姫路 よってくだん

2012年5月4日(祝)


会社の同僚が制作に携わった、姫路まち歩きマップが最近完成した。マップのタイトルが「よってくだん ひめじ」。 
よってくだん、って何だろう? 寄ってください、ってことかなぁ。播州弁? それとも昔の書状や証文などの最後に書く「仍如件」(よってくだんの如し)と関係あるのかな?

所用のついでに姫路まで足を伸ばして、時間が許す範囲で試歩してみることにした。私ほどの手練、いや足練ともなると、この手のウォーキングマップにはかなり厳しいぞ。テーマ別に、色違いの9枚のマップが用意されている。どれも写真とイラストで可愛くまとめられているが、ありきたりな観光案内には無いディープな情報が盛り沢山に紹介されるなど、製作者の思い入れが感じられる。

それぞれの所要時間は1時間内外と、私にとっては半端な距離。どのテーマも気になるし、9枚のマップは全て姫路城を中心とした同じエリアだ。ええい、9枚まとめて相手にしてやる!

 

(1)姫路駅から千姫の小径


まずは「姫路城中濠と門跡めぐり」をやっつけよう。これは「城下町の道や濠めぐり」と8割方同じ道順ではないか。テーマも類似だし、別のマップに分ける意味が不明なんだけど・・・。

大手前通りの1本西の中ノ門筋を北上する。今はちょっと寂しいこの道が、かつて姫路の中央通りだったとは知らなかった。それにしてもマップ9枚のうち、なんと5枚もが中ノ門筋を行くコースになっているほどの重要な道なのだ。




市内の電柱には、地名の由来などが貼り付けられている。この女性は千姫だろうか。




中ノ町筋にあった札の辻の傍に、比翼連理のお夏清十郎の舞台になった但馬屋があったとのことだ。為になるなぁ・・・。




中ノ門付近の石垣。もともとの石垣は、国道建設の際の堀の埋め立てで潰されてしまったらしい。これは後日再建されたもので、昭和63年建造との銘板があった。25年ほどで、こんなに立派に樹木に育つんだなぁ。




鵰(くまたか)門。難しい漢字だ。新しい石垣だし、車道になっているけど、枡形門の雰囲気を大切に再建されたようだ。虎口ってやつだね。



埋(うずみ)門の跡。こちらにはかなり古い石積みが残っている。江戸期のものかもしれない。こちらも枡形門。マップには枡形門を「珍しい」と書いてあるけど、あちこちのお城に広く採用されている門だと思うけど。





車門付近。船場川沿いのこの辺りは遊歩道が整備されていて、姫路城周辺でも最も気持ちのいい散策ポイントのひとつだと思う。「千姫の小径」というネーミングもいい感じ。



(2)千姫像~船場御坊


「姫路城中濠と門跡めぐり」は、千姫の小径でゴール。30分で終わっちゃったよ。たとえば、ここから船入川、西国街道、船場御坊、といったように、コースを伸ばしていけばいいのに。ということで、そんな感じに、歩いて行くことにする。

船場川の横の千姫像。以前から感じているんだけど、イメージ違うんだよね。姫路に再嫁したのが20歳頃、夫の本多忠刻が亡くなって江戸に移って出家したのが30歳頃。この銅像は、貫禄がありすぎはしないか?



城内への物資搬入に使われたという船入川の跡。ここに、どこから船が入ってきたのか、などの説明板が欲しいんだよねぇ。




下層部が店舗になっている、いわゆる下駄履きアパート。2号線沿いに細長い建物が何棟も建っている。姫路には多く見られる型式だ。




船場御坊とも呼ばれる本徳寺。
由緒ある浄土真宗のお寺なんだけど、老朽化が激しい。唯一境内のトイレだけが最近改装されていたが、それ以外は荒れ方が半端で無い。いつもより多めにお賽銭をした。
昨年訪ねた、同じ姫路市内の亀山御坊が綺麗に改装されていたのと対称的だ。



外壁には「頭上注意」の貼り紙だらけ。壁も、瓦も崩落の危険大だ。裏門にはSECOMのシールが貼ってあったが、SECOM要りますか?どっからでも入り放題なんですけど。


幕末の勤王志士たちの墓。現地には何の説明板も無い。元治年間の甲子の獄のことが「勤王の志士の足跡をたずねて」のマップには説明されているが、墓石の没年は、その前の文久年間や、ずっと後の明治年間のものもある。謎だ。

