郡山宿界隈散策(茨木市)

2019年2月3日(日)


茨木市が発行している「本陣周遊マップ」をもとに、西国街道の郡山本陣を中心に軽いハイキングに出かける。



スタートは大阪モノレール彩都線の豊川駅。茨木市の西端。ほどんど箕面市との市境の上に高架駅が立っている。



メインディッシュの郡山本陣跡は後回しにして、モデルルートを逆回りして、失礼ながら退屈そうな「式内社ゾーン」とマップに描かれたエリアから歩き始める。まずは、新屋坐天照御魂神社。「にいやにますあまてるみたまじんじゃ」という読みに驚く。



住宅と田園が入り混じる地帯だ。道幅の割に歩道ゾーンが広く取られている。段差のある歩道より、このように色分けで車歩道を区分する方が、車も歩行者も快適なのではなかろうか。そもそも高い費用を投じて僅かな段差を作ることが、どれほど安全面での効果を生み出すのだろうか。



マネキンを案山子代わりに使っているのは、何度も見たことがあるが、首だけのマネキン案山子というのは初めてだ。これって鳥除けになるのだろうか。晒し首のようで不気味でしかないように思うのだが・・・。



須久久神社。「久」の文字が重なるのがトリッキーでもあるが、読みは「すくく」と推測通り。新屋坐天照御魂神社と同様、延喜式神名帳に掲載されている由緒ある神社らしい。



梅花女子大学。40年ほど前、大学生時代に訪問した時は、随分長くバスに揺られて、山の際までやってきたと思ったものだが、その後周囲の市街化はかなり進んだように思う。



川端康成生家跡にやってきた。今のお宅の表札にも「川端」とある。石碑の「川端康成先生旧跡」の揮毫の主は笹川良一。なんと川端康成とは豊川小学校の同級生だったという。ということは、笹川良一もこの付近の生まれのはずだ。




墓地の横から山道に入り、「古墳ゾーン」へと進む。



が、地図が悪い。現地の案内板も十分なものではなく、どこが古墳やら、さっぱり判らないまま、倒木だらけの山道を登っていく。



頂上っぽいところに到着すると、説明板があった。なんと登ってきた山そのものが、前方後円墳だったようだ。4世紀前半に築造されたという紫金山古墳だ。そうと言われなければ、ただの小山としか思えない・・・。



続いて青松塚古墳という6世紀の古墳を目指す。茨木市のマップではこのあたりのはずなんだけど、木や草に覆われたところばかりで、案内板の類も見当たらない。



青松塚古墳探索は諦めて次へ向かって歩き始めると、唐突に案内標識が現れる。えぇっ「病棟内」とあるではないか。病院の受付に古墳見学のため院内に入れるかと聞いたが、断られてしまう・・・。まあ、この汚い格好では断られるのも仕方ない・・・。



ほうせんか病院。病院らしからぬ色彩とデザインの建物だ。なんだがレジャー施設かホテルのような色使いだけどホスピタリティーを感じさせる好感が持てる色使いだ。どうやら吹田市の千里体育館のネーミングライツを有している法人のようだ。



青松塚古墳は諦めたが、畑と林に囲まれた海北塚古墳にはたどり着くことができた。覆っていた土は失われ、横穴式の石室が地上に露出している。6世紀のこの地域の首長の墳墓ということだが、石は四国から運ばれたものらしく、地方の首長といえども相当な力を持っていたことが窺える。



コースのちょうど中間地点、旧西国街道と旧亀岡街道に、「中川清秀由緒地」という石碑が立っている。戦国時代、茨木城主となった清秀が生まれたのがこの辺りのようだ。真偽は不明だけど、荒木村重の謀反を促すようなあくどい振る舞いなど、どうも好きになれない武将の一人だ。



最近新たに建て直されたものだろうが、南:堺、住吉、大坂、吹田、茨木、東:大津、京都、八幡、山崎・・・と、やけに地名が多い。逆に多すぎて、それっぽく見えない。



西国街道を西進する。いかにも旧街道っぽい雰囲気だけど、特段整備・保存されている訳でもない。路面には「子どもちゅうい」と大書きされている。今ここに生活している人の利便性や安全性が、史跡保護より優先されるのは仕方ないけど、この路面に間延びしたように書かれた7つの文字がドライバーの注意を有効に喚起できるのだろうか。



郡山本陣跡にやってきた。わずか200mほどだけだが、このあたりだけ道路舗装のグレードが格段に上がっている。



郡山本陣跡。何百キロにも及ぶ西国街道に現存する唯一の本陣なんだそうだ。と聞けば、是非とも内部を見学したいと思うのだけど、5人以上のグループでないと見学ができないらしい。どうも納得できない・・・。



西国街道の南にある小山に佇む春日神社。石段が鬱陶しいけど、せっかくなので、本殿にお参りすることとする。



本殿前の絵馬堂。戦艦からの奉納など、時代を感じさせる掲示ばかりだ。もっとも興味深いのが、神社庁からの表彰状。境内清掃をしっかりやっているということで昭和47年に表彰されている。表彰を喜ぶ関係者の記念写真が郷愁を誘う。



勝尾寺川の河畔に立つ「ぼろ塚」。 ここで師の仇に出会ったぼろ(虚無僧)が、将来に遺恨を残さないよう、敢えて相討ちとなり両者ともに亡くなったという事件があったらしい。徒然草にある話らしいが、う~ん、イマイチ納得できない・・・。



スタート地点の豊川駅に戻ってきた。駅の向こうは箕面市になる。



マップには8kmとあったけど、スマホの記録では9km。道に迷ったり、寄り道したりで、どうしても1割増しにはなってしまう。