グアム散策(2020)

2020年2月22日(土)


グアムにやってきた。1年半ぶり2回目の訪問になる。1月に体調を崩し、米国出張をキャンセルせざるを得なくなったので3か月ぶりの海外となる。もっともグァムというところは、日本人からの観光客は随分減ったと言われるものの、日本語や日本っぽいものが溢れていて、米国本土とは雰囲気はかなり異なる。グァマモンなるくまモンから名前の一部を拝借したしか思えない、不思議なマスコットキャラクターが出迎えてくれる。



2泊3日ではあるけれど、最初の2日は仕事で、ホテルの窓から景色を楽しむだけ。最終日、午後にしかない帰国便までの自由時間を使って少し散策してみよう。



海岸沿いの道には、お洒落なショップやレストランが並ぶ。高さ規制をしているのだろうか、道路に面したビルの高さは綺麗に揃っている。



直感的には、グアムへの訪問者は韓国人が圧倒的に多い。中国人は新型コロナの影響だと思うがあまり見かけない。日本からのフライトも随分と減ったけど日本語は町中に多く見かける。



町をブラブラ歩いていると声を掛けてくるのは決まって実弾射撃場への勧誘だ。ちょっとくらいの興味はあるけれど、それより声を掛けてくる人の胡散臭さへの拒否感が先に立つ。



ビーチは相変わらず美しい。でも泳いでいる人も、マリンスポーツを楽しんでいる人もあまりいない。賑わっているのはホテルのプールだ。



グアムには、電車もなければ、バスも限定的。タクシーはメチャクチャ高い。島内を見て回るならレンタカーということになるのだろうか。まあ、リュックを背負って歩き回っている人はまず見かけない。



観光客が行き交うエリアから、なるべく離れていくことにする。少し歩くと場末感のある歓楽施設が集中している。この看板では日本人しか入ってこないよなぁ…。日本人はかなり少ないように思えるのだけど、経営は成り立っているのだろうか。



驚いたことにパチンコ屋もある。パチンコというのは日本にしかないものと思っていた。お客さんがいるのか確かめてみたいが、日本のパチンコ屋のようにガラス張りではないため、外からは内部を窺い知ることができない。



コンビニがある。無論、観光客も多く利用する大手コンビニもあるのだけど、ここは主に日本人を相手にした店なんだろうか。



押しボタン式の信号機には、なんと6つの言語で説明がある。英語、日本語、韓国語、そして中国語が2つ(簡体字と繁体字か?)、そして意外なことにキリル文字がある。ロシア語だ。調べてみると、最近日本人観光客減少分を埋めるため、グアムはロシア観光客の誘致に力を入れているそうだ。確かにロシア極東部からならそう遠くない。



観光地エリアをはずれ、坂を登っていく。海の向こうに恋人岬が見える。ウォーキングで行ける距離なんだけど、この種のスポットにひとりで行く気にはなれない。



ガソリンスタンド。米国本土と比べれば随分と高い。倍くらいの値段はしている。グアムの人々の大半は車移動なので、家計に占めるガソリン代は結構な比率になるのではなかろうか。



大手スーパーKマートにも立ち寄る。観光客向けの土産屋より、面白くて実用的なものが安く手に入りそうだ。



米国本土のスーパーにも増して、床面積に対する通路の比率が高い。商品の陳列密度は低い。でも床面積は広いので、決して商品の数が少ない訳ではない。歩き回るのが大変だ。



カーディーラー店。屋上に自動車が展示されているのだけど、今にも落っこちそうなポジションに自動車を停めている。日本と違って地震に配慮する必要はないだろうけど、台風とか大雨とかは心配ないのだろうか。



アチコチ歩いてみたけど、この種の集合住宅が比較的所得の低い人たち向けの典型的な住宅のようだ。ごくシンプルなアパートだけど、壁面に絵を描いているのがグアム流なのだろう。



