沿線散歩(1)名張

2013年11月3日(日)  ①


近鉄・阪神・山陽の3社沿線クイズ&スタンプラリー「沿線散歩」の2コース目は名張。近鉄の思惑に嵌り、ついに三重県までやってきてしまった。昨日のゴルフは散々の結果で、精神的にも肉体的にもズタズタなのだが、この際、思いっきり歩いて、気分を一新しよう。



早朝に家を出て、名張駅到着は、朝の7時40分。せっかく名張まで来るのだから、9kmの街歩きだけでは勿体ない。曽爾高原のハイキングも楽しむつもりなので、沿線散歩スタンプラリーはさっさと済ませてしまいたい。この地に縁のある観阿弥の像がある駅前からスタートする。




まずは、名張藤堂家の屋敷跡を訪ねる。藤堂高虎の養子となって藤堂家の家督を継ぐはずだった丹羽長秀の息子が、その後高虎に実子が生まれたため、用無しになってしまい、わずか2万石を与えられて立てられた分家だ。



どういう意図かは不明だが、見どころの無い道を、この水門まで延々と歩いて、Uターンして再び旧市街に戻るコースになっている。水門の扉が腐食して破れているけど、いざという時大丈夫なんだろうか。



水門の横には伊賀牛と思われる牛舎。仔牛の姿も見える。牛舎に繋がれた犬がうるさく吠えるのには閉口した。




名張は、長谷寺から伊勢に続く初瀬街道の宿場町だったという。道幅は、いかにも旧街道っぽいが、街道の風情はあまり残っていない。



名張は、和菓子の多いところのようだ。500円で5軒の和菓子を食べることができるクーポンが売られているようだが、肝心の和菓子屋さんが、早朝のため、まだ開店していない。



初瀬街道にある一の鳥居。この先は、宇流冨志禰神社(ワープロで打つのが大変・・・)の参道で、かつてはとても賑わったところらしい。



そんなかつての賑わいを、古い写真で紹介している立て看板が、旧街道の随所に掲げられている。



この超細い路地の奥に、江戸川乱歩の生誕地がある。




路地を突き進むと、ポツンと石碑が立てられた広場がある。「江戸川乱歩生誕地碑広場」だ。それにしても、殺風景だ。せめて木でも植えたらどうかと思うのだが・・・。



広場付近の街路灯には、江戸川乱歩の怪人二十面相のイラストが描かれている。

 


一階部の屋根に排気口が出ている。竈の煙突だろうか。二階の窓を開けると、煙が入ってきそうな構造だ。



旧市街地がある駅西部の散策を終わり、名張川沿いの道を、鉄橋の下を潜って、駅東部に向かう。空はどんよりしていて、時折小雨が降ってくる。昨日のゴルフの疲れも溜まっているし、この天候のなかで曽爾高原に行く意味があるのか、少しずつ迷い始める。



名張中央公園。木々はすっかり葉を落としている。晩秋のような風景だ。大阪と違って、このあたりの秋の深まりは早いようだ。曽爾高原のススキもさぞ、美しいことだろう、と想像も巡らす。天候は心配だが、やはり曽爾高原に向かうことにしよう。



沿線散歩のマップに忠実に従って、中央公園の中にある小高い山を登って、展望台に辿りつく。展望台というより、貯水タンクの付属施設のようなものだった。この山に登るのに、結構時間と体力を費やす。



中央公園から駅に向かう。地価も土地利用状況も違うので、大阪府内の市役所と比較するのは適当ではないが、名張市役所は、人口8万人の市にしては、かなり広い土地に建てられた大きな建物だ。



名張駅の西口には観阿弥の像があったが、東口には江戸川乱歩像があった。



小雨に濡れながら、名張市街を一巡りしたが、何故この町が沿線散歩のコースに選ばれたのか、納得感は低い。せっかく、この辺りまで来るのなら、美旗の古墳群とか、青山高原とか、赤目の滝とか、見どころは多いのに・・・。

昨年の沿線散歩では、近鉄が以前から発行している「てくてくまっぷ」の丸写しだったことに憤慨したものだが、それを反省しての新コース開拓なのかもしれない。しかし、明石や姫路からの長年の沿線散歩ファンが、遥々このコースに足を運んだとするなら、がっかりすると思う。


まとめ


歩行距離   9km
所要時間   134分 (2時間14分)
歩数      9500歩 (しっかり 1600歩)
           万歩計がおかしい。少なくとも12000歩は歩いているはず。
           「しっかり」も10000歩近いはず。