八王子城山(東京都)

 2023年1月3日 ②


高尾山から下山後、八王子城跡に向かう。秀吉との小田原合戦当時の北条氏のナンバー2、北条氏照が甲斐からの敵軍侵攻に備え急峻な山を利用して築いた関東屈指の名城と言われるが、城兵は大いに奮戦するも衆寡敵せず僅か1日で落城してしまった悲しい城だ。



高尾駅から八王子城跡に直行するバスに乗れず、やむなく1km半離れた霊園から坂を登って城の麓までやってきた。近くには氏照の墓所もあるようだけれど、小田原合戦では北条家幹部と同様に小田原に集結していたため、城を守るのは城代以下わずかな兵であったという。



八王子城山(写真の奥に見える小山ではない)の麓には、大きな駐車場も併設された市営のガイダンス設備があるんだけれど、年末年始は休館のようだ。



八王子城のジオラマが設置された曲輪風の丘には北条家家紋の三つ鱗の植え込みがある。八王子城は山上にある本丸を中心とした要害ゾーンと、麓にある御主殿ゾーンがあるが、まずは八王子寺山を登っていこう。



人形芝居が描かれた八王子市のマンホールのなかに、デザインが異なるものがある。(写真上)は見たことがあるぞ。そう小田原市のものだ。となるともう一つ(写真下)は…、推理を巡らして検索を試みたところビンゴ。北条氏の北の拠点、鉢形城がある寄居町のものだ。



さあ、いよいよ八王子城の本丸跡を目指して山を登っていく。この道は前田利家が進軍した大手筋のようだ。戦国の習いとはいえ、先陣にはつい先日まで同胞であった北条の降参兵が充てられたという。



細い尾根道が続く。守備兵が潜むところはいくらでもある。寡兵とはいえ、決死の守備軍の奮闘で前田軍の被害も相当なものだったと伝わる。



ただただ登りが続く道だけれど、少し平坦になったところにはいくつもの曲輪が設置されていたという。



もとは多摩川に沿った加住丘陵にある滝山城を西の拠点にしていたものが、武田軍の小山田信茂が当時未開の小仏峠を越えて奇襲してきたため、大いに苦戦を強いられた。その後北条氏照は小仏峠にも睨みを効かすことができるこの山に拠点を移したのだ。



坂道を登ること40分ほどで本丸近くにある八王子神社までやってきた。氏照が城の普請と同時にここに牛頭天王と八人の王子を祀ったものだ。そして、なんとこの無人の小さな神社が八王子の地名の由来になっているのだ。



社殿の老朽化がかなり進んでいるようだ。おそらく社殿を守るための建屋が社殿に覆いかぶさるように設置されている。



最後の急坂を攀じ登るように本丸があった山頂(446m)に向かう。こんな坂を甲冑を着込んで、武具を抱えて攻めあがるなんてことを考えるだけで頭がクラクラしてくるような気になる。



小さな祠の横に八王子城跡の石碑が立つ。前田利家からの降伏勧告の使者を切り捨て、城兵の大半は決死の覚悟で奮戦し、ある者は討たれ、ある者は自害したという。僅か一日しかもたなかったと揶揄する声も聞くけれど、大軍を相手によくやったよ。静かに手を合わせる。



本丸の平坦部はごく小さい。何十人もの敵に囲まれ、最後の1人になるまで闘い続けた北条武者の姿が目に浮かぶようだ。いわゆる小田原評定で無駄な時を過ごした北条氏も、難攻不落を誇った八王子城が陥落したことで一気に戦意喪失し、間もなく降伏したという。



この山も高尾山と同じく天狗の伝説があるようだ。山中に突如天狗の木造が現われて驚かされる。



手前に見える緑地帯が香住丘陵のようだ。標高160mほどの滝山城があったところだ。その向こうに見えるのは、先日登った筑波山ではないか。お正月で空も澄んでいるのだろうか。意外にも近くに見える。



八王子城跡から出るバスの発車時刻までには随分と時間がある。八王子城山からゆっくりと下山し、続いては氏照が日頃居住し政務を執ったと言われる御主殿を目指す。



近年御主殿へと繋がる古道が整備・復元され、随分と歩きやすい道になっている。城山川という渓流に沿って西へと向かう。一方向からしかアプローチできないような奥まったところに御主殿はあるようだ。



城出川にかかる曳橋。有事の際にはこの橋を壊して敵の侵入を拒んだという。単なる居住ゾーンではなく、御主殿も掎角の計の如く、山上の本殿と連携して敵軍に立ちむかう軍事施設なのだ。前田軍が山上を攻める一方、上杉・真田軍はここを襲撃している。



かなり精密に当時の遺構が復元されているらしい。さらに石垣には当時のものがそのまま残されているところもある。自然石を重ねた野面積みではなく、ある程度石の表面が削られた打込接ぎの石垣だ。



御主殿に到るまでは曳橋、虎口、石段など、本格的な城郭としての設えが施されている。ある程度の敵軍ならば、ここで十分防戦できそうにも思えるけれど相手が悪かった。歴戦の強兵を率いて上杉景勝と真田昌幸が押し寄せてきたのだ。しかも城主の氏照は不在だ。



山上の本丸と比べて随分と広い。北条方の婦女子の多くはここに詰めていたようだが、その多くは殺戮されたり、あるいは川に身を投げたという。



できればさらに滝山城跡まで足を延ばしたかったけど、さすがに時間的に無理。八王子城跡バス停で今日は終了。歩行距離は4.6㎞、獲得標高は334m、所要時間は2時間20分。高尾山と合わせた本日の歩行距離は12.9㎞、獲得標高1021m。そこそこ疲れた。