もう少し所得の高い層は、このくらいのマンションに住んでいそうだ。壁面に絵を描いているところは変わらない。もちろん、グアムには庭付きの大きなお宅に住んでいる人もたくさんいる。



グアムの交番。あまり目立ったマークもないので、わかりにくい。興味深いの自販機。右と左にひとつずつあるが、一方がコカ・コーラで、もう一方がペプシだ。公共機関ならではのバランスを取らねばならないのかもしれない。



グアムの下水マンホール。特記すべきデザインではないが、注目すべきはマンホールの下部にあるCHINAの文字。中国製だ。アメリカ本土はなぜかインド製が圧倒的に多いのだけど、中国製は見たことがない。それにしてもアメリカのマンホールって、どうして生産国名を記しているのだろうか…。



歩行軌跡を記録することもなく、あてもなく歩き回った。グアムでは新型コロナの感染者は未だ無いというが、日本からの訪問を受け入れて貰えるかギリギリまで心配していた。幸い何の問題もなくビジネスもウォーキングも済ませることができたけど、ドラグストアにはもはやマスクは見当たらなかった。

尼崎~御影(スマホを落としただけなのにスタンプラリー)

2020年2月15日(土)


映画「スマホを落としただけなのに」の封切りを記念して、阪神電鉄の3駅を対象としたスタンプラリーが開催されている。映画には興味もないし、歩き尽くした感のある阪神間だけど、寒いなか、他に行きたいところも見当たらない。珍しく消極的参加だ。阪神尼崎駅で最初のスタンプをゲットしてスタート。この後、西宮と御影に向かう。



阪神尼崎駅の北口には駅前としては結構大きな公園がある。今まで何度も来ていながら気付かなかったけど、植樹の陰に「工業の神」という石像があることに気付く。ハンマーとペンチを持ち、決死の形相で何かを製作している。30年ほど前まで尼崎って煙を吐き出す工場が並ぶ典型的な工業都市であったことを今更ながら思い出す。



尼崎駅前から出屋敷駅のあたりまで、長い長い商店街が続く。



国道2号線に向けて尼崎の西部を流れる蓬川の遊歩道を北に進む。とても気持ちよく歩ける道だ。



国道2号線を西進していると、奇妙な博物館を発見。シャレコーベミュージアムだ。長い期間を掛けて個人で収集した頭蓋骨とその関連グッズを展示しているらしい。お化け屋敷のようなものかと思ったが、館長は医大の名誉教授。頭蓋の専門家かもしれない。



武庫大橋。西宮市と尼崎市の境となる武庫川にかかる美しい橋梁だ。大正時代の建築だが、この時期に建てられた邸宅やビルと同様、優雅さと頑強さを兼ね備えている。阪神間モダニズムの代表建築のひとつだと思う。



アサヒビール西宮工場跡地。広大な敷地だが、カーディーラーなどのロードサイド店に加えて、マンションのようなものも建設されてきた。さらに病院が統合・移転されると聞いているけど、まだ土地は余っているはずだ。




阪神西宮駅で2つ目のスタンプをゲット。人形浄瑠璃のポスターが見られる。あまり知られていないことだけど西宮は人形繰り発祥の地なんだそうだ。西宮戎神社では、ときどき人形芝居が催されるという。



阪神香露園駅のあたりで、阪神電車と阪神高速は数十メートルの距離に近づく。狭いところでは30mくらいだ。2つの高架に挟まれて駐車場ばかりか住宅も結構建てられている。どうしてこんな半端な土地を残したのだろう。



打出商店街。打出の小槌伝説発祥の地とも伝わる。ここの商店街は約100mと相当短い。最近、日本一短いアーケード商店街をウリにしていた大阪の肥後橋商店街(79m)のアーケードが撤去されてしまった。打出は新王者の有力候補だと思うのだが…。



