【当選】明治150年スタンプラリー(京都岡崎)

2018年9月29日(土) ②


先月、京都岡崎・蹴上地区で開催されていた明治150年スタンプラリーに当選した。京都の伝統工芸品「京こま」が大中小の3つセットになったものだ。木を削りだしたものではなく、竹の心棒に幅広の繊維質のテープを巻き付けたものだ。手にとってみても、回してみても、とても可愛い。



比較的狭いエリアでのお手軽なスタンプラリーだけに、応募者も多かったと思われるが、当選者数10名(他の賞品を併せても25名)のなかに選ばれたとは運がいい。

【当選】阪堺・南海からの挑戦状

2018年9月28日(土) ①


米国出張から帰国すると、南海電鉄からの郵便が届いていた。先月、堺市内を歩いて応募した「阪堺・南海からの挑戦状」に当選したのだ。



封筒のなかには、随分様々なものが入っている。南海特急「こうや」のボールペン、特急ラピートのジグソーパズル、阪堺電車のマスキングテープ、紀伊の湯の温泉の素など。かなり奮発していただいたように思える。ただしクイズの舞台になった堺関連のものは見当たらない。

ケンシコダム・タリータウン散策(ニューヨーク州)

2018年9月22日(土)


ニューヨークで仕事をする際の拠点にしているホワイトプレインズ。市章には3つの年号が刻まれている。モヒカン族から土地を購入し植民が始まった年、アメリカが独立した年、そして市となった年だ。



マンハッタンから電車で30分余り、独立戦争では激しい戦いの場となった町だというが、今は静かな、でも退屈な町だ。いかに休日を過ごすか、いつも悩ましい。土曜日には道一杯に野菜などの露店が並ぶマルシェなども、年間30泊ほどもしていると飽きてしまった。



ということで、以前、ニューヨーク市との境からブロンクス川に沿ってホワイトプレインズまで北から南へ歩いたことがあるが、今日はその続きとして、北に向かって歩いていってみよう。



ブロンクス川に沿っては、遊歩道のように整備されたトレイルルートが整備されている。自転車のマークがあるが、自転車よりも走っている人が多い道だ。



9月といえば、ニューヨーク郊外では、秋のど真ん中なのだけど、走っている人達は皆半袖半ズボン。日射しはあるものの気温はさほど高くない。走ったり歩いたりするには絶好の天候だ。



ブロンクス川に沿って整備された道は歩いていてとても気持ちいい。でも、もう1ヶ月余りもすれば、寒くて歩く気にならないような季節がやってくるはずだ。



ブロンクス川を離れて、ホワイトプレインズのひとつ北の駅、ノースホワイトプレインズにあるメトロノース鉄道の車両基地までやってきた。見慣れた車両が随分たくさん並んでいる。



8kmほど歩いて、ノースホワイトプレインズの先にあるケンシコダムにやってきた。ブロンクス川を堰き止めたダムに公園が併設されていて、この付近の人たちの多くが休日を楽しんでいるようだ。お母さんたちが、ベビーカーの赤ちゃんをあやしながら運動をするという教室なんかも開催されていた。



公園には9.11の慰霊塔が建てられている。何気なく見ていると、日本人の名前がある。マンハッタンで勤務する日本人の多くがホワイトプレインズ近辺に住んでいるが、慰霊塔に刻まれた合計111名の名前のなかに、9名もの日本人名があった。



ケンシコダム。城郭の石垣を思わせる壁が反り立っている。この向こう側に水が湛えられているようには感じられない。



階段を上ってダムの上部にやってきた。ダムの堰堤の上は歩道になっていて、多くの人がダム湖の景色を楽しんでいる。



満々と水を湛えたダム湖。地図をひと睨みしたところ、3平方kmくらいの面積はあるようだ。水深も随分深いように見える。



堰堤の上から、ホワイトプレインズのビル群(写真中央)が少しだけ顔を出している。2時間ほども歩いてここまでやってきたが、車でなら15分もあれば余裕でやってこれそうな距離だ。



ケンシコダムから次なる目的地、ハドソン川に面したタリータウンを目指す。高架になった道でバルハラ駅の上を渡る。ホワイトプレインズの次の次の駅だ。2時間半も歩いてまだ2駅分しか進んでいない。駅間距離が長すぎる・・・。



遊歩道のようなものは無さそうなので、グーグルマップを頼りに、ごく普通の道を進んでいく。



道をテクテク歩いていると、全米で共通のものなのか、地域独自のものなのかは判らないが、様々な交通標識が見られる。



ケンシコダムとタリータウンの中間点、エルムスフォードの村にやってきた。さほど大きな村でもないが、ウェルカムボードが掲げられている。



大手モーテルチェーンのMOTEL6。調べてみると全米で1420もあるらしい。50年ほど前に創業した際、一泊を一律6ドルにしたことが、名前の由来だと聞く。30年ほど前には20~30ドルはしていたと記憶しているのだけど、今はいかほどの宿泊料金になっているのだろうか。



