姫路に4年間住みながら、訪問できなかった家島諸島に遂に出掛ける機会がやってきた。もっとも寒いうえに雨を心配しなければならない天気で、パンフレットの「海と空のであう島」の表紙の写真のように、眩しい島並が楽しめるかどうか、不安を抱きつつ、家島に向かう船が出向する姫路港にやってきた。



姫路港のターミナル。ここから家島諸島や小豆島に向かっての定期船が出ている。



朝9時50分に家島に向かう「高福ライナー」に乗り込む。長さは20mほどだろうか、思ったより小さな船に、お客さんは10名程度。観光客と見られるのは、うち3名ほどだ。



姫路港から西南方向10kmほどの沖合にある家島の真浦港に27分で到着。漁業の島とのイメージが強かったのだが、意外なことに作業船がズラリと並んでいる。どうやら石材を運搬するガット船というものが大半のようだ。



最初に着桟した真浦港を乗り過ごし、入江の対岸にある宮港で下船する。ここから、入江に沿って、まずは北に向かって散策をする。入江のなかには小さな海水浴場が見られるが、さすがにこの季節に水遊びをする人がいるはずもない。



海苔の養殖場の前に、「詩を書き場」なるものがある。菅原道真が大宰府に向かう途中に、この岩場にて詩を詠んだという伝承があるところなんだそうだ。



島の北端にある家島神社。詩を書き場と同様、海岸ギリギリのところに、鳥居が建てられている。言い伝えによると、神武天皇や神功皇后も立ち寄られた場所なんだそうだが、瀬戸内の要所だけに、様々な人たちがこの島に上陸したであろうことは容易に想像できる。



家島神社に登る長い石段ではなく、その脇にある「天満霊樹」という原生林の中を通って、高台にある家島神社の社殿に向かう。



家島神社の拝殿に続く参道。 両脇の石灯篭の全てには、鹿の彫り物が施されている。



男鹿島。神戸沖人工島などの埋立土として、島の上部が削り取られて地肌がむき出しになっている。 真浦港で見かけた多数のガット船も、ここからの土を運び出すものではなかろうか。



男鹿島以外にも、地図にも載っていないような小さな島々が瀬戸内には浮かんでいる。晴れた日でなくとも、魅入られてしまう景色だ。





監館眺望。海上警備のために江戸幕府が番所を設置したところだ。入江の向こう側の真浦ばかりか、その先の瀬戸内海を遠く見渡すことができる。



眺望石なるものが設置されている。どうやら、この穴を覗くと、姫路城の天守閣が見えるということのようだが、正面の樹々に邪魔されて何も見えない。もっとも、今日の天候では、木が無くとも姫路の工場地帯が薄っすらと見えるばかりだ。



島の中の車の台数は、さほど多いようには見えないが、自動車が通れる道を避けて、 遠見遊歩道なるハイキングルートのような山道を歩いて南に向かっていく。



しばらくすると遊歩道が途切れ、入江の町に向かって下りていく。急な階段が海に向かって続いている。



多くの家々が狭く急な階段に面して建てられている。海浜の町にはよく見られる光景だが、ここの階段は相当なものだ。



宮浦神社。滋賀県高島の白髭神社から勧請されたものらしい。神社の前には、播磨の各地の秋祭りで見られる絢爛豪華な屋台が納められたガラス張りの倉庫が見られた。



入江の奥には、何百とも思える漁船が停泊している。不思議なことに同じ船名が多く見られる。蛭子丸なんて、20隻ほどは見かけた。



入江をぐるりと一周する。役場や学校、銀行など島の主要施設は家島の2つの地域、真浦と宮の真ん中に集中しているようだ。テクテク歩いて、真浦の中心と思われる真浦神社までやってきた。



真浦港からのメイン道路。道に沿って、写真屋さんとかクリーニング屋さんなどが並ぶが、日曜日のせいなのか、店の多くは閉まり、人通りも少ない。



公園の遊具。ペリカンは理解できるが、子供たちにとっていかにも人気の無さそうな茄子の遊具とは初めてお目にかかった。子供たちの好き嫌いを無くそうということなのだろうか・・・。



せっかく家島まで来たので、新鮮なお魚をいただく。鯛、鯵、鯖をお刺身にしてもらったが、美味い。特に鯖の「甘さ」には驚いた。



昼食を終えて店から出ると、空模様が怪しく、雨が降ってきた。もう少し家島を見て回りたかったし、坊勢島にも行きたかったが、引き時が肝心だ。来た時とは別の「高速いえしま」という船に乗って、家島をあとにする。



