2023年12月11日
久しぶりの丹波攻め。JR篠山口駅のすぐ近くから登れるというのに行きそびれたままになっていた音羽山と火とぼし山に向かう。ピストンでは詰まらないので、文保寺から篠山口駅への縦走を試みる。一日2便のコミュニティバスで文保寺登山口にできる限り近づく。
最寄りと思われたバス停から1㎞ほど歩いてようやく文保寺の仁王門が現れた。鎌倉建長寺の楼門を模したと伝わるこの門は、明智光秀の丹波攻めの際に焼失し、再建されたのは大正時代だというが、築100年ほどには見えない厳かな雰囲気を漂わせている。
文保寺は篠山の紅葉三山に数えられているところだけれど、さすがに遅すぎた。山門から本堂へと続く長い参道を彩っていたと思われるモミジは既にほとんど葉を落としてしまっている。
本堂の傍には「縁の椛(もみじ)」というものがある。どうやらモミジの幹にある洞がハート型をしていることで恋愛成就のお参りスポットになっているようだ。
本堂を過ぎると本格的な登山道へと入る。決して荒れた道ではないけれど、道幅の狭い、ちょっと寂しい道が続く。この道を行くハイカーのほとんどは松尾山を経て白髪岳へと向かうようで、案内標識にも「白髪岳登山道」とだけ書かれていて「音羽山」の文字は見えない。
最近熊による被害が全国的に急増していて、丹波や北摂も安全地帯とは言えない。効果のほどは疑問だけれど熊鈴を付けてロープが張られた急坂をよじ登っていく。急坂よりもむしろ渓流の上を進む道の幅が狭く、路肩が柔らかそうなことが気になる。
登るにつれて道は狭く険しくなるのが常だけれど、ここでは山稜に近づくにつれて道幅も広く歩きやすくなってきた。
「肩越の辻」と呼ばれる尾根まで上がってきた。松尾山山頂まで西に500mほどだけれど、立ち寄る気にならない。松尾山って急斜面で随分と苦労させられた記憶だけが残っているし、更におっかない岩場が待ち構えている白髪岳は二度と登りたくない山のひとつだ。
音羽山の手前でそこそこ美しい紅葉にも出会うことができた。「山紅葉音羽」との案内板がある。ここの音羽山は、京都の音羽山(清水寺)から名前を頂戴したと聞くけれど、紅葉も清水寺から持ってきたものなのかもしれない。
概ね下り道だと思っていたのだけれど、意外にもアップダウンが多い。この坂を登れば音羽山の山頂に違いないと思って頑張って進んでも、何度も偽ピークに騙され、再び下り、また登ることを繰り返す。
肩越の辻から先は呑気なハイキングと思っていたのだけれど、意外に体力を消耗させられて、やっとのことで音羽山(530m)。木々の隙間から篠山盆地が見渡せる。近くに音羽の滝もあるようだけれど、水の音は聞き取れない。
音羽山の手前あたりから、急に案内板が増えてきた。高圧送電線の鉄塔にまで案内板が立てられていて、この鉄塔が岡山・鳥取の中国電力と連絡していることなどが説明されている。
この辺りを「大沢ロマンの森」として丹波篠山市が整備したらしい。戦国時代、この地に侵攻した明智光秀軍と、それに必死に抗った波多野氏など丹波国衆との闘いを戦国ロマンと解しているようだ。
火とぼし山(508m)の山頂には戦闘の様子を示した絵図付きの説明板がある。明智軍急襲を受け、大沢城主の酒井氏はいち早く同族が籠っていた松尾山の高仙寺城へ退避させた婦女子が、この山から大沢城の無事を祈り続けたというような、悲しい物語調の説明がある。
酒井一族の城や砦が至るところに設けられていたようだ。普段は平地に住みながらも戦時には、各自が持ち場の山城に籠るものだから、攻めるには随分厄介なところだっただろう。主城の大沢城までやってきたけれど、素人目には堀切などの遺構は確認できなかった。
相変わらず登ったり下ったりが続く。落ち葉が積もる急な下り坂は、転倒要注意だ。これはきっと転ぶだろうなぁ、と思いながら、登るよりもゆっくりとしたスピードで慎重に下っていく。いや、ゆっくりとでしか進めないのだ。
ちょっとしたピークには、どこにも城跡があるような気さえする。先に見えるピークがおそらく禄庄城があったところだろう。もう疲れたことだし、あんなピークは迂回して進みたいものだ。
と思っていたけれど、馬鹿正直にこのピークを真っすぐに超える道しかない…。いい加減疲れてきたけれど、禄庄城跡に向けての坂道を登っていくしかない。
禄庄城跡。案内板には「麒麟が来た!」とある。NHK大河ドラマの「麒麟が来る」に併せて立てられたのだろう。確かに光秀はこの地に来たけれど、ドラマではコロナ禍のせいで撮影収録ができない日が続き、丹波攻めはほとんどカットされてしまったのが悲しい。
結構時間が掛かって16時が近い。谷筋は薄暗いうえに、雨まで降ってきた。篠山口駅はもうすぐそこのはずなんだけど、まるで下山しそうな気配がない。
と思っていたら、唐突に下山口に到着。下山口には丹波攻めの詳しい説明板が並んでいる。これを見てから登ったなら、もっと理解が進んだに違いない。まあ、裏口ともいえる文保寺から登ってくるような変わり者のことが考慮されていないのは仕方ない…。