六甲山系スタンプウォーク(高取山)

 2022年5月14日


YAMASTAのスタンプラリーに挑んだものの、旗振山と横尾山ではスタンプをゲットできたのに栂尾山でチェックインできないトラブルに見舞われて失意のうちに下山したのが3日前。不具合の原因は不明だけれど、板宿駅を起点に高取山側からコース逆向きに再挑戦する。既に時刻は午後3時だけれど、明るいうちに栂尾山まで辿り着くことは十分可能のはずだ。



高取山は神戸特有の風習「毎日登山」の対象になっている山のひとつ。住宅街を抜ける登山道には「山登りはお静かに」の看板が多く見られる。早朝から大勢の人が気の合う仲間たちとお喋りしながら山に登っているようだ。



山頂への最短ルートと思われる一の宮コースの階段を登っていく。急坂ではないけれど、毎朝となれば相当大変なことだ。階段の脇には古い祠や石碑などが多い。茶屋も多く、運動場とか輪投げ場(今は閉鎖?)まであって、登山後の社交の場にもなっていることが判る。



高取神社に向かう最後の石段。板宿駅から南麓を登っていく道では、ここが最大の急坂になるように思う。



高取神社。どこからも車道が通じていない山頂部とは思えない立派な神殿がある。伝えられるところによれば創建は神功皇后の時代にまで遡るというが、やはり六甲山系のなかでは珍しい独立峰だけに、古くから信仰の対象となっていたようだ。



高倉神社からの眺望は素晴らしいんだけれど、いつものことながら電線が邪魔だ。もう少し工夫してもらえれば、と思う人も多いだろうけれど、実はここは「ほぼ頂上」であって「頂上」ではない。より良い眺望を望むのならば、頂上まで登らなければならない。



階段をのぼって多数の石碑が並ぶ高取山山頂(328m)までやってきた。さて問題のYAMASTAだが、高取神社の本殿前ではチェックインできなかったのは想定内だったけれど、頂上でもチェックインできないではないか…。一体どうしたことか。



電線に邪魔されない高取山頂からの眺望は素晴らしいけれど、YAMASTAのスタンプを取得できず落胆は甚だしい。更に良く見ると、データのアチコチが壊れているように見える。過去取得したスタンプ全てが消えている。どうなってるんだぁ…。



やむなくスタンプ取得は諦め、六甲縦走路を西に妙法寺・馬の背方面に向かうけれど、今日の山歩きの目標を見失い、足取りは重い。



登ってきた表参道は石段が続く整備された道だったけれど、西側に下山する道はタフな道だ。考えてみれば、この道は登りでしか歩いたことがなかった。



午前中まで降っていた雨のせいで、滑りやすくなっているところも多い。栂尾山まで行く気はとうに失せているので、急ぐことはない。慎重に山を下りて行く。



高取山と東山の鞍部にある妙法寺に立ち寄る。六甲縦走路を歩くときは山門の前を通り過ぎるだけだったけれど、初めて境内へと足を踏み入れる。平清盛が、京都の鞍馬に相当するこの地を福原鎮護の霊場として手厚く保護したという。



で、ここもまたYAMASTAのスタンプポイントになっているんだけれど、予想どおり全く反応してくれない。



もはや地下鉄の妙法寺駅まで歩く気さえ起らず、最寄りの神戸市バスで帰路につく。風見鶏や市章山などをあしらった座席シートが可愛い。




3時間弱で5㎞強。あまり立ち寄らなかった全山縦走路沿いの施設を観察・見学しながらの随分とのんびりとした山歩きに終わった。





六甲山系スタンプウォーク(須磨~妙法寺)

 2022年5月11日


雨が続くなかでの貴重な晴れ間に、六甲山全山縦走路の西の起点、須磨浦公園駅にやってきた。既に13時半だけれど、東に向けて歩けるところまで歩いていきたい。



スマートフォンアプリYAMASTAが、六甲山系29ヶ所をスタンプポイントにした6コースのスタンプラリーを開催している。六甲山系をホームにしているハイカー&スタンプラリーストとして見過ごすことはできない。先着で貰える記念缶バッジを是非ゲットしたいものだ。


