八尾寺内町巡り(3社沿線スタンプラリー③)

2017年1月15日(土) ②


松原六社参りを終えた後、まだ時間もあるので、3社沿線スタンプラリーの八尾コースもやっつけてしまうことにする。なにぶん、距離が僅か4.2kmしかないので、このためだけに八尾まで来るのは、実に億劫なことなのだ。



電車を乗り継いで、河内松原から近鉄大阪線の久宝寺口駅にやってきた。同じ近鉄なのに、この2駅間の移動はやけに困難だ。



まず、以前から気になっていた、久宝寺口駅の西、中央環状道路の脇にある石碑を見に行く。「御堅立所」って、一体なんだろう、と思っていたが、どうやら、「堅」ではなくて「野」の旧字のようだ。大正天皇が、軍事演習視察の際、ここで休憩をしたらしい。



あらためて久宝寺口駅から、 久宝寺寺内町に向かって歩いていく。1541年ごろに造られた町、との標識看板が、ところどころに建てられている。



偶然見かけた、長宗我部物見の松。大阪夏の陣で、長宗我部盛親軍が、徳川方の藤堂高虎軍の動向をこの松に登って探ったんだそうだ。もっとも当時の松が残っているはずもないが、長宗我部贔屓にとっては嬉しい史蹟発見だった。



寺内町の中心となるのが、蓮如上人が建立した顕証寺。立派な門だが、閉まっているので中には入れないのかと諦めかけたところ、この門の脇に事務所通用門のようなものが開いていたのでお邪魔させていただく。



立派な本堂だ。もともとの本堂は、おそらく戦国時代に焼失してしまったのだろう。江戸時代の建築とのことだ。



門には、菊紋と並んで、見慣れぬ紋がある。周囲は藤を寺紋に使うことが多い本願寺系同様に八ツ藤のようだ。




久宝寺寺内町の町割りは当時のまま、残されているらしい。旧家や地蔵もアチコチに見られるが、興味深いのが、顕証寺を中心にできていたという堀や土塁。この水路も元はそうした濠の名残なのだろうか。



顕証寺の南西にある許麻神社。とんど祭がこの夜開催されるようで、露店の準備なども進められている。



八尾市まちなみセンター。久宝寺寺内町のPRの拠点にもなっている。寺内町のまちなみ整備は未だ進行中のようで、さらに良い街並みになっていくことだろう。



久宝寺地区から東へ、八尾駅方面に向かう。お気に入りの散策路、長瀬川を渡る。この辺りは、八尾浜といって、船着き場があったところらしい。石碑には、左信貴山、右大阪、とある。



この夏訪問したばかりの八尾天満宮を再訪。ここでも、とんど焼の準備が整えられていた。ブルーシートの下はどうなっているのだろうか・・・。



八尾天満宮でも、許麻神社でも、「鬼追い式」と染められた幟が多数建てられている。節分の日でもあるので、「鬼は外」の豆撒きであろうことは想像できるが「鬼追い式」とはあまり聞いたことが無い。何か特別なことでもするのだろうか。



八尾天満宮、常光寺、と、近鉄八尾駅に近い商店街のなかを移動する。とても綺麗なイルミネーションなんだけど、人通りは、ホントに少ない・・・。



商店街には結構な旧家も見られる。どうやらここは薬を売る店だったようだ。なんだか、このまま朽ち果てさせるのは勿体ないようにも感じる。



常光寺。行基が創建したお寺なんだそうだが、一体行基って、どれほどの寺や橋を創ったのだろう。関西の古刹の半分くらいは、行基か役行者か弘法大師が創建ということになっているのではなかろうか。



クイズポイントになっている、最古之温度発祥地の石碑。念のためモザイク処理はしたが、何音頭かは、現地を訪問するまでもなく判るはずで、クイズとしてはどうかと思う。揮毫は塩川正十郎元大臣。なかなかの能書と感心してしまう。



商店街の学生服屋さん。ウルトラマンのお面が付けられているのに、つい失笑してしまう。



しばらく進むと、学生服を扱っている別のお店があって、ここはタイガーマスクだ。もはや失笑どころか、大笑してしまう。おそらくライバル店になるのだろうが、凄いところで張り合っているものだ



本日の歩行軌跡。わずか4km強と短いが、松原六社参りの疲れもあり、寒風が吹くなかでのウォーキングは結構辛かった。



この2~3年、近鉄・阪神・山陽3社沿線クイズ&スタンプラリーの応募のたびに、「次回歩いてみたい場所」という設問に、「八尾」と記入してきた。もし、そのせいで、今回のコースが採用されたのなら、とても嬉しい。もっとも4.2kmは短すぎる。せめて2時間はかかる距離にしてもらいたいものだ。