生駒~西大寺(阪神×近鉄10周年スタンプラリー)

2019年4月30日(火)


阪神尼崎駅と近鉄難波駅が西大阪線でつながって10周年の記念スタンプラリーが開催されている。スタンプポイントは、奈良西大寺駅から神戸三宮の間の7駅。まず手始めに奈良県内の2つのスタンプポイント(生駒駅、西大寺駅)の間をを歩いてみることにしよう。



このスタンプラリーは、「重ね押し方式」。台紙の上に、様々な色の7つのスタンプを押していくと、完成図が現れるという仕組みだ。これまでも重ね押し方式のスタンプラリーには参加したことはあるけれど、7つもの重ね押しは初めての経験だ。



少し生駒市役所に立ち寄って、あとは近鉄奈良線に沿って東へ歩くだけ。とはいえ、そう上手い具合に歩ける道が繋がっていないことは知っている。GPSのお蔭で道に迷うことも少なくなったけど、平成最後のウォーキングは、かつてのようにスマホなしで歩ききることとしたい。



もとは生駒聖天の門前町として知られていた生駒市だけど、近年は大阪のベッドタウンとして大きな変貌を遂げている。しかし町の名所も歴史も踏まえず、具体的なメッセージも感じられない未来都市をデザインした生駒市のマンホールはいかがなものか、と長らく思ってきたのだけど、同じ思いを持つ人も多かったのか、最近ついに新デザインが発表された。



誤って近鉄生駒線に沿って南に進んだりしたものの、生駒山のアンテナが右に見えることに気づき危うく軌道修正。なんとか東生駒の駅に到着。2階に設けられたエントランスまで車寄せがあるなんて、空港のような贅沢な造りだ。鉄道でこの形式を採用している駅は新大阪とか新神戸くらいしか思いつかない。



生駒山を超えて奈良盆地に入ったとはいえ、まだ山地や起伏も多いところ。そのせいか、道路を跨ぐ鉄道高架もやけに高いところが多いような気がする。



東生駒駅からそのまま東へと進んだはずなんだけど、鉄道はトンネルへもぐりこみ、湾曲した道を歩いているうちに、どこにいるのか、サッパリわからなくなってしまった。太陽の位置から山林の方向に進むべきとは分かるのだけど、道が見当たらない・・・。



こんな道を行っていいのかぁ? 呑気な街歩きのつもりだったけど、自分の方向感覚を信じて、ハイキングコースのような道を進んでいく。つい数年前まではスマホもなく、ウォーキングに出かけるたびに道に迷っていた(まあ、それを楽しんでいたことも確かだけど)。平成最後のウォーキングだけに、その頃を思い出して今日はスマホは絶対見ないぞ。



ムムム・・・。大丈夫かぁ。道は整備されているんだけど、道を塞ぐ倒木が多い。おそらく生駒山系の東に広がる矢田丘陵の端っこあたりにいると思うんだけど自信が持てない・・・。



メインのハイキング道路に出てきて、間違いなく、ここが矢田丘陵のハイキングコースの一部であることが判明。おそらくは、ここまでやってきた舗装道をそのまま逆戻りした方が早いとは思うのだけど、せっかくなのでこのままハイキング道で北へ戻る。



つい最近まで桜が咲いていたのだろう。写真には上手く色が出ていないけど、道端には桜の花びらがびっしりと積もっている。



標識によると、どうやら道は東生駒駅の方向に向かっているようだ。うろうろと歩き回った挙句、1時間以上前に通過した東生駒駅に戻っていくとは、何とも悲しい・・・。



ようやく自動車道に出てきたけど、東生駒駅からわずか1kmの地点。ちょうど奈良市と生駒市の市境付近だ。



阪奈道路の入り口。歩行者進入禁止とはどこにも書いていない。近道であるのは間違いないんだけど、もともと有料自動車道だったところだけに歩道が無い。これまで歩くたびに怖い思いをしてきただけにもう懲り懲りだ。「歩けなくはないけど、お勧めできません」とでも入口に表示しておいてもらいたいものだ。



