2022年2月25日
今では関西屈指の登山スポットとなっている摩耶山だけれど、昭和の高度成長期には豪華なホテルや遊園地で賑わっていたという。登山のついでに、今ではすっかり廃墟になった摩耶山の遺跡群を探訪してみたい。
カスケードバレイ(杣谷道)を少し登ると、摩耶遺跡最大の見どころ、摩耶観光ホテルに通じる摩耶東尾根(摩耶東谷南尾根?)への分岐が現れる。六甲山系登山詳細図にさえ記載がなく、現地に案内標識もない道だ。しかも手摺りで囲まれ登る人を拒んでいるかのようだ。
聞いてはいたものの、いきなり予想どおりの激坂。すぐに息はあがり、足は悲鳴をあげる。登り坂が続いて常に伸びた状態になっている脹脛が攣ってしまいそうだ。山寺尾根を登る脚力があれば問題なく登れるはず、と聞いているけれど、大丈夫なんだろうか。
ホントにこの道が摩耶観光ホテル(通称マヤカン)に通じているのか、GPSを何度も確かめながら3頑張って急坂を登り続けること30分ほどで、ようやく普通の坂道になってきた。もうマヤカンはすぐそこのはずだ。
ついにマヤカンが姿を現した。1929年に開業し紆余曲折の末1993年に閉鎖されたものだが、廃墟でありながら昨年国の登録有形文化財となった。最近ではツアーも開催されているが、摩耶東尾根から登れば自由に見学できる。
もっとも荒廃がすすむ建物内部などは立入禁止になっているので外周から観察するだけだ。しかし屋外からでも往時のアールデコ調の豪華で優雅な佇まいが目に浮かぶ。それだけに閉鎖後の零落ぶりが痛いほどに感じられる。
外部から荒れ放題の建物の内部も観察できる。おそらくは高級なものが使用されていたと思われる装飾品や調度品の類は残されていない。まるで盗賊団に襲われた跡のようだ。
丸型の窓や、アールをつけたバルコニーなど、同じく1920年代に大阪や神戸の主要なビルで採用されたモダニズム建築と同じ基調に思える。廃墟の女王と呼ばれるのも納得だ。
摩耶ケーブルの終着駅、虹の駅。1925年に開業されたときに建物が今も使用されている。ケーブル開業により摩耶山中腹が、1955年にロープウェイが虹の駅から掬星台まで開業した後は摩耶山上のレジャー開発が進んだようだ。
虹の駅の傍には1926年開業の摩耶花壇の跡がある。ホテルやレストランを持つ洋館は1970年代に閉鎖されたという。コンクリートの建物残骸や地下に通じる階段跡などが残るものの、往時の姿を想像することは難しい。
上野道を登っていくと、左からアメヤと書かれた石の台?のようなものがある(長らくアヤメだと思っていた…)。ここから始まる長い階段に備えて天上寺への参拝者がひと息入れるアメヤ茶屋があったところだそうで、この石製の水槽にラムネなどを冷やしていたらしい。
旧天上寺の山門。646年開基の大寺院が1976年に賽銭泥棒の放火によりほぼ全焼してしまった。唯一残ったのがこの山門だという。もっとも仁王像は摩耶山上に移転した新天上寺に移されているので、山門は空っぽだ。
天上寺跡に続く、長~い階段。その脇には大きな石垣が並んでいるが、ここにはいくつもの塔頭があったようだ。最盛期には3000人もの僧を擁していたというが、今では石垣の上には何も残っていないようだ。
天上寺跡。今では史蹟公園になっていて、かつでの境内にあった伽藍の礎石などが並ぶだけの殺風景なところだ。天上寺の焼失により摩耶山への訪問者が激減し、摩耶花壇や奥摩耶遊園地などの衰退に繋がったと聞く。
注意深く道の両脇を観察し、多くの謎めいた構造物があることを確認しながら、未だ雪が残る掬星台まで登ってきた。絶景を眺めながらならば、登山用サーモボトルで作ったカップラーメンでも凄く贅沢な昼食に感じる。
空腹も満たされて、摩耶ロープウェイに合わせて1955年に開業された奥摩耶遊園地の遺構を探しにいく。今では自然観察園の入口になっているこのエリアには、すり鉢状の野外ステージがあったらしい。
あじさい池はスケート場だったという。もっとも今もアジサイも枯れ、池はしっかり凍っているので、そのままスケート場になりそうにも見える。
今まで何度も通っていたのに気づかなかった…。こどもの丘にある通路沿いの壁に、今も「ジェットコースター」と書かれた大きな文字が読み取れるのだ。神戸の街並みや港を眼下に見下ろしながらの高地での高速走行は、他の遊園地には無いスリルがあったはずだ。
摩耶遺跡を堪能し、摩耶山頂にもチョコっと立ち寄った後は、天狗道・アドベンチャールート経由で地蔵谷で下山する。かなり凍ったところもあって、慎重にゴツゴツした沢沿いの道を下っていく。
眺望のない谷道が続く。特段の難所はないけれど、痩せた道や沢渡りも多い。治山ダムが現れる度のアップダウンもあって、徐々に疲れも溜まり、歩くことに倦んでくる。
道を少し外れて地蔵滝を見に行く。雪融け前のためか水量はひどく少ないけれど、滝壺の水は凄く澄んでいる。
人にも全く出会うこともなく、静寂のなかを歩いていく。ただ時折こちらの気配に気づいた大型の鳥が突然飛び立ったりするのに驚かされる。「登山用道路」と書かれた標札をいくつか見かけたけれど、何を言いたいのだろうか。他の登山道では見かけたことがない標札だ。
曙茶屋の跡地がどうなるのか気になる市ケ原、やけに水嵩が低い布引貯水池、などを経て新神戸方面へと下りて行く。猿のかずら橋の「かずら」がやけに少ないのが気になる。張替の時期なのだろうか。
布引の滝(雄滝)の水量もひどく少ない。今まであまり考えたことがなかったけれど、雪融け前って、これくらいで普通なのだろうか。
本日の歩行軌跡。奥摩耶遊園地の遺跡探しのために摩耶山上をかなりウロウロしている。歩行距離は9.3km、獲得標高は960m、所要時間は5時間40分。
標高軌跡。摩耶山上でウロウロしていたので、台形状の軌跡になっている。下山路の地蔵谷も結構な急坂のはずだけれど、登山路の摩耶東尾根の勾配の厳しさが際立ち、地蔵谷が緩く見えてしまう。