加古川別府~播磨町~東二見(3社沿線スタンプラリー⑨)

2017年1月15日(日)



大雪で電車のダイヤが乱れるなか、近鉄・阪神・山陽3社沿線スタンプラリーに今日も出発する。加古川市から播磨町、明石市にかけての、沿岸部を歩くルートだ。



加古川市の山陽電鉄別府駅にやってきた。「べっぷ」ではなく「べふ」と読む。駅前は結構賑やかなんだけど、別府駅は無人駅だ。別府に限ることではなく、山電の場合、特急停車駅以外はほとんど無人駅という徹底ぶりだ。



加古川の海岸部は神戸製鋼の巨大な製鉄所が占有していて、この近辺には神鋼専用のバス乗り場がアチコチに見られる。時刻表を見ると平日の朝夕には相当な頻度のダイヤが組まれている。たまたま、加古川のコミュニティバス「かこバス」がやってきたが、こちらと出会う方が難しそうだ。



加古川のもう一つの代表企業が多木化学。明治時代に肥料で大きく成長した企業だ。古い本社社屋?には、多木化学と並んで、別府鉄道の表札が見える。随分前に廃線となったはずだが、不動産事業とかバス事業などが残っているのだろうか。



住吉神社。大阪の住吉大社から分祀されたものらしいが、随分立派な鳥居がある。境内には手枕松という播磨地区屈指の名松がある。



多木浜洋館。通称「あかがね御殿」。外壁が銅葺きになっていて、風格漂う建物だ。いつ見てもカッコいいなぁ、と思うのだが、内部は非公開になっている。



海岸の埋め立て部を歩いていく。 対岸に現在の多木化学の工場が見える。



逆サイドには、神戸製鋼の製鉄所のプラント群が並んでいる。



人工の埋め立て地の半島部の先端にある加古川海洋文化センター。2~3年前にも、この3社沿線スタンプラリーで訪れたことがあるはずだ。



海洋文化センターの内部は、図書館のようなアカデミックなゾーンと、子供たちが海の雰囲気のなかで遊べるゾーンに二分されている。



小型船に乗るための浮桟橋。ちょっと乗ってみようかとも思ったが、ぐらついていて、ムチャクチャ恐そうだ・・・。



海岸部を西に向かって歩く。雪も降るとのことなので、この冬初めて手袋を用意してきたが、昨日ほどは寒くない。加古川市を出て播磨町に入る。



阿閇神社。南北に一間社春日造りの社殿が四社並んでいるのが特徴だ。柵の中にある四社を同時に撮るのは極めて困難なのだが、頑張って手を伸ばして撮影に成功した。



 マップでは、沿岸部から喜瀬川の土手を北に向かう、となっているのだが、あいにく工事中で、マップ通りには歩けない。まあ、良くあることだ。



川辺には沢山の水鳥が羽根を休めている。冷たいので、水に入るのを躊躇っているようにも見える。



山電の播磨町駅。播磨市役所が駅前にあるなど、町の中心なんだけど、やはり無人駅だ。



播磨町立公民館の前にある、ジョセフ・ヒコ、本名浜田彦蔵の胸像。この地で生まれ、江戸時代末期に遠州灘で遭難し、米国船に助けられ、米本土まで行き、苦労を重ねた末に帰国した後は、日本で初めて新聞を発行したことで知られる。リンカーンとも握手した唯一の日本人としても有名だ。



公民館から海に向かったところに、ジョセフ・ヒコの生誕地の碑がある。 おそらく何十人いや何百人もの日本人が鎖国中の遭難で米国に渡っているのではなかろうか。そのなかで、無事帰国し、名を上げたのは、並大抵ではない幸運と努力が重なったごく一部に違いない。



播磨町は小さな町にもかかわらず、川崎重工など大工場からの税収のせいか、沿岸部に立ち並ぶ体育館などの公共施設は、かなり大規模で立派なものに見える。



かつての堤防の海側が、公園や緑地、体育施設として利用されている。そしてさらに海側が工場地帯となっている。公園や体育施設が、旧市街との緩衝緑地の役割も果たしているようだ。



山電の東二見駅に戻ってきた。大きな車庫がある。



東二見駅は特急停車駅にも関わらず、駅前はとても寂しく、スーパーも飲食店、コンビニさえ見当たらない。たこバスという明石市のコミュニティバスの乗り場があるばかりだ。



東二見駅のホーム。車庫がある関係か5番ホームまである。駅前はショボいが、ホームは立派な造りだ。



今日の歩行軌跡。12km弱を3時間半ほどで歩いた。