今日は六甲全山縦走路の西側に設定された六甲山満喫コース①に挑戦。須磨浦公園駅から旗振山に向かうが、この階段がいきなりキツイ。なんとかロープウェイの鉢伏山上駅までは休憩なしで歩こうとゆっくり進んでいくけれど、やはり今日も途中で腰を下ろしてしまう。



鉢伏山(244m)のロープウェイ駅まで登ってくると、須磨海岸の砂浜が広がる絶景が待っている。午前中は雨模様だったというのに、見事なまでに晴れ渡っている。ところが明日はまた雨だという。



この辺りにいくつかある立派な石標は要注意だ。「右:鉢伏山頂、左:下山道」、これはいい。問題は「正面:鉢伏山・鉄拐山」だ。右と左は、石標に向かって右・左だというのに、正面とは写真の手前側なのだ。石標の奥に続く道を進むと真逆に歩いてしまうことになる。



明石海峡大橋の眺望が広がる旗振山(252m)。米相場の旗振り通信地点として知られるところだ。当時、大阪・岡山間の所用時間が僅か15分。その間に10を超える旗振り地点があったと言われる。実に興味深く、最近ようやく入手できた旗振り山の本を読み進めている。



須磨浦公園からの急坂と異なり、旗振山から鉄拐山への道はなだらかな稜線。とても気持ちよく歩いて行ける。ところが10分ほど歩いて、旗振山山頂でスタンプをゲットすることを忘れたことに気付いた。何たる失態か…。



再び旗振山に戻り、スタンプをゲット。GPSの位置情報でスタンプゲットできる仕組みだ。まさに旗振り通信の絵柄のスタンプなのが嬉しい。



鉄拐山(237m)を越えた階段の下にある「勢揃松」の標識。源義経が福原攻撃の際に馬を勢揃いさせたところと伝わる。NHK大河の影響で案内板ができるのでは?と思っていたんだけれど…。付近に松などないのに、何が勢揃松なんだろう?と首を傾げる人は多いはずだ。



高倉山(200m)から激坂階段を下り、正面の栂尾山に登る。もともと高倉山と栂尾山の間も山だったのが、住宅街建設のため山は大きく削られたという。削られた山の土はポートアイランドの埋立に使われた。かつて神戸市が得意にしていた一石二鳥の都市開発手法だ。



高倉台の住宅街の緑地に「猫トイレ」なるものが設置されている。言うなれば猫の公衆トイレで、初めてお目にかかった。



高倉台から栂尾山に向けて、激階段を登っていく。この階段がムチャクチャしんどい。かといって旧道(文太郎道)を行くのもキツイ…。結局、通称400階段を繰り返しベンチに座り込み息を整えながら登っていく。



階段の脇には、鮮やかな黄色い花が多く見られる。が、これって「オオキンケイギク」ではなかろうか。だとすれば、特に生態系に悪影響を及ぼす外来種として駆除が進められているはずだ。見た目はすごく可愛いんだけれどねぇ…。



階段を登りながら、後方を振り返る。歩いてきた山並みがよく見通せる。中央左のアンテナが立つ山が旗振山だ。



これまで気づかなかったけれど、階段の最上部には階段の段数を示すと思われる数字が並んだ標札が掲げられている。よく400階段と呼ばれているけれど、この標札によれば実際には348段のようだ。



小さな展望台が設置されている栂尾山(273m)。個人的には長い六甲全山縦走路のなかで、須磨浦公園からの階段と、高倉台からの階段が2大苦痛ポイントだ。さすがに息があがり、ベンチに座り込む。



ここが2番目のスタンプポイントになっているはずなのに、何度試しても「チェックイン指定場所ではありません」とつれなく拒否される。なんということだ。諦めきれず、他のハイカーとのお喋りをしながら何十分も粘るものの、結局スタンプは獲得できなかった…。



