甲州街道(6)鳥沢〜大月 &岩殿山

 2023年1月4日


2日間の予定での甲州街道歩き。鳥沢駅からスタートすると間もなく上鳥沢宿の標識が現れる。淡々と歩くだけなら1日で20㎞先の笹子駅まで進めるけれど、それよりも以前から超気になっている岩殿山城に立ち寄りたい。



鳥原駅から40分ほど歩けば、犬目宿、鳥沢宿とともに桃太郎伝説の由縁となっている猿橋宿。ここに日本三大奇橋のひとつに数えられる猿橋がある。橋脚がなく、両岸から何本もの短い刎ね木をせり出すように重ねることで、橋桁を支えている。



残念なことに工事中ということで、猿橋を歩いて渡ることはできない。ここまで30mくらいはあった桂川の川幅が、ここだけ数mとなっている。それだけに谷は深く橋脚を立てることができない。でも多少無理をしてでもこの場所に橋を架けたかったという気持ちは判る。



伝承によれば、この猿橋ができたのはなんと飛鳥時代。何匹もの猿が手を繋ぎ合って橋をつくる「猿の谷渡り」にヒントを得て製作されたという。そのためか猿橋の傍には猿のトーテムポールのようなものが立っている。



猿橋宿からさらに西へと進んでいくと行く手に、荒々しい岩肌がむき出しになった岩殿山が現れた。これこそ難攻不落を誇った岩殿山城が築かれた山だ。これに登らないなんて選択肢などありようがない。



この辺りは水力発電の設備が多い。猿橋の傍など、水路橋もいくつか見られた。いくつかの発電所をリレー形式で巡っているようだ。明治の終わりに東京に向けて初めて大量の電気の送電を開始し、今も現役だ。



駒橋宿。かつて旅籠だった建物が今も残されている。門前にはかつての「橿屋」という表札が今も架かっている。



さあ甲州街道を一旦離れて岩殿山へと向かう。反り立つような岩壁の上に築かれた岩殿山城は織田軍の侵攻で武田勝頼が甲府を捨てて籠ろうとした難攻不落の要害だ。とにかく圧が凄い。この山の姿を目の当たりにすると攻城軍の戦意も挫けてしまいそうだ。



しかもアチコチと崩落しているらしく、甲州街道に近い南側の登山口も、その次に近い登山口も、通行禁止になっている。岩殿山の北側にある畑倉登山口まで2㎞ほども大きく回りこんだところにやってきた。



南側や東側からと比べると北側からの道はまだしも厳しくないようだ。もっともこの後、何が待ち受けているのか分かったものではない。



これが鬼の岩屋。里に出て女子供を攫ったり、牛や馬などを盗んだり、悪事を働いていた赤鬼が住んでいたというところだ。そしてここに上野原に住んでいた桃太郎が、犬目、鳥沢、猿橋で募った仲間とともに鬼退治にやってきたというのが大月の桃太郎伝説なのだ。



もちろん鬼がいるはずもないけれど、上野原、犬目、鳥沢、猿橋と、桃太郎と同じ道を歩いてついに鬼の棲家まで辿り着いて感無量だ。しかし洞窟周辺にはツララや氷が見られ、この先の登山を不安にさせてくれる。まだ2割ほども登っていないのだ。



先にそそり立つような岩壁を見ているので、大した斜面とは感じないけれど、結構足に応える坂が続く。それに粘土質の土や、滑りやすい岩もところどころにあって油断できない。



約40分で頂上に到着。標高は634m。スカイツリーと同じ高さだ。眼前には見事な富士山が聳えている。城主小山田信茂は、保身のため土壇場で勝頼の入城を拒み、稀代の裏切り者と蔑まれることが多いけれど、信茂の事績を思えばそんな単純な話とは思えないのだ。



壁のような岩肌を目にしているだけに崖には近寄れないけれど本丸跡周囲を少し散策する。山の地形だけでも十分に鉄壁の守りと思えるけれど、さらに空堀などもある。しかし周囲が敵だらけで後詰が無い以上、勝頼がここに籠城していても滅亡は時間の問題だっただろう。



なんとか雲のかからない富士山の写真を撮影したいと、しばらく待つけれど、なかなかスッキリとはしない。西から東にゆっくりと流れる雲だけでなく、富士山の山頂付近で新たな雲が発生しているように見える。まるで富士山が雲を吐き出しているかのようだ。



多くのハイカーはここから岩岩した道を経て西の登山口へと縦走するようだ。しかし鎖場も多く、稚児落としなどといういかにも難所っぽいところが多い。今日は半端な装備でしかないし、時間もないので来た道を下りることにする。



覚悟はしていたけれど、下りには随分と気を使わされる。落ち葉が積もった急斜面で転倒などしたならば、ずっと下まで転げ落ちてしまいそうだ。



再び桂川を南に渡り甲州街道へと戻る。この辺りの断崖になっているけれど、猿橋付近に比べると随分と川幅は広い。この川もまた岩殿山城の要害化に一役買っていたことは間違いない。



大月駅。かつては小山田氏が支配していた甲斐西部・郡内地方の中心だ。江戸時代には大月宿が置かれ、富士山参詣道との分岐点として賑わったそうだ。



歩行距離は13.1㎞、獲得標高は651m。所要時間は5時間半。そのうち街道を歩いていたのは2時間余りだ。



岩殿駅から急いで大月駅まで歩いたのは、是非とも訪問したいところがあったからだ。リニア見学センターだ。大月から南へ、ルートのほとんどがトンネルになっているけれど、都留市内の山中にあるごくわずかな地上部に実験センターと併設されている。



館内には展示車両や軌道の見学などができるとともに、リニアの原理である超電導現象を実験を用いての解説が聞ける。おお、液体窒素で冷却された金属体が磁石の上で確かに浮いている。



リニアの軌道。レールが無いので何だか自動車道のようだ。運が良ければ実験走行でここを走行するリニアを見学できるらしい。



大月に戻り、山梨名物のほうとうを食べる。小麦粉を練って細く切っているけど、麵のようで麵でない(コシがない)。これが味噌とカボチャなどの野菜と相まって、とてもまろやかな味だ。