山科劇場スタンプラリー

 2014年3月29日(土)


京都・やましな観光ウィークの一環として開催されている、山科劇場スタンプラリー。いつの間にやら今日が最終日となっていた。30ヶ所もあるスタンプポイントのうち、5ヶ所のスタンプを押せば良いので、チャチャっと済ませて、伏見の名水スタンプラリーもやっつけてしまおう。



JR山科駅にやってきた。山科駅の北側にある疎水沿いにもスタンプポイントがあるが、今日は小野周辺に絞って歩くことにする。



地下鉄山科駅にある音楽の広場。クラリネットやチェロなどの演奏家のオブジェがあり、それぞれの楽器に付いた数個のボタンで音を奏でることができる仕掛けになっている。



地下鉄山科駅で一つ目のスタンプをゲット。山科名物の茄子をモチーフにした「もてなすくん」のスタンプは可愛いが、この後のスタンプポイントでは、おそらく数字だけが変わる同じデザインのものになるのだろう。あまり集め甲斐は感じない・・・。



小野駅にやってきたのは、もともと東海道線が山科から3駅南にある小野あたりにあったということを確認したかったのだ。名神高速沿いに旧山科駅の跡を示す石碑があった。しかも、このあたりは名神高速道路の建設工事が始まったところでもあるらしい。



ということは、名神高速が走るこの道が鉄道跡ということになる。このまま深草のあたりの現在のJR奈良線まで西進していたようだ。山科駅の次は、(伏見)稲荷駅になっている。



小野駅で2つめのスタンプをゲットし、3つめのスタンプを求めて勧修寺へ。庭園への入口にスタンプが置かれているが、入園料は400円。う~ん、ちょっと高いなぁ・・・。ということで、ここでの押印はパスして次に向かう。



続いては勧修寺のすぐ南にある仏光院。明治末期、大量殺人事件に巻き込まれて両腕を失うという苦難を乗り越え、筆を口でくわえて優れた書画を製作するなど、身障者の慈母観音と呼ばれた大石順教尼ゆかりの寺院だ。こちらで3つめのスタンプをゲット。



山科川を南に下っていく。このあたりは、天王山の戦いに敗れた明智光秀が土民に襲撃されて落命したところ。光秀の塚があったはずなんだけど、案内板も見当たらず、探索をギブアップ。



小野にあるスタンプポイントは、最後に訪問する予定の随心院を除いては、ショップ(花屋さん)しかない。買い物してまでスタンプを押す気にはならないが、念のため覗いて見るが、なんと「スタンプ故障中、ごめんなさい・・・」の貼り紙があった。



さほど拘るほどのスタンプではないのだが、ここまで来たら意地でも5つのスタンプを集めたい。小野から東北に3km近く歩いて、京都橘大学の近くにある岩屋神社までやってきた。



で、再び3km歩いて小野の随心院へ。小野小町ゆかりのこのお寺では、明日の「はねず踊り」に向けての準備が着々と進んでいた。はねず、とは薄紅色のことだそうで、梅色の衣装を纏った少女たちが、小野小町と深草少将の物語を舞うのだそうだ。



本堂の前には、小野小町の歌碑がある。百人一首にも撰ばれている、花の色はうつりにけりな・・・、だ。



スタンプポイントは5つ回って終了。勧修寺をパスしたため、随分な距離を歩いてしまった割には、あまり達成感は無い。



1時間くらいで終えるつもりが、2時間半ほどもかかってしまった。今から伏見名水スタンプラリーに参加するには遅すぎるため、あらためて明智光秀の古跡を探すため、奈良街道を南下し、醍醐寺の傍を通って、まずはスマホで検索した地図を頼りに、小栗栖の明智藪を目指す。



明智藪は、住宅街の端っこにあった。光秀の血に染まり、付近の藪は今も赤いと聞いたが、ごく普通の藪に見える。説明板によると、光秀は小栗栖も本拠を置く、信長配下の武士集団、飯田一党によって討たれたのだそうだ。土豪による落ち武者狩りだと聞いてきたが、飯田一党とは初耳だ。真相はまさに藪の中だが、石碑の向かいのお宅には、偶然か必然か、「飯田」の表札が掛かっていた。