今日の山歩きの主目的の達成が成らず、完全に意気消沈…。このまま下山しようかとも思ったけれど、ここまで来たのだから馬の背には寄っていこう。徐々に岩岩しさを増す道を西へと進んで行く。




馬の背の手前にある横尾山(312m)。なんとここではすんなりスタンプがゲットできた。先ほどの栂尾山はどうしてダメだったんだろう…。もう一度栂尾山に戻ろうか、とさえ思ったけれど、結局そのまま馬の背へと向かう。



馬の背。いつ見ても標高200mほどとはいえ凄い景色だ。初めて来たときは、こんなトコ歩けるのか?とかなりビビったことを思い出す。



実に珍しいことに馬の背に誰もいない。なかなか人の姿が映りこまない写真を撮ることが難しいところだけに、色々と写真を撮りながら岩場を進んで行く。



名勝馬の背の標柱。人気の記念写真スポットだけに、人がいない写真を撮るのはなかなか難しいところなのだ。



紅山などの岩場はすごく怖いのに、馬の背は全然平気だ。ここだって一歩踏み間違うと大事故必至なんだけれど、どうしてだろうか。自分でも怖く感じるところと感じないところの境目がよく判らない。



東山(253m)の山頂から急坂を下っていく。正面に見えるのは高取山だ。ホントは高取山まで行きたかったのだけれど、栂尾山でのトラブルなどのせいで時間的に余裕がなくなってしまった。



距離6.8㎞、獲得標高620m。所要時間は4時間半とはいえ、1時間半も休憩したことになっている。5スタンプゲットのつもりだったのが、結果は2つどまり。栂尾山に再チャレンジするかどうか、悩ましい…。




亀山宿~土山宿【東海道五十三次-24】

 2022年5月5日


昨日四日市宿から30㎞ほど歩いて亀山宿と関宿との間にあるビジネスホテルに投宿したものの、一晩寝たくらいでは足腰の疲れも背中の張りも快癒するはずもない。昨日杖撞峠手前の資料館で貰ったパンフレットを見ながら、どうしたものかを考え込んでしまう。



取り合えず電車の駅がある関宿までは歩こうと出発。行く手には鈴鹿山脈が聳え立っている。一体どこを登って滋賀県に行けるのだろうか。山並みを見ていてもこの先の道がどう繋がるのかの想像がつかない。



重い体に鞭打つようにして、関宿まで歩いてきた。歩いているとまるで錆びた機械に油がまわるかのように、体も少しは動くようになってくるのだけれど、この状態で鈴鹿越えができるとは思えない。



関宿は東海道五十三次のなかでも最も往時の雰囲気が残る宿場町として人気が高いところだ。およそ2㎞くらいはあろうかと思う細長い町が街道に沿って形成されている。古い建物を大切に維持するとともに新たな家屋の建設にも細かなルールを定めているに違いない。



郵便ポストも赤いものではなく、郵便制度発足当初のような木製の箱状のものだ。集配時刻も側面に記されている。僅かに赤い日本郵便のロゴが申し訳なさそうに片隅に付されているが、これが無ければ現役のポストだと思われないに違いない。



銀行も白壁と出格子の純和風建築風だ。ATMコーナーには「現金自動取扱所」との標札がある。デザインだけではなく、文字類にも細かな心配りがされているようだ。



左の商家は電気屋さん。木の看板に筆文字で店名が記されている。お土産屋さんや飲食店など観光客向けの施設だけではなく、生活用品を売るお店も民家も例外なく協力して町づくりをしていることがよく判る。



まるで映画のセットの中にいるようだ。いや張りぼてのセットとは異なり、馬繋ぎの金具や屋根上の漆喰細工など、細部に至るまで興味深い意匠が施されていて飽きることがない。2㎞近くもこのような街並みが続くが、その向こうには鈴鹿山脈が待ち構えている。



関宿の西のはずれに、東海道と伊賀を越える奈良街道との分岐がある。進むべきか帰るべきか、ホテルの傍のコンビニで行動食用に買い求めた菓子パンを食べながら長らく考え込む。