短い滞在時間で、大した距離も歩けなかったが、魚の美味さのせいか満足度は結構高い。いつか季節を変えて再訪したいものだ。


加古川別府~播磨町~東二見(3社沿線スタンプラリー⑨)

2017年1月15日(日)



大雪で電車のダイヤが乱れるなか、近鉄・阪神・山陽3社沿線スタンプラリーに今日も出発する。加古川市から播磨町、明石市にかけての、沿岸部を歩くルートだ。



加古川市の山陽電鉄別府駅にやってきた。「べっぷ」ではなく「べふ」と読む。駅前は結構賑やかなんだけど、別府駅は無人駅だ。別府に限ることではなく、山電の場合、特急停車駅以外はほとんど無人駅という徹底ぶりだ。



加古川の海岸部は神戸製鋼の巨大な製鉄所が占有していて、この近辺には神鋼専用のバス乗り場がアチコチに見られる。時刻表を見ると平日の朝夕には相当な頻度のダイヤが組まれている。たまたま、加古川のコミュニティバス「かこバス」がやってきたが、こちらと出会う方が難しそうだ。



加古川のもう一つの代表企業が多木化学。明治時代に肥料で大きく成長した企業だ。古い本社社屋?には、多木化学と並んで、別府鉄道の表札が見える。随分前に廃線となったはずだが、不動産事業とかバス事業などが残っているのだろうか。



住吉神社。大阪の住吉大社から分祀されたものらしいが、随分立派な鳥居がある。境内には手枕松という播磨地区屈指の名松がある。



多木浜洋館。通称「あかがね御殿」。外壁が銅葺きになっていて、風格漂う建物だ。いつ見てもカッコいいなぁ、と思うのだが、内部は非公開になっている。



海岸の埋め立て部を歩いていく。 対岸に現在の多木化学の工場が見える。



逆サイドには、神戸製鋼の製鉄所のプラント群が並んでいる。



人工の埋め立て地の半島部の先端にある加古川海洋文化センター。2~3年前にも、この3社沿線スタンプラリーで訪れたことがあるはずだ。



海洋文化センターの内部は、図書館のようなアカデミックなゾーンと、子供たちが海の雰囲気のなかで遊べるゾーンに二分されている。



小型船に乗るための浮桟橋。ちょっと乗ってみようかとも思ったが、ぐらついていて、ムチャクチャ恐そうだ・・・。



海岸部を西に向かって歩く。雪も降るとのことなので、この冬初めて手袋を用意してきたが、昨日ほどは寒くない。加古川市を出て播磨町に入る。



阿閇神社。南北に一間社春日造りの社殿が四社並んでいるのが特徴だ。柵の中にある四社を同時に撮るのは極めて困難なのだが、頑張って手を伸ばして撮影に成功した。



 マップでは、沿岸部から喜瀬川の土手を北に向かう、となっているのだが、あいにく工事中で、マップ通りには歩けない。まあ、良くあることだ。



川辺には沢山の水鳥が羽根を休めている。冷たいので、水に入るのを躊躇っているようにも見える。



山電の播磨町駅。播磨市役所が駅前にあるなど、町の中心なんだけど、やはり無人駅だ。



播磨町立公民館の前にある、ジョセフ・ヒコ、本名浜田彦蔵の胸像。この地で生まれ、江戸時代末期に遠州灘で遭難し、米国船に助けられ、米本土まで行き、苦労を重ねた末に帰国した後は、日本で初めて新聞を発行したことで知られる。リンカーンとも握手した唯一の日本人としても有名だ。



公民館から海に向かったところに、ジョセフ・ヒコの生誕地の碑がある。 おそらく何十人いや何百人もの日本人が鎖国中の遭難で米国に渡っているのではなかろうか。そのなかで、無事帰国し、名を上げたのは、並大抵ではない幸運と努力が重なったごく一部に違いない。



播磨町は小さな町にもかかわらず、川崎重工など大工場からの税収のせいか、沿岸部に立ち並ぶ体育館などの公共施設は、かなり大規模で立派なものに見える。



かつての堤防の海側が、公園や緑地、体育施設として利用されている。そしてさらに海側が工場地帯となっている。公園や体育施設が、旧市街との緩衝緑地の役割も果たしているようだ。



山電の東二見駅に戻ってきた。大きな車庫がある。



東二見駅は特急停車駅にも関わらず、駅前はとても寂しく、スーパーも飲食店、コンビニさえ見当たらない。たこバスという明石市のコミュニティバスの乗り場があるばかりだ。



東二見駅のホーム。車庫がある関係か5番ホームまである。駅前はショボいが、ホームは立派な造りだ。



今日の歩行軌跡。12km弱を3時間半ほどで歩いた。