ドラゴンクエストスタンプラリー

 2023年12月15日


日本橋から中山道を歩き始めたところ、いきなりモンスターカーニバルと書かれたチラシが目に入ってきた。どうやらスタンプラリーをはじめとするドラゴンクエストに関する大規模なイベントが開催されているようだ。



日本橋界隈のビルには、ドラゴンクエストに登場するキャラクターが設置されたフォトスポットがある。なかでもシンプルなスライムがやはり一番可愛く、好感が持てる。青く艶っぽい体がとてもいい感じだ。



スタンプラリー台発見。東京での所用の合間に久々にスタンプラリーを楽しむことにする。日本橋付近の三井系商業ビルの5ヶ所にスタンプ台が設置されているようだ。あまり時間はないけれど、30~40分もあれば全てのスタンプを集めることはできそうだ。



スタンプラリーの台紙がやはりスライムになっているのが堪らない。ドラゴンクエストなんてプレイしたのは30年ほども前のことで、最近のものは良く知らないけれど、このキャラクターだけは変わらない。最弱だけど、最も愛されるキャラクターだと思う。



こいつはスライムナイト。ギリギリ知っている…。とはいえ、初期のドットが荒いゲームしかしたことがないので、スライムの上に騎士が乗っているのか、半人半獣のような存在なのか判らなかった。こうして特大の人形を見ると前者のようだ。


ビル内の壁面などにも、ドラクエの絵があったりして、とても楽しい。スタンプラリーを楽しんでいるのは若い人が中心だけど、最初のファミコン版が発売されたのは40年ほども前のこと。若者だけのものではない。



ドラキー。これも初期からいたように思う。傍にはドラクエグッズの販売コーナーも設置されている。



ゴーレムって西洋で伝承される泥人形(だったかな?)で、元々はこんな姿ではないように思うんだけど、もはやこの姿・形でないとゴーレムとは呼ばれなくなっているようにさえ思える。



お店のショーウィンドウにもスライム。何とも楽しい。老若男女の幅広い支持を受ける、まさに国民的ゲームといえよう。世界中から勇者が集う東京オリンピックの開会式がドラゴンクエスト序曲で始まったことに鳥肌が立つような感動を覚えた人は少なくないはずだ。



写真をインスタグラムにあげると、日本橋のオリジナルステッカーが貰えたりするようだ。スライムが日本橋の名所や名物とともに描かれた手の込んだものだ。



日本橋を中心にいくつかのビルを巡って、無事5つのスタンプを獲得。でも見知らぬモンスターばかりなんだよなぁ…。最近登場したキャラクターなのだろう。



何だかよく知らないのだけれど、5つのモンスターの2つを選ぶと、ゴールになっている公式ショップでその配合(交配?合体?)による新モンスターのスタンプを押してくれるらしい。時間も無いし、さすがにちょっと気恥ずかしくて、列に並ばず退散してしまう。



スライム型の台紙にスタンプを5つ押せただけで十分満足。長らくスタンプラリーイベントには参加してこなかったけど、世界観が理解できるテーマでのリアルスタンプはやはり楽しい。関西ではスマホを利用したバーチャルスタンプラリーばかりが目に付く。



なんで日本橋にドラクエ公式ショップがあるのか、などと考えながら地下鉄日本橋駅へと歩いていくと、スライムそっくりのオブジェを発見。日本橋の擬宝珠だ。格の高い橋だけにこの擬宝珠が飾られたとも聞く。



【おまけ】
中山道歩きをしていると、東京近辺では結構多くのリアルスタンプが開催されていることが判る。これは来年より一万円札の肖像に使われる渋沢栄一のスタンプラリー。東京の板橋区で開催中だ。



スタンプポイントまでテクテク歩いていった末に実際のスタンプをドンと押すときの達成感は、GPSやスマホを使ったバーチャルなスタンプラリーでは得られない。そのスタンプラリーのために特別に製作されたスタンプなら、さらに満足感は高い。



大宮公園のわくわくスタンプラリー。関西ではお買い物スタンプラリーのように直接効果を狙ったものが多い。でもスタンプラリーって、客寄せパンダのようなもの。人の流れができれば地域の魅力が向上し、売上も自然と伸びると考えてもらいたいものだ。



中山道(1)(日本橋〜戸田)

 2023年12月14日


先月甲州街道(日本橋〜下諏訪)を踏破し、引き続き中山道を伝って京都に向かうつもりでガイドブックも購入済だったのだけれど、問題はクマ。今年は特に物騒な事件が相次いでいる。木曽路は特に塩尻峠とか鳥居峠などヤバそうな山道が多く、不安が払拭できない。



