苫編山塊縦走(姫路)

2019年4月13日(土)


姫路駅から僅か3kmほど西側に低山が連なっている地帯がある。苫網山塊と呼ばれているところだ。これまで馴染みのなかった山塊とは、山が塊状になっているところを呼ぶらしく、珍しいものではないようだ。でも「山塊縦走」という言葉に強く惹かれるものを感じて、姫路に出掛けることにする。



幸いかなり詳しい地図を入手でき、JR山陽本線で姫路の西隣となる英賀保駅からスタートする。黒田官兵衛が海から攻め寄せた毛利の大軍を撃退したことで知られる古い町だ。



英賀保駅から15分ほど歩いたところに、登山口がある。山の形を見たときから覚悟はしていたのでけど、いきなり急な階段が延々と続いている。



貯水タンクを過ぎると階段も終わり、雑木林のなかの林道が続く。グーグルマップには、この山塊の南半分には、「井ノ口山城」と呼ばれる城があったようで、3つの曲輪跡が記載されている。確かに山城に適した地形に思えるけど、グーグルで検索しても「井ノ口山城」の情報はほとんど得られず、曲輪跡らしきものも確認できない。



そこそこ見晴らしのよいポイントがいくつかあり、ベンチも置かれている。よく見るとごく最近、町を見下ろす展望ポイントの樹木を伐採したばかりのようだ。



樹々を通して、苫網山塊の西側を流れる夢前川を見下ろすことができる。河畔の桜がここからでも楽しめる。東西に走る自動車道(姫路バイパス)が、この山塊の下をトンネルで通過しているようだ。



苫網山に近づくと、尾根道には岩が露出している。小野の紅山とか、高砂の高御位山とか、播磨地方の岩山には随分怖い思いをさせられたことを思い出すけど、この程度の斜度であれば、むしろ快適だ。尾根を越える風が心地よい。



それにしても、この岩は何だろうか・・・。黒いから泥岩かな、玄武岩かな・・・? ブラタモリを見る度に、地学の基礎を勉強したいと思いつつ、未だに火成岩と堆積岩の見分け方さえままならない。



苫網山の山頂から姫路市内を展望する。姫路城の眺望は左側の山に遮られているけど、白浜・妻鹿方面がよく見渡すことができる。妻鹿の北側にある御旅山、仁寿山、小富士山と言った山々も山塊のように思える。一度歩き回ってみようと思いながら妻鹿城跡までしか登ったことがない・・・。



頂上で出会った地元のハイカーによると、苫網山の頂上には、かつて電波塔だか反射板だかがあったらしいが、最近撤去されて、一気に眺望がよくなり、多くの登山者が訪れるようになってきたそうだ。それに伴って、地元の方々が、最近、樹木の伐採や道の整備、そして案内標識の設置などに手を入れておられるそうだ。



縦走路だけに当然のことだけど、登っては下り、下りては登るの連続。標高の割には体力の消耗が激しい。ロープを伝ってズルズルと滑り降りるようなところも多く、足よりもむしろ肩のあたりが疲れてきた。



3ヶ所で陸軍省の石標を発見する。裏面には「第二十号」と書かれている。姫路城が戦前陸軍歩兵連隊が置かれていたことと関係あるのだろうか。高射砲の基地でもあったのかもしれない。



姫路沿岸部の火力発電所からの送電線が南から北に向かって伸びている。「登ってはいけません」との注意看板が掲げられているが、そう言われてみると、周囲には桜が咲いているし、眺望は良さそうだし、逆に登ってみたくなるのが人間の心理のような気もする。



人工構造物があまり無いところだけに、鉄塔は表示板などを付けるには絶好のポイントにもなっているようだ。つい最近取り付けられたばかりと思われる真新しい標識も見られる。



ピンクや白の花を掻き分けて、次なるピーク、籾取山を目指す。周囲を町に囲まれた山塊だけに、分かれ道は多いのだけど、正面前方にある反射板が目印になって、大きく道を間違うことはなさそうだ。



反射板。設置者や目的は不明だけど、おそらくマイクロ波のようなものを無給電中継する装置だろう。表はピカピカとしているけど、裏から見ると何かの広告板のようでホントに上手く電波を中継できているのか不安にさえなる。無造作に建てられたものに見えるけど、きっと綿密な計算のもとで設計されているはずだ。



後ろを振り返ってここまで歩いてきた道のりを確かめる。右奥に見える山塊の端っこから、山を伝って籾取山までやってきた。全行程の7割ほどを踏破したことになる。



籾取山の頂上に「伏見宮貞愛親王殿下最蕨之跡」と刻まれた石碑があるんだけど、見事に3つに割れてしまっている。設置後100年以上も経っているので、折損していること自体に不思議はないのだけど、親王殿下がこんなところにワラビを採りにこられていたということ、そしてその程度のことで石碑が建てられていたということには驚かされた。



籾取山から鬢櫛山にかけて、さらに露出した岩肌を辿りながら進む。苫網山、籾取山、鬢櫛山と、誰が名付けたのかは知らないけど、趣を感じさせる雅やかな名を冠した山々が続いている。



鬢櫛山の山頂を制覇し、いよいよ山塊縦走の北端らしきところが見えてきた。あともう一息とも思うし、まだあそこまで歩かねばならないのか、とも感じる。気分の持ちようで目に見えるものが遠くにも近くにも感じられる。



山塊の端っこまでやってきた。高岡の町が真下に見える。ここから先に待ち受ける急坂に少々ウンザリする。急坂を上るはキツイけど、下りるのは怖いくて疲れるし、足腰へのダメージも大きい。



これまで縦走路のところどころには木の枝などにさりげなくテープが巻きつけられていて助けられたけど、下山口ももうすぐソコという所まできて、様相が変わってきた。何本ものテープが簾状に垂れ下がっているのだ。まるでゴールを祝福するかのようでもあるし、麓付近にありがちな半端な道に迷い込まないようにしているようでもある。



テープに導かれるまま歩いていくと、ここにきて大きな岩山を登っていく羽目になる。これが正しい道なのかぁ?しかも、その後の下山ときたら、足元の悪い急坂で、ときに立木に捕まりながら、ときにお尻から滑り落ちながらの難路の連続。あのテープは上級者向けコースの目印だったのではとさえ感じる。



JR姫新線の播磨高岡駅から帰路につく。出発点の英賀保駅同様、ここも姫路駅までわずか1駅だ。単線の姫新線だけど、播磨高岡駅は行き違いのためプラットホームの長さ分だけ複線化されている。



本日の歩行軌跡。わずか7kmあまりだったけど、結構歩きごたえのあるコースだった。帰宅後ネットで他の方々の歩いたマップを参照してみたが、やはり播磨高岡駅への下山ルートはずいぶんと異なった道を辿ってしまったようだ。



晴天のなか、眺望を楽しみながらの岩肌歩きで予想以上に楽しめた。何人ものハイカーに出会ったけど、何故かその全てがご同輩の中高年男性ばかり。単独で歩いておられた地元ハイカーもおられて、この山塊の縦走路の昔話や現在の取り組みなど、興味深いお話を伺うこともできた。