2013年5月25日(土)
気温が25度を超えると、軽登山でさえ辛いのだが、先日の新聞に掲載されていた「一目一万本」とも言われる見事なツツジに誘われて、大和葛城山に登ることになった。混雑しそうな奈良県御所からの道を避け、未踏破の大阪府河南町の青崩(あおげ)からの登山ルートを選択する。
天狗谷と名付けられた渓流沿いの道を、少しずつ登り始める。いつものことながら、最初は元気がいいのだが、後半バテないように、30分に1回、しっかりと休憩を取ろうと決めて歩く。
その後、鎖場や階段などの急坂が続き、写真を撮る余裕さえ無し。30分どころか、10分おきに、息を整えるために立ち止る始末・・・。持ってきた500ミリのペットボトルを3本のうち、2本が早々に空になる。途中の水場で、水分補給ができたのは助かった。
ゴロゴロとした石や段差が多い道が続く。手元の地図には山頂までの道に、何の印もない。確かに地蔵さんもなければ、ベンチもない。どの程度歩いたかを知る目安は、腕時計の高度表示だけだ。
杉林の中の道を行く。木陰は涼しく、いい風が吹くのだが、日が当たると暑い。
丸太と石を組み合わせて作った簡易な砂防ダム。土砂や流木を塞き止めればいいのだから、コンクリートで固める必要はないのだろう。
登り始めて約2時間。標高959mの葛城山の山頂に辿りついた。大阪側も奈良側にも眺望が開け、高原状の山頂部では、とても良い風が吹く。登ってきて良かったと思わせる山だ。
南には金剛山。標高差は170mもないが、威圧感を感じさせる。手元にあるダイヤモンドトレイルの案内では、葛城山から金剛山まで、約7km、4時間弱で行けるとあるが、とても行き着けそうにない。ダイヤモンドトレイルに挑戦する日はいつか来るのだろうか・・・。
一目一万本と言われるツツジ園。見事なものだが、ピークは数日前だったように思う。
これくらいの距離からなら、綺麗に見えるが、さらに近寄ると、花がくだびれた感じになっているのが判る。
ツツジも多いが、人も多い・・・。
葛城山を後にして、下山。御所に出ることは避けて、未だ歩いたことが無い、河南町の弘川寺方面に向かう道を行く。
簡易舗装されているが、かなり坂がキツイ道を進む。このルートを登ってくるのも結構しんどいだろうなぁ・・・。
帰りのバスの時間は、14時15分の次が16時ちょうど。いくら頑張っても14時15分は無理だが、いくらユックリ歩いても16時にはタップリ余裕がある。杉林の中を、の~んびりと歩く。
もっとも、この道の難点は、やたらと分岐が多いこと。しかも案内標識が無いところが多い。人に聞きたくとも、不人気ルートなのか、ほとんど人とは出会わない・・・。勘とコンパスを頼りに、狭い道に入り込まないように歩く。
が、生い茂った草を掻き分けて進むようなところも出現する。携帯のGPSも駆使して、弘川寺方面に確実に近付いていることを確認しながら進む。
時間もあるので、弘川城の跡に立ち寄ることにする。道がかなり細い。左手は急な斜面になっている。気を付けて、ゆっくりと進む。
南朝方の要塞であった弘川城址にやってきた。巨石に「此上 弘川城址」とある。しかし、この上に進むことは無理だ。巨石には、さらに「南朝」「隅屋」「陣屋」などの文字が読める。楠木正成の一族である隅屋與市がこの城に拠り、鎌倉北条軍を相手に、奮戦空しく落城したと聞く。
道には、落ち葉がうず高く積もっている。いわゆる春落ち葉というものだ。
送電線の鉄塔の下を潜る。上を見上げていると、複雑な幾何学模様に吸い込まれそうになる。
弘川寺。7世紀創建の古刹で、西行法師終焉の地として有名。「願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃」と、亡くなる15年以上も前に詠んだ歌のとおり、桜咲く旧暦2月に、この寺で波乱の生涯を閉じたと伝わる。
富田林駅に向かうバス停。不要になった椅子や傘が置かれていて、ほのぼの感が溢れている。発車まで時間があったので、河南町の下水マンホールを写真に収めるべく、周辺を探索したが、下水が整備されていない地区なのか、発見に至らず。発車10分ほど前に戻ると、どこから現れたのか、バスの時間に合わせて下山してきたとみられるハイカーが20人ほども待っていた。
まとめ
歩行距離 8kmくらい?
所要時間 290分 (4時間50分)
歩数 19200歩 (しっかり 10700歩)