2015年3月14日(土)
何だかんだで忙しく、最近なかなか歩く時間が取れない。所用から解放されたのは夕刻近くだが、明日もゴルフなので少しは歩こう。京阪北浜駅をスタートして、特にアテもなく、西に向かって歩き始める。暗くなるまで2時間くらいはあるはずだ。
土佐堀川に架かる難波橋南詰にあるライオン像。両側の2頭のライオンが阿吽形になっていて、一方は口を開け、一方は口を閉じている。でもこの2頭の口を1枚の写真に収めるのは容易ではない。
一昨年、大阪証券取引所は、東京証券取引所との統合の結果、大阪取引所となった。いつの間にやらビルの商号も変わっていた。
中之島の剣先。大川は、ここで土佐堀川と堂島川に分流している。
低い橋桁に併せて、水都大阪の観光船には天井高の低い、やけに平べったい船型が採用されている。
大坂城の京橋口。中国や韓国からの観光客が目立つ。
砲兵工廠跡。開高健の日本三文オペラの舞台にもなったところだが、今は僅かな煉瓦造りの建物が残っているだけ。かつては京橋から森ノ宮まで、現在のOBP、大阪城公園、JR・地下鉄の車庫をも包含する広大なエリアにアパッチ族が闊歩していた。
大坂城の内堀は、さすがに広い。各地の城を訪問すると、申し訳程度の堀が巡らされているところが多いが、この堀は容易には渡れるとは思えない。
大坂城公園内の梅園ほど有名ではないが、桃園もある。まだ開花している木は僅かだが、もう1週間もすれば様々な桃の花を楽しめることができるだろう。
かつて片町線の終着駅、片町駅があったところは、駐車場になっている。今は東西線がこの地下を走っているが、かつて、ここが駅であったことを示す碑などは見当たらない。
駐車場内に入って、何か片町駅の名残でも残っていないかと探すが、何も見つからない。しかし、かつて片町線の線路があったと思われる京橋駅との間の敷地に、何やらレールらしきものが見える。
京橋を超えて、蒲生方面に進む。西に進んでいるが、逆に標高は下がっているようだ。おおさか東線の高架を潜る道の路面には、水深表示がある。ここまで水が来ていたら、最も低い高架下では水深150cmになっている、ということのようだ。
蒲生の若宮八幡大神宮。大坂夏の陣で、佐竹義宣がここに陣を構えて、大坂方の木村重成らと激戦を繰り広げたところだそうだ。佐竹義宣って、石田三成に肩入れしたせいで転封された際、嘘か誠かは知らないが、水戸の美女を秋田に皆連れて行ったという逸話だけが有名すぎる。
今里筋を越え、今福あたりで城北川を東に渡る。暗くなってきた。
古市の市営住宅群。せめて大阪市を出るところまでは歩くつもりだったのが、なかなか城東区さえ脱出できない・・・。既に2時間ほど歩いているのだが・・・。
鶴見区をかすめて、旭区を北上。暗い道を延々と歩いて、ようやく守口市に入る。そういえば、京阪滝井駅の近くに、有名なうどん屋があることを思い出し、ここで漸くゴールが決定する。
北浜から歩くこと3時間弱。距離にして11km余り。滝井の「踊るうどん」にやってきたのに、閉まっている・・・。ショックは大きい。
この手のうどん屋によくある「うどんが無くなり次第閉店」かと思いきや、他店の研修のため臨時休業とのことだ。さて、次はいつ滝井駅にやってくる機会があるだろうか・・・。
京阪電車でわずか7駅。電車賃なら210円のところを、2時間40分かけて歩いたことになる。