長らく思案していたけれど、東京への所用のついでに、中山道を日本橋から歩いてみることにする。軽井沢以降の佐久路はアクセスも悪く、やはりクマの出没が気になるので踏破の見込みはまるで立っていないのだけれど、後のことは考えず、日本橋をスタートする。



スタートすると、日本橋界隈でドラクエスタンプラリーが開催中であることを知る。信号待ちばかりを余儀なくされる都会歩きより、こっちの方が楽しそうだなぁ、と心が揺らぐけれど、スライムの誘惑を振り切って日本橋を北へと向かう。



三越日本橋本店。ライオン像の奥にある大きな暖簾が、江戸時代の呉服屋「越後屋」以来の歴史を雄弁に物語っている。日本橋周辺には三井系のビルが立ちならんでいるけれど、越後屋が日本橋における三井の起点のはずだ。



神田を通過して、万世橋を渡って秋葉原へとやってきた。ちょっと気恥ずかしくなるような店が目につく。決して興味がある訳でもないんだけれど、気になるものが多い。雑踏のなかでキョロキョロしているうちに大きく道を誤ってしまった。



ちょっと寄り道して神田明神。江戸の総鎮守とも呼ばれ、日本三大祭りのひとつ神田祭が執り行われることでも知られる。境内はひどく綺麗に整備され、モダンな土産物店なども境内にあったりして、京都や奈良の古社とは趣が随分と異なる。



本郷にある東京大学の横を通過。赤門は何かの調査のため、閉門されている。もともとは加賀前田家が将軍家斉の娘の輿入れの際に造ったものだという。家斉って、娘だけでも20人以上いたはずだけど、ということは、江戸のアチコチに赤門があったのだろうか。



高崎までは国道17号線にほぼ沿って中山道は続いている。もっと広い道路と思っていたけれど、本郷から白山あたりは片側1車線の美しく落ち着いた道だ。街路樹のイチョウが美しく色づいているけれど、御堂筋と違って銀杏の臭いがしない。雄木ばかりなのだろうか。



JR巣鴨駅前の商店街のアーケードの屋根には、ズラリと太陽光パネルが設置されている。イマイチ日照は良くないようにも感じるけれど、古くから続いていそうなお店が多そうな商店街が、先進的な取り組みをしていることに好感が持てる。



しばらく進むと、「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる巣鴨地蔵商店街が現れる。平日だというのに商店街入口の饅頭屋に長蛇の行列ができるなど、大変な活況だ。が、よく見ると中山道は国道17号を離れてこの商店街を突っ切っているではないか。



とげぬき地蔵(高岩寺)。今どき「とげ」が抜けずに困っている人など多くはないと思うのに大勢の参拝客で賑わっている。この地蔵尊のお陰で誤って針を呑み込んだ針を吐き出したことで、とげぬき地蔵と呼ばれ始めたけれど、延命や病気治癒全般に霊験があるそうだ。



シニア向けのファッションを扱う店が目立つけれど、大阪の石切とはかなり雰囲気が異なる。飲食店が多いせかなぁ…、随分と明るく垢ぬけているように感じる。若い人も少なくない。



東京に残る唯一の路面電車、都電荒川線の庚申塚駅だ。いや路面電車なのだから、庚申塚停留場なのだろう。今では「さくらトラム」というお洒落な愛称が付けられている。ノンビリ感がありながら、路面電車にありがちなレトロ感も荒廃感は無い。



巣鴨から滝野川にかけては種子屋が軒を連ね、種子屋街道と呼ばれていたそうだ。街道の整備により各地から珍しい野菜の種が江戸に運ばれてくるようになったという。街道は商業だけでなく、農業の発展にも大きな役割を果たしたといえる。



日本橋をスタートして3時間50分、ようやく中山道六十九次の最初の宿場町、板橋宿に到着。人混みと信号待ち、さらに寄り道や長い昼食休憩など、ペースが上がらない。品川宿などとともに江戸四宿に数えられる板橋宿に着いても未だ江戸を脱出したとはいえない。



明治以降、都市開発が進み、さらに震災や戦災を経ているだけに、あまり街道の史蹟は残されていない。脇本陣跡であったことを示す石碑も、マンションの裏口にひっそり立っている。