阪神芦屋駅の南、国道43号線に沿った小さな公園に「龍頭の泉」というものがある。阪神大震災の教訓から、道路沿いに空地を確保するとともに、初期消火のための蛇口を設置したらしい。もっとも、洋館の庭で使用されていた石造物を移設して、洒落た池まで設置してしまうのが、芦屋らしい。



芦屋川を東に越えて暫く進むと、神戸市の深江になる。このあたりが阪神大震災で阪神高速の高架が横倒しになったところだ。当時のニュース写真に強い衝撃を受けたことを覚えている。その後復旧された橋脚は、他区間のものよりも随分強固に見える。



阪神電車の深江駅。高架化の工事は完了し、古いホームが撤去されるのを待つばかりとなっている。地上線だった時の線路とホームを合わせれば、結構な幅を持つ長い長い空地が誕生するが、どのように利用されるのだろうか。要注目だ。



住吉川の西岸を走る六甲ライナー。魚崎より南では、レトロな灘の酒蔵群の風景とのハレーションを起こすので残念な存在なのだけど、魚崎より北側では、近代的なビルやマンションの景観にマッチしているように思える。



新型コロナでマスク不足が問題になっているが、「手作りマスク実習のご案内」のポスターが見える。



御影駅に到着。駅の高架下に霊泉「沢の井」がある。神功皇后が外征から凱旋したときに、この泉で化粧をしたと伝わる。事の真偽はともかく、町の真ん中にありながら清澄な湧き水を絶やすことのない沢の井が特別な泉であることは間違いない。



尼崎、西宮、御影で3つのスタンプをコンプリート。映画館がある駅がスタンプポイントになっているのかと思ったけど、御影には映画館はないはずだ。ご褒美は、映画のタイトルを書いたステッカー…。字だけの地味な色合いだ。



歩行距離は20kmくらい。アプリで見れば、細かな右左折や寄り道もしっかり記録されていることが判るのだけど、粗い画像に落としてしまうと、まったく面白みのない軌跡でしかない。





金谷宿~掛川宿【東海道五十三次-13】

2020年2月9日(日)


今日は金谷宿からスタート。JR金谷駅東の高架をくぐって、案内板に従って旧東海道の石畳に向かう。



石畳は比較的新しいものだ。調べてみると、平成3年に町民ひとり一石運動を展開しこの石畳の道が復元されたそうだ。滑りやすい川石ではなく、ザラザラした山石を使っているというが、もう少し隙間なく石を敷き詰めてもらえれば更に良かったのに…。



金谷坂を過ぎると、そこは茶畑が広がる牧之原台地。茶葉を傷つけることがないよう、茶畑の畝の幅に合わせて足を拡げて移動する、見慣れない農耕器具が見られる。



東海道のすぐ傍に諏訪原城跡がある。武田氏が徳川領(遠江)に圧力をかけるために築城したものだ。特に入り口もなく入場自由のようだけど立派なパンフレットがおかれている。石碑も立派なものだ。



大した城でもあるまいと思っていたが、城の出入口には、武田のお家芸「三日月堀」と「丸馬出し」がおそらく当時のままにいくつも残されている。水の少ない牧之原だけに、三日月堀は空堀だったと思うのだけど、敵の侵入を食い止めるだけの深いものだ。



茶畑の向こうの山に「茶」の文字が見える。茶の字のところ以外の樹木を伐採して作ったようだ。たった一文字で牧之原をアピールしている。



再び石畳が現れた。菊川坂だ。江戸時代後期の石畳が残っているが、破損がひどく、最近になって大修復をしたそうだ。



菊川坂を上りきると、菊川の集落が眼下に広がる。金谷宿と日坂宿の中間にある小さな間宿だ。東海道有数の難所と言われる「小夜の中山」の上り坂の前に、ひと息入れる休憩ポイントだったのだろう。



承久の変で捕らえられ、鎌倉への護送中に菊川で宿泊した藤原宗行の歌碑がある。その隣に約100年後、正中の変で捕縛された日野資基の歌碑がある。朝廷復権の夢破れ鎌倉で処刑された宗行に自分を重ね合わせたであろう資基の気持ちを考えると胸が詰まる。



