2024年8月5日
酷暑の埼玉県に遠征。目的は行田まで歩いた中山道の続きを歩いて群馬県入りを果たすことだったのに、初日から猛暑。予想最高気温が37度とか38度とかと聞いて腰が引けてしまう。そこで一度訪問してみたかった川越の散策に予定を変更する。
JR・東武が乗り入れている川越駅から北へ。江戸情緒が色濃く残る街として聞いていた川越なのに、主要ファーストフード店が勢揃い。さらに携帯ショップ、コンビニ、ディスカウントストア、カラオケなどが軒を連ねた、21世紀型の商店街。これが小江戸かぁ?
商店街をしばらく歩いていくと、急に重厚な建物が並ぶエリアにやってきた。大正浪漫夢通りというところらしい。石畳が敷き詰められ、電線が地中化された街並みはまるで映画のセットのようだ。
実際テレビや映画のロケでもよく使われるらしい。古い建物を有効活用しつつ、新たに建設される建物も、大正時代に流行した瓦屋根の町屋や石造りの西洋建築に時間をかけて統一してきたのだろう。その全てが張りぼてではなく、実際に営業中のお店なのだ。
さらに観光客を乗せた人力車が往来し、大正レトロを盛り上げている。午後2時となり、おそらく気温は37度ほどになていると思われるけれど、そんなことはお構いなく海外、特に中国系の観光客がとても多い。
川越といえば鰻や薩摩芋が名物らしいけれど、数ある飲食店のなかから是非訪問したかったのが、卵料理のオハナというお店。テレビで何度も紹介されていて、名物の親子丼や卵サンドが絶品らしい。
午後2時というのに満員で、入店まで15分ほど待たされて親子丼を注文。トロトロのフワフワだ。ここまでトロトロだと、親子丼も飲み物に近い。甘めの出汁が効いた親子丼を一気に平らげる。テーブルも椅子も質素な街の定食屋風のお店だけれど、確かに味は極上だ。
暑さにメゲそうになりながらも、川越城跡を訪問する。太田道灌が築城し、北条氏の北の拠点となり、江戸時代には松平信綱や柳沢吉保など大老・老中を数多く輩出し、常に江戸幕府で重きをなした川越藩の居城だったところだ。
10万石超と、武蔵国最大の石高を誇る川越藩だけれど、天守は無い。政庁となっていた本丸御殿は今も現存している。様々な時代に歴史に登場する川越城だというのに、訪れる人も少なくとても静かな佇まいだ。
川越城内にある三芳野天神が「通りゃんせ」の発祥の地だとの碑がある。城内にあるため天神様へのお参りが容易でなかったことを歌ったらしい。もっとも他にも発祥地と言われるところはいくつもあるらしい。
太田道灌以来、川越の鎮守として信仰を集めてきた川越氷川神社。大鳥居の前には何百もの風車が飾られている。参道は風車の写真を撮る観光客で溢れかえっていて、通れない…。
別な参道には、縁結びの風鈴が飾られていて美しい音色を響かせている。もっとも今日の暑さは風鈴くらいでは太刀打ちできない。
川越氷川神社前のバス停。バス停標識は可愛い木札で、とてもレトロな造りになっている。
様々な逸話がある川越城だけれど、個人的には何といっても川越夜戦なのだ。僅か3000で守る川越城に、押し寄せた室町幕府の関東支配者であった古河公方に扇谷・山内両上杉家の連合軍数万を見事蹴散らしたという桶狭間・厳島と並ぶ日本三大奇襲戦のひとつなのだ。
そんな凄い戦いだというのに、川越城の東北、東明寺というお寺の境内に「川越夜戦跡」と書かれたシンプルな石碑が立っているだけ。観光客が既に大勢押しかけているとはいえ、川越市はもう少しPRしてもいいんじゃなかろうか。
静かな境内は鬱蒼とした樹々に囲まれて、ちょっとヒンヤリしている。休憩している目の前をフラフラと歩いてきた猫が参道の石畳の上に突然寝転んだ。なんとも無防備なことだけれど、きっと石の冷たさが心地良いのだろう。
さあ、いよいよ、川越最大の人気スポットとなる菓子屋横丁と蔵屋敷の街並みに向かおう。壁には随分と年季が入った映画館の広告板が設置されている。とうに閉館した古い映画館のものを残しているのかと思いきや、まだ現役で営業中らしい。
菓子屋横丁。もっと駄菓子屋が立ち並ぶ雑然とした通りだと思っていたけれど、どの店も小綺麗だし、道も広い。しかもインバウンドを意識してか、かなり今風のスイーツを売る店ばかりが目立つ。
もちろん、昔ながらの麩菓子、飴玉などもたくさん売られている。懐かしい小さな玩具などもある。海外からの観光客が興味深そうに商品を見ているけれど、なかなか手を出しにくいだろうなぁ…。
人気なのは、すぐ食べることができる薩摩芋系のスイーツの店頭販売。もともと江戸っ子好みの気取らない菓子を売ることで繁盛したという菓子屋横丁だけれど、大きな転換期に差し掛かっているような気がする。
蔵造りの町屋が立ち並ぶ蔵屋敷の街にやってきた。明治の大火で蔵造りの家屋が被害を受けなかったことから、次々と蔵屋敷が建てられたそうだ。川越を南北に貫く主要道なので仕方ないけれど、車両やバスが通行していなければ、タイムスリップした気分になれそうだ。
同じように見えるけれど、ひとつひとつの家屋は、違った造りになっている。どれも長い風雪を潜り抜けてきた古強者のような風格が感じられる。
時の鐘。初代は400年前に建てられたという鐘撞堂だ。その後火災などにより、今のものは四代目。人が撞くのではなく、機械仕掛けになっているらしいけれど、400年もの間、一日4回鐘が鳴るらしい。
大正浪漫夢通りと同様、ここの蔵屋敷も全て営業中。お菓子屋さんが多いけれど、額縁と掛け軸を商う渋いお店も多い。