 続いて、明智藪から1kmほど北にある「明智光秀之塚」をようやく発見した。案内板とかが無く、以前訪問した際にも苦労して見つけたことを思い出す。首は京都で晒されたせいか、京都の白川橋に首塚がある。おそらくこれは胴塚であろう。



 【おまけ】

ポカポカ陽気のせいで、様々な花の蕾が一斉に綻んできたように感じる。町の色合いが、この2週間ほどで急にカラフルになった。

勧修寺の傍にあるモクレンの花。



勧修寺の参道の桜。



勧修寺の本堂近くで咲いていた赤い花。名前は判らない。



 仏光院の南で撮影した白木蓮。



これはナンテンだろうか・・・。ナンテンなら、秋~冬に実を付けるはずだが。



山科川の近くで、黄色と白色の花が競い合うように咲いていた。



随心院の梅園。



随心院の門前の桜。6分咲きといったところだ。


 

まとめ


歩行距離    約11.5km
所要時間    235分 (3時間55分) 
歩数       20900歩

沿線散歩(7)三宮~元町~高速神戸

2014年3月23日(日) ②


垂水・舞子の沿線散歩(8)を終え、三宮から高速神戸までの沿線散歩(7)の踏破を目指す。距離は僅か4.8km。何度も歩いているところなので、どうも新鮮味が無いが、さっさとやっつけてしまおう。



かつてターミナル駅とは思えないほど、狭くて古ぼけた感が強かった阪神三宮駅の大改装が完了していた。



階段にもカラフルな模様。すっかりお洒落な駅に様変わりしていた。



予想していたとはいえ、三宮は凄い人ごみ。さすがに地図のルートに忠実に歩くのは辛い。適当に自分でコース設定しながら、西に西に向かう。



旧居留地の近くに、ケーニヒスクローネ直営のホテルがオープンしていた。洋菓子店からホテルに事業拡大する例はまず他に無かろう。と感じたが、ふと、ウィーンのホテルザッハを思い起こした。ザッハトルテで有名なホテルだ。帰宅して調べてみると、なんと料理人だった父親がまずケーキを開発し、その後、息子がホテルを創業していた。



中華街。ここも大変な賑わいだ。超遅い昼食を取る。



中国バージョンのコカ・コーラの自販機。パンダが乗っていたりして、中国ムードに満ち溢れているが、販売しているのは日本で普通に売られている飲料だった。



元町商店街のアーケードの天井に、何やら船のモニュメントらしきものが吊り下げらている。幕末に神戸が開港した際に、最初に訪れた英国船、ロドニー号の模型だそうだ。



元町商店街の西側出口の傍に里程元標がある。「昔の旅人たちにとって、里程標は明日への旅の希望を抱かせる心の糧ともなった」などと書かれた説明がある。「希望を抱かせる心の糧」とは何とも大袈裟な表現だと苦笑してしまうが、交通・情報が発達した現代では考えられない大変な苦労が、昔の旅には伴ったことは理解できる。



メルカロード宇治川のアーケードの柱の高さ1mに消火器の箱が括りつけられている。珍しい消火器の設置方法なので、つい箱の中を覗くべく蓋を開けたところ、ベルが鳴りだした。盗難防止用だろうか、ビックリして蓋を閉めたら、鳴り止んでくれた。



湊川神社。言わずと知れた、湊川で戦死した楠木正成をお祀りする神社だ。造営されたのは意外にも新しく明治初期のことだ。



神社の傍らには、大楠公の墓所がある。こちらが神社より先にあったものらしい。



楠木正成の墓所の横には、水戸光圀の像がある。光圀が、正成を類稀れな忠臣と絶賛したことから、正成は歴史のヒーローに躍り出たのだから、像が設置されているのも頷ける。もっとも水戸黄門のイメージとは少々違って、仙人のようなお姿だ。



結局、沿線散歩のマップとは、かなり違う道を歩いてしまったが、これで10コース中、計9コースを制覇。マジック1になった。




沿線散歩(8)垂水・舞子

2014年3月23日(日) ①


暑さ寒さも彼岸まで、とは良く言ったもので、みぞれまで降った一昨日とは異なり、日射しも暖かい。期間終了まであと1ヶ月余りとなった阪神・近鉄・山陽の3社沿線クイズ&スタンプラリー(沿線散歩)の垂水・舞子コースをやっつけることにする。