タリータウンに続く、州道119号線。随分だだっ広い道だが、歩道は無く、歩きにくい・・・。



ついにハドソン川が見えてきた。川岸に行くため、住宅街の中の道をウロウロするが、どこをどう進んでも行き止まりになる。川岸を走る鉄道を超えるところが無いのだ。



タッパンジー橋。築60年を超え、橋全体の立替工事が行われているため、新旧2本の橋があるうえに、工事のクレーン類も立っているようで、ゴチャゴチャしている。



タリータウンの駅にやってきた。この駅のなかの高架通路を渡って、ようやく線路を超えて川岸まで行くことができる。



ハドソン川。川岸まで来ても、なおタッパンジー橋の構造は判りにくい。この橋の正式名称は、かつてのニューヨーク州知事の名前が付くのだが、それに反発する人が多いらしく、皆タッパンジー橋と呼んでいる。



タリータウンからホワイトプレインズまではバスで帰る。2ドル75セントの定額料金だが、コインしか使えない。マンハッタン地下鉄のプリペイドカードで乗車する人が多いのだが、クオーターで11枚払う人が実際にいることに驚いてしまう。



本日の歩行軌跡。22kmのウォーキング。まずまずの距離だ。



ホワイトプレインズには、今後も度々と宿泊することになる。これまで東西南北の各方面に歩いたが、さて次はどこへ行こうか・・・。もっとも、もうすぐ歩きたくても歩けない冬がやってくる。

デトロイト散策

2018年9月19日(水)


デトロイトにやってきた。ミシガン州は初めての訪問だ。幸い仕事の密度も低く、自由時間が結構あるので、市内を散策する。アメリカの州ではあまり見ない絵柄マンホールが見られる。しかし、太陽を手のひらに載せた構図からイメージされる明るさとは無縁の、経済も治安も劣悪な状態にある町だと聞いている。



コンビニ等のレジは、分厚い防弾ガラスで覆われていて、お金をやり取りする小さな小窓が開いているだけ。最近他の町ではあまり見られなくなったのだが、犯罪発生率全米最悪と言われるデトロイトではこれが常識のようだ。デトロイトに行くと言うと、周囲からは例外なく、気を付けろ、出歩くな、とのアドバイスを貰う。



還暦も迎えて、もはや危険地域を冒険するような歳でもないが、逆に、どうにでもなれ、という投げやりな気持ちは強まるばかり。早朝、ダウンタウンの外れにあるホテルを出て西に向かう。メイン道路のはずだが周囲は随分と閑散としている。最盛期に比較して人口が三分の一になったのだから、町の過半が廃墟化しているのかもしれない。



廃墟巡り(というのがデトロイトにはあるらしい)の目玉になっている、旧ミシガン中央駅舎にやってきた。かつてのデトロイトの玄関口だというのに、まだまだ使えそうな高層ビルを併設した駅舎も、写真手前のホテルも、今は廃墟ビルということに唖然としてしまう。



鉄道の高架下も特に薄暗く、ヤバそうな雰囲気が漂ってくるが、もう少し先に進んでみよう。旧ミシガン中央駅とともに、ここまで来たら、もうひとつ見ていきたいところがあるのだ。




それがこのアンバサダー橋。デトロイトとカナダのウィンザーを結ぶ約2.3kmの橋だ。入国審査に加えて、通勤ラッシュのせいか、橋の上は随分渋滞している。ぶったまげたことに、この橋は、個人所有だという。とんでも無い大富豪に違いない。



アンバサダー橋から、デトロイト川に沿って、ダウンタウン方面に帰る。来た道とは1kmほども離れているが、周囲の風景は同じ。もとあったであろうビルの多くが取り壊されて、ガラーンとしている。



空洞化した町の景色の連続に飽きて、ヒューロン湖とエリー湖を繋いでいるデトロイト川に沿った道を進む。川の向こう(写真の右側)はカナダだ。ちょっとした水練の達者なら、造作も無く渡りきれそうな川幅だ。



魚釣りに興じる2人連れがいた。釣れるのかと思ってみていたところ、結構な大物を釣り上げたのでビックリ。昔は五大湖は汚染が酷く、魚など食べれたものではない、と聞いていたが、今はどうなのだろうか。



遊歩道のフェンスの支柱ごとに1羽ずつカモメ(?)が羽根を休めている。あまりの廃墟の実態(おそらく、その表層部を見たにすぎないだろうが)を知って荒んだ心が和まされる。