関ケ原の戦いで西軍主力として奮闘した宇喜多秀家の供養塔がある。なかなか発見できず、板橋観光案内所で尋ねたところ、わざわざ係の人が同行案内してくださった。八丈島配流のまま生涯を終えたが、前田家から娶った豪姫との関係で前田家下屋敷に供養されたという。



板橋宿は、平尾宿(下宿)、仲宿、上宿に分かれている。今も3つの宿場町がそのまま発展したと思われる商店街それぞれが違う雰囲気を漂わせている。JR板宿駅に近い平尾宿と違って、仲宿は街路灯なども整えて、少し旧街道を感じさせる風景になっている。



ところどころではあるけれど、かつての宿場町を彷彿とさせる造りの商店も見られる。駅前の便利な商店街よりも、ちょっと離れたところの方が、旧宿場町であったことを強みにした積極的な街づくりを図っているように思える。



仲宿と上宿の間を流れる川に架かる橋こそが、「板橋」の由来。昔のものはもっと粗末な橋だったに違いない。その後、何度も架け替えられたであろうけど、現在でも板橋の由来を少しでも残すべく、木製風の橋になっている。



縁切榎。木肌に触れたり、樹皮を茶や酒に混ぜて飲むと、嫌な配偶者と縁切りができると信仰を集めていたらしい。和宮降嫁の際は、この榎を避けて板橋に入ったそうだ。



板橋宿をようやく脱出。これで江戸を出て、本格的に中山道へと入ったことになる。イチョウの落ち葉の絨毯のようになった歩道を進むけれど、今は1年でも最も日が短い。さらに東京の日没は、関西より15分程度も早いのだ。なんとか東京都は脱出したいのだけど…。



志村の一里塚。日本橋から三里進んだことになる。石垣に囲まれたほぼ完全な形の一里塚だ。しかも道路を挟んで対になる塚もある。驚くべきことに、復元ではなく、江戸時代のままの一里塚が保存されている。国内屈指の保存状態だという。



どんどん夕闇が近づくけれど、なんとか東京都を脱出したいものだと頑張って荒川の戸田橋までやってきた。この川を渡れば埼玉県。隣を走るのは東北新幹線だ。



もうほとんど真っ暗になりかけていて、荒川からの景色を楽しむことはできない。でも、これで最低目標だった県境越えを達成。もっとも江戸時代ならまだ武蔵国。この川を越えるくらいでは大した感慨もなかったに違いない。



あまりに暗くなりすぎて戸田の渡し跡なども確認できない。体力的にはもう少し歩けそうだったけど、これ以上は無意味。戸田公園駅でフィニッシュ。歩行距離21.5㎞、所用時間7時間半。







音羽山・火とぼし山(丹波篠山市)

 2023年12月11日


久しぶりの丹波攻め。JR篠山口駅のすぐ近くから登れるというのに行きそびれたままになっていた音羽山と火とぼし山に向かう。ピストンでは詰まらないので、文保寺から篠山口駅への縦走を試みる。一日2便のコミュニティバスで文保寺登山口にできる限り近づく。



最寄りと思われたバス停から1㎞ほど歩いてようやく文保寺の仁王門が現れた。鎌倉建長寺の楼門を模したと伝わるこの門は、明智光秀の丹波攻めの際に焼失し、再建されたのは大正時代だというが、築100年ほどには見えない厳かな雰囲気を漂わせている。



文保寺は篠山の紅葉三山に数えられているところだけれど、さすがに遅すぎた。山門から本堂へと続く長い参道を彩っていたと思われるモミジは既にほとんど葉を落としてしまっている。



本堂の傍には「縁の椛(もみじ)」というものがある。どうやらモミジの幹にある洞がハート型をしていることで恋愛成就のお参りスポットになっているようだ。



本堂を過ぎると本格的な登山道へと入る。決して荒れた道ではないけれど、道幅の狭い、ちょっと寂しい道が続く。この道を行くハイカーのほとんどは松尾山を経て白髪岳へと向かうようで、案内標識にも「白髪岳登山道」とだけ書かれていて「音羽山」の文字は見えない。



最近熊による被害が全国的に急増していて、丹波や北摂も安全地帯とは言えない。効果のほどは疑問だけれど熊鈴を付けてロープが張られた急坂をよじ登っていく。急坂よりもむしろ渓流の上を進む道の幅が狭く、路肩が柔らかそうなことが気になる。