スタート駅は、山陽電車の霞ヶ丘駅。明石~須磨間は、沿線散歩などのスタンプラリーの舞台になることが多いところなので、大概の駅には降り立ったことがあると思っていたが、霞ヶ丘駅は初めてのような気がする。



霞ヶ丘駅から北へ、マップの道順に忠実に歩いていく。目指すのは絵葉書資料館。聞いたことないなぁ・・・。到着してみると、個人のご自宅の一部。しかも開館日は木・金・土の週3日。写真だけ撮らしていただいて、再び山陽電車の線路まで南下する。



山陽電車の南側に沿って西に向かう。線路が山の斜面に設置されているため、線路横の道路を歩いていると、目線がちょうどレールの高さに合う。



舞子公園の中にある旧木下家住宅。以前、中に入ったことがあるところだが、地図に忠実にやってきた。もっとも今日はお庭の写真だけ撮らせていただくだけで失礼する。



舞子を突き抜ける明石海峡大橋。ここからさらに西に進み、西舞子でUターンして、今度は海岸に沿って垂水に戻るというコースなので、後で明石海峡大橋はもっと間近に見れるはずだ。



とにもかくにも、坂の多いところだ。並行して走るJRと山陽電車の線路や、明石まで見通すことができる海を眼下に、急坂を手摺に捕まりながら下っていく。



西舞子の駅でUターン。早咲きの桜が、既に八分咲きとなっていた。



舞子六神社。六ってなんだ?と訝しく思い、神社の案内を読むと、伊邪那岐、伊邪那美など6柱の神様をお祀りしているところから名付けられたようだ。



この辺りを歩くたびに気になっているお地蔵さん。お堂も付いた立派なお地蔵さんなんだけど、鉄道と国道に挟まれた地蔵堂の傍に近づくのは、簡単ではない。



幕末に異国船を打払うべく設置された舞子砲台跡。ここに来るたび、せっかく雄大な瀬戸大橋の袂にあるのだから、もっと大きな大砲の模型にすれば良かったのに、と感じていたのだが、これって、モニュメントというより、ベンチなんだよね。確かにベンチとすれば、適正なサイズだ。



橋の科学館のお土産コーナーには、明石海峡大橋のマスコット「わたるくん」のグッズが多数。頭に車を乗せた橋桁形のわたるくんは、何となくお気に入りのキャラクターなのだ。



明石海峡大橋。晴天のおかげで、向こう岸の淡路島まで、よく見渡すことができる。



舞子公園内の海岸沿いにある孫文記念館。通称、移情閣。薄緑色に塗られた八角形の塔がユニークだ。



クイズポイントの「根上がり松再生植樹記念彫刻」。この石版の数はいくつか、というのが問題。47枚、48枚、49枚と1枚違いの三択とは、厳しいぞ。何度も石版の回りを歩いて数えなおした。



で、根上がり松って、何だ?と調べると、風や波などで土が浸食されて根の部分が露出したものらしい。海岸で良く見かける根元が大きく曲がった松のことだ。海岸の傍で根上がり松が再生されようとしていた。根元の土が浸食されやすいように、わざわざ小高い丘に植樹されている。



最後の訪問ポイント、4世紀の前方後円墳の五色塚古墳にやってきた。樹木の無い禿山の上に埴輪類が並んでいる光景は、古墳の原形とは判ってはいるが、違和感が拭えない。何度も来ているところだが、地元の名所としてPRが奏功してか、徐々に来訪者が増えているように思う。



五色塚古墳に隣接した小壷古墳。こちらは円墳だ。柵に囲まれ、表面が芝で覆われた古墳を歩いて一周したが、やはり古墳らしさを感じない。百舌鳥古墳群のようなステレオタイプな古墳に慣れきってしまったのだろう。



山陽垂水駅まで歩いて、ゴール。まだ時間も体力もあるので、もう1コースやっつけてしまおう。山陽電車で三宮に移動する。(沿線散歩(7)に続く)


まとめ


歩行距離    7.0km
所要時間    187分 (3時間07分)
歩数       14900歩