2016年1月2日(土)
今年も新年の歩き初めは、伏見の五福めぐり。2009年の6月にハイキング中に滑落して、4ヶ月の入院をしたが、退院2ヶ月後には8kmほどの道を歩きとおすことができた。2ヶ月の寝たきり、その後、松葉杖、車椅子、と苦しい日を過ごした後だけに、再びウォーキングを楽しめる体に快復したことを実感した悦びは、今も記憶に新しい。
御朱印を頂戴する5つの社寺をどの順番に回るかは、いつも気分次第。今日は京阪中書島駅からスタートし、まずは長建寺に向かう。もともとは遊郭の中にあって、諸芸上達を願う芸妓さんたちの信仰を集めていたという。派手な竜宮門やら、宝貝の御守など、周囲の環境が大きく変化した今も、遊郭との関係を感じさせる。
長建寺の前には、淀川に繋がる濠が流れている。かつては十石船や三十石船が往来していたところ。遊郭と濠に挟まれた長建寺は、諸芸上達の一方で、水運に関わる商人からの商売繁盛の願かけ寺でもあったようだ。
坂本龍馬で有名な寺田屋。未だに立ち入ったことがない・・・。今日も前を素通りしただけ。そのうちに、と思いながら、正月の五福めぐりと、春の伏見名水スタンプラリーと、毎年少なくとも2回、やり過ごしている。
混雑する商店街を迂回して、竹田街道を北上して、次なる目的地、大黒寺に向かう。下油掛町にある和菓子屋の前に電気鉄道事業発祥の地の石碑がポツンとある。1895年日本における初めてのチンチン電車が、京都駅と、ここ伏見との間に開通した。当時は琵琶湖疎水の電気を利用していたため、渇水になると電車も止まった、という話を聞いたことがあるが真偽は不明だ。
大国寺。通称薩摩寺と呼ばれる、薩摩藩との縁が深いお寺。有馬新七とか平田靱負の墓などがあるとはいえ、一部の歴史通を除けば、興味を持つ人も少なかろう。市街地にあって比較的小ぶりのお寺だけに、通常は訪れる人も少ないと思うのだが、五福めぐりの期間中は、色紙を入れたビニール袋を片手に、多くの人々が参拝している。
大黒寺のある北西方面から御香宮神社に参拝するには、裏門が便利。初詣に裏口参拝とは縁起でもない、と考える人が多いのだろうか。とても閑散としている。まあ、京阪(伏見桃山駅)、近鉄(桃山御陵駅)、JR(桃山駅)のいずれからでも、表門が至近なので当然とも言えよう。
初詣客で、境内はとんでも無い混雑。表門から拝殿まで、100mを優に超す行列ができていた。最近は神社のお詣りの仕方を知らない人が多いと憤慨している知人がいる。確かに、昔は、四方八方からお賽銭投げ込んで、拝礼していたものが、最近は行儀が良くなったとも言えようが、鐘を鳴らさないと気が済まない人が多くなったとか、手を合わせて長々と拝んでいる人が増えたとかで、参拝の列は遅々として進まなくなった。
4つ目は明治天皇陵近くにある乃木神社。明治天皇の信望厚く、逝去にあたって殉死した乃木希典をお祀りするには、これ以上無い立地と言えよう。
勝運の神様から、最近は学業、受験の神様の色合いが濃くなった乃木神社。受験シーズンも近いというのに、意外にも人出は少ない。駐車場もそこそこ広いし、初詣など、どこでも良い、という人にはお勧めの神社だ。
御香宮神社から乃木神社への道中、JR奈良線の踏切付近に、見慣れた京都一周トレイルの標識らしきものを見かけた。おかしい、京都一周トレイルは、伏見稲荷が起点なので、ここに標識があるはずがないとスルーしたものの、どうしても気になり、乃木神社から再び戻って確かめる。
なんと、東山コース伏見・深草ルートなるものが誕生していた。伏見稲荷駅から大岩山を越えて伏見稲荷までの9.5km。3年前に京都一周トレイル80kmは5日かけて踏破済だが、今になって追試を食らったような気分だ。よし、近いうちにやっつけてやろう。
最後の御朱印を貰うのは藤森神社。このブログの初投稿が、ちょうどこの角度からの写真だったはずだ。
案の定、藤森神社も初詣の長蛇の列。列の外からお参りする。それでも神様に願いは十分通じるはずだ。
色紙のデザイン作家は例年と変わらない。少々子供染みた作風ではあるが、毎年溜め続けているだけに、今さらテイストが変わっても困る。
5社寺全てを巡った記念品も、例年通り干支の土鈴。う~ん、白色かぁ・・・。これで寅が黄色だったのを除いて、全て白の土鈴だ。来年の酉は確実に白、次の戌も白なんだろうなぁ・・・。
御香宮神社を中心に、南に長建寺、西に大黒寺、東に乃木神社、北に藤森神社との配置になっているだけに、どのように回っても、7~8kmは歩かなければならない。中書島駅から墨染駅まで、約7.5kmの所用時間は1時間50分。まあまあのペースで歩けた。