対岸のウィンザーのビル群。大きなカナダの国旗がはためいている。どうやらデトロイトと異なり、ウィンザーは治安の良い高級住宅も多いところらしい。



ダウンタウンの川岸に停泊しているクルーズ船。どうやらデトロイト川を遊覧しながら、ランチやディナーが楽しむものらしい。



国境の町デトロイトは、かつて自由を求めてカナダに逃避する奴隷たちの脱出ルートになっていたそうだ。市内には全米最大規模と言われる「アフリカ系アメリカ人博物館」がある。



カナダ側には大きな国旗が棚引いているが、アメリカ側は国旗の数で勝負とばかりに、ダウンタウンの川岸には星条旗が多数立ち並んでいる。



アンバサダー橋とは別に、デトロイトのダウンタウンから、直接ウィンザーに繋がるトンネルもある。道路標識にもカナダの文字や国旗が目立つ。



これがトンネルの入口料金所。出国する際にはパスポートチェックなども無いはずで、ごく普通の有料道路入口の光景だ。料金所の向こう側に免税店があることだけが国境らしいところだ。



GM(ゼネラルモーターズ)の本社にもなっているルネッサンスセンター。中央円筒形の73階建ビルが4棟のビルが取り囲んでいる。荒んだ廃墟と同じ町とは思えない超豪華施設だ。腐っても鯛、とは言い過ぎだが、米国自動車産業が未だ厳しい状況とはいえ、GMの底力は大変なものだ。



内部にも侵入する。レーシングカーから乗用車まで、数々のGM車が並ぶ広大なショールームには度胆を抜かれる。ここで働く人たちのためのフードコートも、途轍もない広さだった。



デトロイトにはギリシャ系移民が多いらしく、グリークタウンというちょっと雰囲気の違うエリアもある。事前に調べたところでは、デトロイトは黒人が圧倒的に多い街とのことだったが、ダウンタウンで見る限り、他の町と人種構成に大差は無いように感じた。



市内中心部を走る無人電車「ピープルムーバー」。1周約5kmの間に13の駅がある。一方通行の電車は1編成しか走っていないようだ。高架も随分低い。



デトロイトライオンズ(アメフトNFC)の本拠地、フォードフィールド。あの自動車のフォードがスポンサーになっているようだ。その隣にはMLBデトロイトタイガースのコメリカパークがある。



コメリカパークは、虎だらけ。エントランスはもちろん球場の外壁にまで虎ずくめだ。同じタイガースでも阪神甲子園球場とは随分テイストが異なる。



球場内にあるチームショップで、タイガース関連のお土産を買うつもりだったのが、まさかの平日デイゲーム開催中で、入場券が無ければ中に入れてもらえない・・・。フェンスの小さな穴にスマホカメラを押しつけて、内部の写真をチラっと撮影させてもらう。



さらに足を延ばして、デトロイトピストンズ(バスケット)、デトロイトレッドウィングス(アイスホッケー)の本拠地となっている複合施設、リトルシーザーズアリーナまでやってきた。野球、アメフト、バスケット、アイスホッケーすべてのメジャーチームが勢揃いする町は、全米でも多くはない。デトロイトが全米屈指の大都市といえる証左だ。



時間があるので、ピープルムーバーに乗ってみることにする。電車も無人だが、駅も無人だ。75セントでトークンを購入すれば乗り放題だ。英語以外にスペイン語だけでなく、意外なことにアラビア語の表記も見られる。



グルリと一周する予定が、カジノがあるグリークタウンでつい途中下車してしまう。改札を出るとそのままカジノの入口、と超便利だが、ラスベガスと異なり、機種も古く、どことなく場末感がある。アメリカではまず見かけなくなったタバコの自販機がある。



ソフトドリンクが飲み放題なので、有り難くコーラなどをがぶ飲みしたが、それを大きく上回る金額をスってしまう。ウン十ドルも投じて、僅か3セントしか残らなかった・・・。



市の中心部は、廃墟化した周辺部とは異なり、意外にも明るく清潔感がある。歩道に置かれたチェス盤も可愛いオブジェだ。惜しむらくは、誰かが持ち去ったのか、黒のキングとクイーンが見当たらない。



ダウンタウンではエリアマネジメント活動が積極的に行われているようだ。行政任せにするのではなく、地域の住民や事業主が共同して、町の美化活動などをしているようで、掃除をする人を何度も見かけた。



移動軌跡。16km地点まではしっかりと歩いた軌跡だが、スマホアプリを停止せずにいたので、その後の電車に乗ったり、仕事をしたりの移動も記録に残されてしまった。



不況が続くなかで、治安が悪化し、人口は激減し、市の財政も厳しい。多くの人がデトロイトに行くと言うと顔を顰めたものだ。実際見て回れたのはごく一部の特別な地域でしかないのかもしれないが、ダウンタウンを中心に着実に復興の道を歩んでいるように感じた。