住宅街をウロウロと歩いて、ようやくトンネルから出てきた近鉄電車に遭遇。やれやれ、これで線路沿いを歩いていけばいい・・・。



が、やはり道はうまい具合に繋がっていない。住宅地も行き止まりが多く、進みたい方向に進めないことばかりが続く。



ようやく富雄駅に到着。随分と歩いてきたような気がするけど、まだ生駒を出て2駅目。住宅ばかりの町のように見えるけど、駅前には、地元で採れた野菜や卵の自販機などもある。まだ付近には農地も広がっているのだろう。



富雄駅の周辺は、騒音対策なのか、電車と住宅地の間に高くて長いコンクリート塀が設置されている。



学園前駅に到着。近鉄が宅地開発を初めて手掛けたところで、高級住宅地としても知られるが、バスの大拠点でもある。郊外のベッドタウンとしては駅ビルもロータリーも大規模だ。



さらに一駅歩いて菖蒲池へ。かつてあやめ池遊園地があったところ。50年ほど前には、何度か来たことがあるはずなんだけど、まるで当時の記憶がない。おそらくこの池の周囲に様々な遊具が並んでいたのだろうけど、近年大規模な宅地へと生まれ変わった。



なにか、あやめ池遊園地の名残のようなものはないか、周囲をウロウロと探したが、見つけたのは駅前にあったモニュメントだけ。1926年から2004年まで78年もの長きに渡る歴史が刻まれている。松竹歌劇団の公演なども行われていたようだ。



さらにテクテクと歩いてゴールの西大寺駅のに到着。東西に走る近鉄奈良線に、北から京都線、南から橿原線が入り込んでくるという複雑怪奇な構造になっていて、全国から集まる鉄道ファンのため、ホームの上にガラス張の展望デッキが設置されている。



展望デッキからの近鉄奈良駅方面を見渡す。これほど平面交差する列車が多い駅は他にはないそうだ。切り替えポイントも日本一の設置数らしいんだけど、どうも送電線が邪魔になって素人にはよく判らない・・・。



生駒、西大寺の2駅でのスタンプはご覧の通り。赤と黄色の2色が、チョコっとあるばかり・・・。一体どんな絵が現れるのか、まるで想像も付かない・・・。



本日の歩行軌跡。生駒駅を出発以降、スマホを全く見なかったので、歩行軌跡を見るのもドキドキ。東生駒から大きく南に道を誤って進んでいることがよく判る。



思い起こせば、数年前までは、このような迷い道ばかり繰り返しながら歩いていたものだ。平成のウォーキングを思い出して、令和になっても、たまにはスマホレスでのウォーキングをやってみよう。





御旅山~仁寿山~小富士山縦走(姫路)

2019年4月28日(日)


先日の苫網山塊縦走に続き、今日は姫路市西部の山塊を縦走してみよう。灘のけんか祭で有名な妻鹿駅で下車。30年ほど前にこの近くに住んでいたのだけど、その時は踏切の向こうに見える黒田官兵衛の居城があった甲山(国府山)に登ったくらい。今日登る御旅山、仁寿山、小富士山のいずれも未登頂なのだ。



いつの間にか駅前にロータリーが整備されるなど、妻鹿駅の風景は少々変わったけれど、昔と変わらず古い建物が多くみられる。「公會堂」との看板が掲げられた建物の前には、皇太子殿下御誕生記念の石碑がある。その「皇太子」も間も無く天皇を退位される。



今回は登山アプリYAMAPを利用してみる。山の先達達による登山地図をインストールしたもの(赤線)GPS信号によって自分の現在位置・歩行軌跡(青線)が示される。生来の方向音痴で、毎回のように間違った道に迷い込んでいるだけに、随分と重宝しそうだ。



毎年灘のけんか祭りで、麓にある松原八幡神社から神輿や屋台が練り歩いて御旅山に向かうところだ。何千人もが座れる常設の観覧スタンドが設置され、山の斜面などにどんどん増設されているけど、地元の人でさえ入手が困難なのだ。



松原神社の御旅所の前で、各村の屋台や神輿の激しい練り合わせが行われる。昔この付近に住んでいた時は、ここで花見をしたり花火で遊んだものだ。ずっとここが山頂だと思っていたのだけど、山頂は未だ随分先なのだ。