とりあえず7㎞ほど先にある坂下宿までは行ってみよう。便数は少ないけれど、坂下から関に戻ってくるバスもあるようだ。国道1号線の路肩をゆっくりと進んで行く。目の前の鈴鹿の山々がだんだんと近づいてきているのが判る。



国道を離れ誰も通行人などいない山間の旧道を歩く。昨日は何人もの東海道ウォーカーを見かけたし、関宿は結構賑わっていたのに…。人はいないけど花は多い。この白いアジサイのような花は何だろうか。アジサイにしては木が高い。ガマズミっていうやつだろうか。



坂下宿にやってきた。そこそこ坂を登ってきたつもりなのに、坂下だ。この先、さらに本物の坂があるということだろうか。鈴鹿馬子唄発祥の地、の大きな石碑以外には、宿場町の雰囲気も感じられない



な~んにもないところに本陣跡などの石碑がポツンと立っている。どうしたことだろうか。あまりにも寂しいところだ。お店もないし、人にも出会わない。



あまりの呆気なさで、逆に闘志が湧いてきた。よし鈴鹿を越えてやる! 坂下の自販機で飲料を3本買い込んで(食料補給はできなかった)、敢然と鈴鹿峠を目指す。しかし近づいても近づいても、どこからあの山を越えることになるのかが判らない…。



かなり山道を登ってきたところで思わぬ案内板を発見。なんと水害が起きる以前、ここが坂下宿だったのだ。この先にお寺がある以外には何もないところだ。しかし良く見ると古い石垣が残っている。完全に滅亡・消滅した町の中にいることに気付き背筋が凍るよう思いだ。



峠の手前で自動車道はトンネルに入るが、旧街道には当然トンネルなど無い。もう完全に山歩きだ。東京から旧街道歩きとはいえ、ほとんど舗装された道を歩いてきたけれど、これが江戸時代の街道の実態だと知る。かつて鈴鹿峠では相当ヤバい山賊が跋扈していたという。



ウォーキングシューズではちょっと心もとない道を鈴鹿峠まで登ってきた。まず目についたのが、豚コレラ感染予防のための消石灰。兵庫県ばかりで登山しているせいで知らなかったけれど、多くの県では豚コレラ(イノシシも感染)の越境防止対策を講じているようだ。



峠に立つ大きな常夜灯。この峠を越える旅人がどれほど助けられたことだろうか。それにしても常夜灯の油って、誰が負担して、誰が補給していたのだろうか。



鈴鹿峠を越えて、国道1号線の歩道を土山に向けてダラダラと下っていく。疲れた体で鈴鹿越えをよく成し遂げたという達成感に浸りながら、ウィニングランのように歩いていく。



旧街道地図に従って、国道歩きと旧道歩きを繰り返しながら進んで行く。頭上には大きな新名神高速の橋梁が見えてきた。四日市を出発したときには、あわよくば2日めは水口宿まで、なんて甘く考えていたけれど、もはや12㎞先の水口まで歩くことなど考えられない。



いよいよ土山の町に入る。旧宿場町の中心はまだ先だけれど、今日はバスの便がいい道の駅で終わりにしよう。宿場町の見学は次回に持ち越しだ。



土山の町の東端にある田村神社へと続くこの橋も東海道の一部なんだそうだ。橋の先には静かな参道が続く。



田村神社は坂上田村麻呂をお祀りしている神社。蝦夷征伐、征夷大将軍、清水寺建立と田村麻呂の事績は煌びやかだけれど、鈴鹿峠の山賊討伐にも大功があったそうだ。



昨日の疲れを引きずったままだったので、歩行距離18.5km、所要時間6時間半、と昨日に比べて短めだったのは仕方ない。とても歩き通せる気がしないまま亀山を出発したものの、歩き始めればなんとかなるものだ。日射しが強く、この2日間で随分と日焼けした。



標高グラフ。鈴鹿峠のトンガリ具合は半端ない。距離も標高も箱根越えが優るけれど、勾配では鈴鹿越えの方が厳しいのではないだろうか。獲得標高は600m。これは街道歩きというよりも、山歩きや登山に近いように思う。