さらに墓石の奥に、ドイツの城の模型。第一次大戦中に捕虜になったドイツ人が郷愁の念で作ったものだと聞いたことがあるが、何も攘夷の志士たちのお墓の真ん中に置かなくとも良いのではないか。凄い組合せだ。



福中町付近。「城下町の道や濠めぐり」のマップでは唯一の「撮影ポイント」になっているが、昔の面影は何も残っていない。どこを撮ればいいんだろう。



今も残る唯一の外堀。堀の向こうの公園が、かつては処刑場だったそうで、本徳寺に埋葬されている志士たちも、ここで処刑されたとのことだ。ちなみに20年ほど昔、この公園の脇に車を停めていたところ、レッカー移動させられたことを思い出した。




(3)魚町・塩町・西二階町~姫路総社


「姫路5人おんな恋物語」と「縁結びご利益めぐり」の2つのマップに紹介されていた富姫ゆかりの長壁神社。度々通った道だけど、全く記憶に残っていなかった。だって小さいんだもん。
この神社は姫路ゆかた祭りの起源にもなっていることも知った。



「城下町レトロショップ探訪」のマップに紹介されていた小林松涛園で抹茶ソフトを買い食い。明治7年創業のこの店には、レトロな時計がある。播陽時計、って会社が明治20年代に作ったものだそうだが、今も現役だ。



 「姫路まちなか建築めぐり」のマップに紹介されていた旧逓信省の姫路モノリス。今はウェディング用に使われている。




姫路総社の傍にある「血乃池址」。とても気になるぞ。石碑の裏に何か書いてあるようだが、立入禁止になっていて読むことができない。

帰宅して調べると、昔盆踊りで怪我をした人がここにあった池で傷口を洗ったところ、たちどころに出血が止まったことに由来するようだ。異説もあるようだが。



姫路総社の入口。神使がミミヅクというのは、珍しいのではないだろうか。 ミミヅクは瑞鳥だそうだ。


社殿の樋が太鼓状の容器のようなものに繋がっている。ユニークなデザインだ。渇水が多い姫路ならではの雨水を貯める仕組みなのかとも思って、社務所の人に聞いたが、特に意味も謂れも無いそうで、雨水は太鼓の下の方の管を通って下水に流れていくようだ。



境内にあった「撫でみみづく」。良いことがあるように、しっかり撫でた。 




中央保健センター。黒川紀章設計の立派なものだが、 保健所にこんな建物必要なのか?



(4)外濠めぐり


「姫路城外濠めぐり・東編」に随って、外濠沿いの道を行く。西編も今後出るのだろうか。
あまり見所の無さそうなエリアだが、昔の街並みを思い描きながら、水辺の道を歩くのは、風情がある。



途中で見つけた自転車屋さん。屋根の上に固定された自転車が印象的。 落雷とか大丈夫だろうか。この自転車屋さんはオリジナルのものを制作・販売しているようで、デザインも格好いい。只者では無さそうだ。



 北上するにつれて堀の幅は狭くなっていく。




もともと、どうやら道幅全てが堀だったようだ。
ここから先は暗渠になる。ここの地名が「堀留」。 「姫路城外濠めぐり・東編」のゴールポイントだ。
って、ここから、どうやって帰れっていうのか。もう少し面倒を見てほしいものだ。




(5)竹田町から姫路城へ 


同じ道を帰りたくないので、適当に姫路城方面に向かって歩いていくと、レトロな薬局を発見。 姫路市内に何店舗もチェーン展開している勝原薬局の本店だ。大正年間創業。



外壁の、随分高いところに昔の看板が掛っている。 昔は体温計の販売にも免許が必要だったようだ。水銀を使うからかなぁ? 



 姫路城の中堀に出た。中堀沿いの土手を歩いて行く。何故かここの鳩はちっとも逃げない。



お気に入りの城閣研究センター。他のお城との比較などで、姫路城の凄さをあらためて理解できることができるところだ。今日は休館で、図書館だけが空いていた。



姫路城は、大改修中。でも、この町には天守閣以外にも一杯面白いところがある。
お城周辺だけではなく、網干とか香寺とか御着とか、良いマップを作って紹介してほしいと思う。



9枚のマップに紹介されていたところは、概ね行くことができた。ということで今日はお終い。
JR姫路駅から帰途につく。


まとめ


歩行距離  だいたい10kmくらい?
所要時間  3時間20分
歩数      17800歩