岡崎宿~池鯉鮒宿【東海道五十三次-20】

 2021年12月13日


ついに東海道五十三次ウォーク再開の日がやってきた。一昨年の8月に日本橋をスタートしてのべ19日かけて愛知県の岡崎宿まで踏破したところでコロナ禍のため中断。それでも東海道中膝栗毛のマンガなどを読みながら、再開に向けてのイメトレだけは続けてきた。



20ヶ月ぶりに訪れた中岡崎駅前では以前どおりオカザえもんが出迎えてくれる。移動に時間が掛かったためスタートは14時。12㎞ほど先の池鯉鮒宿まで、久しぶりの街道歩きとしては手頃な距離だ。



中岡崎からしばらく歩くと八丁味噌の工場が2つ並ぶ地域にやってきた。八丁味噌といえば、尾張名古屋が本場だと思ってきたけれど、三河岡崎が発祥の地だ。観光バスで工場見学に訪れる団体も多いようで、大きな土産物屋やレストランも併設されている。



この地の味噌づくりの歴史は古く、未だ日吉丸と呼ばれていた幼い秀吉が、矢作橋で蜂須賀小六に出会った際の逸話にも、この地の味噌屋が登場するようで、今も八丁味噌のパッケージには、2人の出会いの場面が描かれている。



しばらく歩くと矢作川が現れた。後醍醐天皇に歯向かった足利尊氏を討伐するため、鎌倉に向かって進軍した新田義貞が、3倍もの兵を擁する足利軍を打ち破ったのがこの矢作川だ。箱根までの新田義貞は強かったんだけどなぁ…。



矢作川の西岸に、日吉丸と蜂須賀小六の「出会之像」が立っている。夜盗の親分のような荒くれ者の小六の手下になった日吉丸が、まさか天下人になるなんて日本史最大のミラクルだ。



国道1号線から少し離れて平行していた東海道は、やがて国道1号線に合流する。車が多く走る道の歩道歩きになると、テンションは下がってくる。しかも足が痛い…。履きならしてきたつもりだけれど、新しい靴があまり合わないようだ。



安城市に入る。歴史小説では安祥という漢字で登場する地域だけれど、どうして字が変ったのだろうか。市境を越えたあたりで再び国道から離れて松並木の道になり、再び街道歩きの雰囲気になってきた。



「鎌倉街道跡」の看板がある。鎌倉時代に「いざ鎌倉」の際、各地の御家人が鎌倉に馳せ参じるための道が京方面にも繋がっていて、江戸時代に整備された東海道の元になったと思われるけれど、鎌倉街道が関ケ原経由なのに対して、東海道は鈴鹿経由になっている。



永安寺の「雲龍の松」。どうしたことか、この松は上に伸びるのではなく、地面すれすれに腕を拡げるかのように枝を張っている。雌伏して力を溜めていた龍ががまさに空へと飛び立たんとするかのような姿に見える。



街道の松並木には、「この街路樹はわたしたちがきれいにしています」と書かれた東海道松並木の会の看板が立っている。あまり世話が掛からなさそうに見える松の木だけれど、実は虫が付きやすく手入れが難しい木だと聞く。



安城ヶ原と呼ばれる沖積平野が広がっている。江戸時代までは原野だったそうだが、明治以降の灌漑によって、水田はもちろん、酪農、野菜、花卉など、多角的な農業経営が進み、今では日本のデンマークとも呼ばれるらしい。



橋の手摺りに松並木のパネルが貼られた猿渡川。子猿3匹を連れた親猿が「川渡り問題」(複雑な条件のもとで両岸の往復を繰り返しながら、全員が渡河する手順を見つけるパズル)を見事解いて渡河するところを弘法大師が目撃したところだという。



久しぶりの街道歩きだけれど、足は痛いし、体は怠い。これといった見どころも少なく、なかなかテンションも上がらない。沿道には古い社寺も少なくないものの、由緒書を読んでもあまり興味の沸くものに出会えない。



いつの間にか知立市に入り、電信柱に括り付けられた「東海道」の標識が目につくようになってきた。知立市観光協会が設置したものだ。東海道の扱いは、自治体ごとに大きく異なるのが面白い。知立市はかなり東海道をプッシュしているようだ。



無量寿寺の案内標識が現れた。伊勢物語で、在原業平が各句の頭文字に「かきつばた」の5文字を織り込んだ歌を詠んだことで知られるお寺だ。立ち寄るつもりだったけれど、足が痛くて往復2㎞弱を歩く気になれず断念…。この時季、杜若が咲いているはずも無いし…。



来迎寺の一里塚。知立市が詳しい説明板を設置している。日本橋から数えて84里だという。一里塚には通常榎を用いることが多いのだけれど、ここでは昔から黒松を小高い盛り土の上に植えていたそうだ。



東海道を歩いていると信号の押しボタンなどで「コノハけいぶ」という見慣れぬキャラクターにしばしばお目にかかる。愛知県の県鳥、コノハズクをモチーフにした愛知県警のマスコットだそうで、警部という階級まで与えられている。



かなり日も暮れてきた頃に、ようやく知立の市街地に入ってきた。親水公園と松並木に挟まれた遊歩道を進む。本来ならばとても快適に歩ける道なのに、足が痛くて美しく復元された街道の風景を楽しむ余裕がない。



道路横断のための地下道にまで、ご丁寧に「東海道」の道案内表示がある。江戸時代からここに地下道があったと子供たちが勘違いしないだろうか…なんて要らぬことを思いつつ進んで行く。もうひと息のはずだ。



池鯉鮒宿の碑。もともとは知立とか知利布の文字が使われていたのが、江戸時代になって池鯉鮒となったらしい。付近の知立神社の池にたくさんの鯉や鮒がいることから、洒落っ気のある人が池鯉鮒の字を充てたという。今では再び知立に戻っている。



知立市のマンホール。かきつばたを背景にして「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」の歌が書かれている。ヒネリが無さすぎて、むしろ大胆さに驚かされるデザインだ。



足を引きづるように、予約していた知立市のビジネスホテルにゴール。わずか13㎞、3時間半にも満たないウォーキングだというのに、足の裏がひどく痛い。明日は25㎞ほど先の宮宿(名古屋市熱田区)を目指すつもりだけれど、大丈夫だろうか…。