山背古道(城陽~木津)

2014年11月2日(日)


三連休というのに不安定な天気が続く。山に出掛けるつもりだったが、今日の午後も降雨の可能性が高いため、断念。以前から気になっていた山背古道を踏破すべく、JR城陽駅へ。20kmを超える長丁場のようだが、JR奈良線に沿った里歩きだろうから、大したこともあるまい。(と、下調べもせず、甘く考えてスタートする)



11時過ぎと遅くなってしまったが、勇んで出発。当然木津のある南方向に向かうと思いきや、地図は東にある鴻ノ巣山を指している。おいおい、いきなり山登りか・・・。麓にある水度神社で息を整える。簡素な造りだが、とても雅な雰囲気を感じさせる室町時代に建立された社だ。



水度神社から、鴻ノ巣山頂へはよく整備されたハイキングルート。それにしても、里歩きのつもりでやってきただけに、いきなりの山歩きは体力的にも精神的にも堪える。



城陽駅から30分ほどで山頂に到着。標高は高々120mほどしかないが、結構疲れた。城陽の街並みを眺望することができるが、空はドンヨリしている。天気が心配だ。



山頂から少し下ると、芝生で覆われた公園が出現。300mはあろうかと思われる長い滑り台がある。ここで初めて、7年前に50コースを踏破したJRの「駅からはじまるハイキング」でやってきたところだと思い出す。度々訪問するゴルフ場のすぐ近くにもなる。



先週の宇治での紅葉よりは、少し赤みを増しているかもしれないが、見頃は未だ先。



山背古道は、古い街道跡ではなく、京都府南部のハイキングコースを繋げたもののようだ。そのため、国道などの車の多い道を避け、歩きやすく見どころのあるところがコースとして設定されている。ネットからダウンロードした地図を見ても、最短ルートとは程遠いことが判る。



そんなことなので、道はとても判りにくい。それをカバーするため、路面に山型の「山背古道マーク」が埋め込まれている。標準タイプの緑色のモノとは別に、地元の小学生あたりが、各自デザイン・作成したと思われるものもあって、それぞれに作成者と思われる名前が彫られている。



もっとも、見所といっても、あまり大したものは見られない。地図に忠実に遠回りして、森山遺跡にやってきた。宅地開発中に、縄文時代から古墳時代にかけてのものと思われる竪穴式住居集落の跡が見つかったものらしい。



出発してから1時間半ほど経つというのに、未だ城陽のひとつ南の長池駅あたりをウロウロしている。まだ6駅分も残っている・・・。長池は古い町のようで、由緒ありそうな家が並んでいる。木戸孝允が昼ご飯を食べたというような石碑も見られるんだけど、こちらの昼ご飯を食べるための適当な食堂は見当たらない。ようやくコンビニを見つけて、お握りなどをパクつく。



青谷梅林にやってきた。梅の季節にはとても賑わうところらしいが、今は梅林もさしずめ冬ごもりの準備中というところだ。



梅の木はすっかりモノトーンだが、代わりに柿はたわわに実っている。オレンジ色は、歩いていて元気にしてくれる色だ。



山と川に挟まれた地形を精一杯活用して米作が行われているところのようだ。狭隘な田だけに稲塚も小さいようだ。



道端に突如、猪ラーメン、ぼたん鍋などの看板が出現。捕獲用の檻まで販売している。さらに見ると、看板の横には、猪2体分程度の足とか胴などが、水槽に入っていた。血抜きでもしているのだろうか。公道脇でのあまりの生々しい光景に愕然。写真を撮ることも憚られた。



とにかく、道が判りにくい。なるべく地図に忠実に歩いているつもりでも、侵入禁止の茶畑で行き止まりになったりする。



里歩きかと思えば、街歩きになり、そして、また突如、山歩きになる。井手町に入ると、また山登りを余儀無くされる。天気のせいもあるが、とても暗い山道だ。スマホで確認すると、有田~橋本~天理~伊賀上野のラインに前線があるようで、強い雨が降っている。ここから20kmくらいは離れているようだが、油断できない。



山を登って、また降りたところで、小野小町の墓を発見。これまでアチコチで小野小町の墓には出会ってきたが、説明板によると、冷泉家記などに小野小町が井手で亡くなったとの記載があるそうで、信憑性の高い墓らしい。もっとも平安時代は皇族以外は風葬だったので、墓など無かったとも聞く。



山背古道から少し外れて、橘諸兄の旧趾にやってきた。聖武天皇の執政として、日本史上稀有な生前に正一位に叙せらるほど権勢を誇ったが、藤原氏との政争に敗れて引退した。それにしても「旧趾」とはどういう意味なんだろうか。地図には墓とあるが、邸跡とも思える。それにしても碑の字がイマイチなんだよねぇ・・・。



井手町の田舎道を歩いていると、草叢の中に2体の狸っぽい石像がポツンと置かれていた。古いものではなさそうだが、なんだかとても気になるぞ。



JR奈良線は長閑な単線。それでも、地方から京都・奈良を訪れる人は、近鉄よりJRに乗る人が多いとも聞く。



「みんなで乗って早期複線化」との看板も、相当古ぼけてしまっている。山城町が木津などと合併して木津川市になってからでも、もう8年ほど経つはずだ。




棚倉駅の北側にあるトンネル。実はトンネルの上には不動川が流れている。いわゆる天井川というものだ。ここ以外でも、井手町付近の川は総じて土手が高く堆積し、周囲と比べて川が高位にあるところが多く見られる。



この不動川の下を鉄道が走っている。


川の畔に、この辺りに伝わる「蟹の恩返し」という民話が紹介されている。昔綺麗な娘さんが、苛められている蟹を助ける。浦島太郎と同じだ。物語はここで意外な展開を見せる。娘の父親が大蛇に食べられかけている蛙を助けるため、思わず、娘を蛇の嫁にやると言ってしまう。何と不用意な発言なんだ。幸い娘を貰い受けにきた蛇を、蟹が体を張って助けてハッピーエンド・・・。



棚倉の駅前には、蟹の石像もあるんだけど、これって日本海にいるズワイガニじゃぁないのかな。井手にいるんだろうか。それはともかく、蟹満寺なんてものまで建立されて蟹はいいけど、立つ瀬が無く、気の毒なのは蛇じゃぁないかな。



旧山城町の北河原区公民館の横に、水害記念碑が建っている。昭和28年に300人以上の死者を出した大洪水がこの地を襲ったそうだ。天井川が多いことからも、海から遠い山間の土地とはいえ、大雨には弱いところだったようだ。




せっせと歩き続けたが、一気に暗闇が迫ってきた。上狛の町は、茶業を営む店が多く、山城茶業の碑なんてものもあるんだけど、とても写真に収めることができない。



ようやく木津川の北岸に到着した時には、日もドップリと暮れかけている。辛うじて川の下流にあたる西側に日没後の太陽の名残のような光を見ることができる程度だ。



ずっと国道を回避し続けてきた山背古道だが、さすがに木津川を渡るのは国道24号線。この橋の次となると、上流側も下流側も5kmくらいは離れているんだから、仕方がない。



やっとのことで木津駅に到着。雨には遭わずに済んだが、山背古道は予想以上に手強かった。久しぶりに足や背中に引き攣るような疲れを感じる。



こうしてスマホの記録を見ると、北から南へ真っ直ぐに歩いたように見えるが、実際はジグザグ歩きの連続。駅間距離では15kmほどだが、歩行距離は24km近くに及んだ。

 

まとめ


歩行距離   23.8km
所要時間   396分 (6時間36分)
歩数      36200歩