播磨の多くの低山と同様、ここも岩肌が露出したところが多い。近くに発電所があるため送電線の鉄塔が尾根伝いに並んでいる。



住宅街はすぐそこなので、自然との触れ合いや運動のため、多くの人たち気軽に登ってくるようだ。道も整備されているし、見晴らしのいいところにはベンチも設置されている。



小さな低山だけど、見晴らしもよく、岩の上や雑木林の中など、道にも変化があって楽しいハイキングコースだ。4年ほどもこの地に住んでいながら、転居後25年も経ってから御旅山の面白さを初めて知った。



山頂までもう一息。ツツジが咲く丘の上を目指して、坂を登っていく、頂上には、ちょっとした東屋がある。



長期出張で弛んだ体には、思っていたほど軽い登山ではなかった・・・。しかし、ハイキングはマダマダ序盤。このあと、正面に見える仁寿山、赤白鉄塔の向こうの小富士山と縦走していくのだ。



急坂を下り、一旦平地まで下りて、畑の中を仁寿山の登山口を目指して歩いていく。う~ん、ここまで下りてしまうと縦走とは言えないように思う。グーグルマップでは絶対案内されることのなさそうな畑の畦道に、YAMAPは誘導してくれる。



姫路バイパス自動車道を陸橋で超え、いよいよ第二ラウンド、仁寿山への登山のスタートだ。御旅山とは違って、道の整備は特別なものではなく、出会う人もいない。



ここでも、露出した岩肌が多く見られる。御旅山や苫網山とは、異なった岩質に思えるのだけどよく判らない。ブラタモリを観るたび、地質を少し勉強しようと思っているのだけど、未だ何の知識もないままだ。



仁寿山の頂上は林立するアンテナに頂上を占拠されている。200mもない低山だけど姫路市民にとってはとても重要な山なのだ。



仁寿山に続いて、小富士山に向かう。う~ん、こちらから見る限り、富士山とは似ても似つかないシルエットだ。仁寿山頂上から、岩肌の急坂を100m以上下って、再度小富士山に向けて登っていかなければならないようだ。



町が近いこともあって、道の分岐が多い。しかし人が多く訪れるところではないので、標識などはほとんど見当たらない。しかし、このような分岐でもYAMAPはしっかりと進むべき道を示してくれる。方向音痴には実に心強い相棒だ。



ここでも岩山を攀じ登るようなところが多い。古傷の股関節が悲鳴をあげだした。



頂上も近くなると、ここまで歩いてきた山々が眺望できる。左正面が御旅山、右が仁寿山だ。



小富士山の頂上は、意外にも広々とした平坦地になっていて、華厳寺という無住のお寺がある。仁寿山登山口から、誰一人とも出合わずここまでやってきただけに、突然の古寺の出現にちょっと驚く。夕暮れ時などなら、ちょっと不気味な雰囲気に感じられるかもしれない。



小富士山からの下山道。麓の町ま真っ逆さまに下っていくような気分になる。この種の道は、ちょっとした上り坂より遥かに足腰にダメージを与えてくれる。



YAMAPを信じて進むと、とんでもない藪のなかで身動きが取れなくなってきた。これでいいのかぁ・・・?



画面を拡大してみると、進むべき道(赤色)とわずか20mほどずれている。GPSの精度って、あらためて凄いものだと驚く。



疲れた足を引き摺るように、JRの御着駅に向かってテクテクと歩いていくと、山陽新幹線の退避線?が地上に降りてきているところに出会う。姫路にも長く住んでいたし、山陽新幹線も数え切れないほど乗っているけど、今まで気付かなかった・・・。



御着駅付近から振り返ると、なるほど富士山に似た形だ。いつか富士山に登りたいと思っていたけど、60歳も超えて諦めてしまった・・・。200mもない山で結構疲れてしまっているのだから仕方ない。もっと早く登山やハイキングの面白さを知っていれば良かったんだけど・・・。



本日の歩行軌跡。いつものRunkeeperではなくて、YAMAPの軌跡を掲載しておく。歩行距離は9kmほど。