小夜の中山の急坂を登っていくと久延寺がある。当時掛川城主の山内一豊が、会津征伐に赴く家康を接待したところとして知られる。清州の福島正則、岡崎の田中吉政、浜松の堀尾吉晴、駿府の中村一氏、そして掛川の山内一豊…、家康の抑えのため東海に並べた子飼いの武将は皆家康に尻尾を振る始末になった。秀吉はあの世でどう思っていただろう。



坂を登りきったところが中山峠。尾根道の左右には相変わらず茶畑が広がっている。



中山峠から日坂宿に掛けての道沿いには、句碑や歌碑が多く建てられている。芭蕉も「馬に寝て 残夢月遠し 茶のけぶり」と詠んでいる。



安藤広重が小夜の中山を描いた浮世絵。とんでもない急坂が描かれているが、さほど厳しいものには感じられなかった。まあ、当時の旅人と比べれば、一日の歩行距離も歩行速度も半分くらいのチンタラしたウォーキングだから坂によるダメージも違ってくる。



中山峠からの下り坂はこんな感じ。確かに厳しい坂だけど、足が笑うような下り坂ではない。当時から道も舗装されたり石段が施されたりして歩きやすくもなっているのだろう。



日坂宿に到着。日坂は「にっさか」、重箱読みだ。小さな町だけど、元宿場町の雰囲気を色濃く残している。街並みも当時とあまり変わっていないように思える。



旅籠の保存状態もよく、無料で内部見学をさせていただけるところも複数ある。ここは萬屋。庶民の旅籠だったという。入り口には足を洗うための縁台がある。



こちらは川坂屋。公家や上級武士の泊まる宿だったそうだ。ここに宿泊した山岡鉄舟や西郷従道などの書も残っている。籠などで旅するため足が汚れないため、足を洗う縁台は無いという。



高札場も当時のままのようだ。ここまで旧東海道の約半数の宿場町を訪ねてきたが、これまでのなかでは日坂宿が群を抜いて江戸時代の旅人の気分になれる宿場町だ。



日坂宿の次は掛川宿。金谷から日坂まで、旧街道らしい道が多かったのに対して、日坂から掛川の間は特に見どころもない退屈な舗装道が続く。



掛川宿に入ると旧街道は右左折を繰り返す。七曲がりと呼ばれるものだ。城下町だけに敵が真っ直ぐに攻めてこないように工夫されているようだ。あまり遠回りを強いられると攻め方の士気も下がってくるような気がする。



「塩の道」の石碑がある。地産地消の時代でも塩ばかりは話が別で、掛川は遠州灘の塩を伊那や諏訪方面に送り出すルートになっていたという。塩の道はさらに日本海まで通じていたという。東海道のような官道とは異なり、庶民が必要に駆られて作り上げた道だ。



掛川城の近くは風致地区になっているのだろう。高層の建物はなく、銀行も商店もオフィスも和風の切妻屋根になっている。



掛川城にやってきた。今川配下の朝比奈氏が築城し、山内一豊が大拡張をしたものだが、幕末の地震で天守閣は倒壊したそうだ。今の天守閣は平成に入っての日本初の木造再建天守だ。堀や塀と天守閣とのバランスもよく、美しいシルエットだ。



もっとも近づいて観察すると、石垣はいかにも近代的な工法が採用されていて、同じ大きさに加工された石が積まれている。



JR掛川駅から帰路につく。駅舎もまた和風の切妻屋根だ。駅前にはあまり見られない二宮金次郎像が立っている。



難所と思われた小夜の中山でもさほどのダメージを受けず、次の見付宿(磐田)まで行こうと思っていたのだけど、掛川城の天守や御殿はなかなか面白く、思わぬ時間を掛けてしまった。総歩行距離は18kmくらい。