登るにつれて道は狭く険しくなるのが常だけれど、ここでは山稜に近づくにつれて道幅も広く歩きやすくなってきた。



「肩越の辻」と呼ばれる尾根まで上がってきた。松尾山山頂まで西に500mほどだけれど、立ち寄る気にならない。松尾山って急斜面で随分と苦労させられた記憶だけが残っているし、更におっかない岩場が待ち構えている白髪岳は二度と登りたくない山のひとつだ。



肩越の辻から松尾山や白髪岳に向かう道とは逆方向に尾根道を進んでいく。やや下り気味の尾根道ほど、気持ちよく歩いて行ける道はない。



音羽山の手前でそこそこ美しい紅葉にも出会うことができた。「山紅葉音羽」との案内板がある。ここの音羽山は、京都の音羽山(清水寺)から名前を頂戴したと聞くけれど、紅葉も清水寺から持ってきたものなのかもしれない。



概ね下り道だと思っていたのだけれど、意外にもアップダウンが多い。この坂を登れば音羽山の山頂に違いないと思って頑張って進んでも、何度も偽ピークに騙され、再び下り、また登ることを繰り返す。



肩越の辻から先は呑気なハイキングと思っていたのだけれど、意外に体力を消耗させられて、やっとのことで音羽山(530m)。木々の隙間から篠山盆地が見渡せる。近くに音羽の滝もあるようだけれど、水の音は聞き取れない。



音羽山の手前あたりから、急に案内板が増えてきた。高圧送電線の鉄塔にまで案内板が立てられていて、この鉄塔が岡山・鳥取の中国電力と連絡していることなどが説明されている。




この辺りを「大沢ロマンの森」として丹波篠山市が整備したらしい。戦国時代、この地に侵攻した明智光秀軍と、それに必死に抗った波多野氏など丹波国衆との闘いを戦国ロマンと解しているようだ。



火とぼし山(508m)の山頂には戦闘の様子を示した絵図付きの説明板がある。明智軍急襲を受け、大沢城主の酒井氏はいち早く同族が籠っていた松尾山の高仙寺城へ退避させた婦女子が、この山から大沢城の無事を祈り続けたというような、悲しい物語調の説明がある。



烽火をあげて篠山盆地の反対側にある八上城の波多野氏に急を知らせるたものの援軍は阻まれ、降伏の止む無きに至る。戦国の習いとはいえ、その後酒井氏は光秀の配下となり、秀吉との戦いで討死したという。こういう話をロマンと呼ぶことには少々違和感がある。



酒井一族の城や砦が至るところに設けられていたようだ。普段は平地に住みながらも戦時には、各自が持ち場の山城に籠るものだから、攻めるには随分厄介なところだっただろう。主城の大沢城までやってきたけれど、素人目には堀切などの遺構は確認できなかった。



相変わらず登ったり下ったりが続く。落ち葉が積もる急な下り坂は、転倒要注意だ。これはきっと転ぶだろうなぁ、と思いながら、登るよりもゆっくりとしたスピードで慎重に下っていく。いや、ゆっくりとでしか進めないのだ。



ちょっとしたピークには、どこにも城跡があるような気さえする。先に見えるピークがおそらく禄庄城があったところだろう。もう疲れたことだし、あんなピークは迂回して進みたいものだ。



と思っていたけれど、馬鹿正直にこのピークを真っすぐに超える道しかない…。いい加減疲れてきたけれど、禄庄城跡に向けての坂道を登っていくしかない。



禄庄城跡。案内板には「麒麟が来た!」とある。NHK大河ドラマの「麒麟が来る」に併せて立てられたのだろう。確かに光秀はこの地に来たけれど、ドラマではコロナ禍のせいで撮影収録ができない日が続き、丹波攻めはほとんどカットされてしまったのが悲しい。



結構時間が掛かって16時が近い。谷筋は薄暗いうえに、雨まで降ってきた。篠山口駅はもうすぐそこのはずなんだけど、まるで下山しそうな気配がない。



と思っていたら、唐突に下山口に到着。下山口には丹波攻めの詳しい説明板が並んでいる。これを見てから登ったなら、もっと理解が進んだに違いない。まあ、裏口ともいえる文保寺から登ってくるような変わり者のことが考慮されていないのは仕方ない…。



下山口から更に5分ほど歩くと、篠山口駅。なんて駅チカの登山口なんだ。おかげで雨が強くなる前に山歩きを終了することができた。



歩行距離7.5㎞、獲得標高560m、所要時間は3時間50分。文保寺から先は、誰ひとりとも出会うことのなかったことはちょっと寂しいけれど、熊にも猪にも出会うことはなく済んだのは幸いと考えるべきなんだろう。