小田原宿~箱根宿【東海道五十三次 -6】

2019年12月14日


東海道五十三次ウォーク6日め。いよいよ街道歩きの最大の山場、箱根八里だ。小田原から箱根、箱根から三島のそれぞれ四里を今日・明日で歩きとおしたい。小田原城見学もそこそこに、「万丈の山、千仞の谷」と歌われた「天下の険」に向け進撃を開始する。



箱根登山鉄道と新幹線に挟まれたところにある大久寺。小田原藩主大久保氏の菩提寺だ。秀忠の腹心として権勢をふるっていた大久保忠隣が突如改易されたのは気になるミステリーだ。60年後に子孫が小田原藩主に復帰しているところを見ても、幕府が忠隣の冤罪を認めたようなものだとも思える。



正面に見えるのが石垣山のようだ。秀吉が小田原を包囲した際に一夜にて城を建てたという。一夜とは少々話が大袈裟とも思うが、墨俣といい、石垣山といい、秀吉の十八番戦術だったようだ。天王山の麓には秀吉の一夜塔なんてのもある。



少々東海道を外れて風祭にある老舗の蒲鉾屋さん「鈴廣」に立ち寄る。どうも見覚えのある建物だと思ったら、歩道脇に「東京箱根駅伝 小田原中継所」と書かれた青い標柱があるのを発見。往路では上りの5区が始まり、復路でh下りの6区が終わるところだ。



標準軌の箱根登山鉄道には狭軌の小田急が乗入れているため、線路が3本敷設されている区間がある。いわゆる三線軌条だ



ここは国内で初めての有料道路だという。明治8年、まだ自動車も走っていない時代だけど、私財を投じて建設された橋や道路では、歩行者から通行料金を徴収できるという制度ができたことによるものだ。民活の走りといえるだろう。



箱根湯本の手前で旧東海道は国道1号線と交差する。ホテルやら美術館やらの案内看板が所狭しと道路脇に並ぶ光景が現れる。



箱根湯本から早川を挟んだ南側に早雲寺がある。後北条氏ゆかりの古刹だ。賑わう箱根湯本にも近いのに、意外なまでに参拝する人は少ない。静寂な境内で色づいた紅葉が美しい。



境内には北条5代の墓石が並んでいる。左から早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直だ。一時は関東で240万石にも達するまでに版図を拡げた大大名だが、江戸時代には大阪狭山で1万石余りを宛がわれる小大名として細々と存続した。秀吉ともう少しうまくやっていればなぁ…、と草葉の陰で悔やんでいるのではなかろうか。



早雲寺を過ぎると、いよいよ石畳の道が現れる。雨水での泥濘や、土の流出を防ぐためには、こうした方法が当時は最先端だったのだろうが、石の凸凹が靴底を突つき、実に歩きにくい。草鞋なら猶更厄介だろうが、江戸時代の旅人のタフさは大したものだ。



石畳の道はさほど長く続くことなく、再び自動車道に戻る。箱根八里といえども、かつての旧東海道がそのまま残っているところばかりではない。いや、予想していたより、遥かに少ない…。



割石坂。仇討ちで知られる曾我兄弟が試し切りで路傍の巨石を真っ二つにした故事に由来する。「江戸時代の石畳」とわざわざ書かれているところを見ると、他の石畳は近世の復元が多いのかもしれない。



石畳には少々食傷気味になる。このような地道が一番うれしい。雨でもなければ、江戸時代の旅人もそうだったのではないだろうか。



とんでもない道案内看板が現れた。箱根七曲がりとは聞いていたけど、一体いくつカーブがあるのだろうか。



傾斜を緩やかにするために、ジグザグ状に敷設されている現在の自動車道を余所目に、旧東海道は自動車道をショートカットするような急坂となっているところが多い。



ここは橿の木坂。昔の旅案内に「険しきこと 道中一番の難所」、「苦しくて どんぐりほどの 涙がこぼれる」とまでも評されているところだ。おそらく昔はこんな石段も手すりも無かったのだろう。今となっては山登りでありがちな石段。「どんぐりほどの涙」をこぼす人などおるまい。



道中で最も見晴らしが良いと言われる樫の木平。「万丈の山、千仞の谷」というのは大袈裟かとは思うけど、確かに山谷が連なる厳しい地形だ。



400年の歴史を有するという甘酒茶屋。赤穂浪士神崎与五郎が、馬方に絡まれたものの、大事を前にぐっと堪えて詫び状と土下座で謝ったという。討ち入りの日には与五郎まつりが開催されるようだけど、どんな祭礼なんだろうか。



さあ、箱根宿まで最後のひと山。この辺りまでくると、杉並木が街道沿いに植えられている。



最後は芦ノ湖に向けて急坂を下る。もうひと息だ。



芦ノ湖に面した元箱根に到着。箱根神社の一の鳥居が出迎えてくれる。ここまでほとんど人と出会わずに長い距離を歩いてきたところに、いきなり人の多い観光地に出てきたのでちょっと当惑してしまう。



芦ノ湖。さまざまな形の遊覧船が行きかっている。右手に見えるのが湖に突き出すように建てられた箱根神社の平和の鳥居、前方の山は三国山に違いない。



箱根関所まで続く杉並木。これまでの杉並木よりも格段に立派なものだ。覚悟していたよりも十分な体力を残してビクトリーロードを行くように最後の直線を進む。



箱根関所に到着。誰もが知る関所のなかの関所だけれど、江戸幕府は全国に56ヶ所も関所を設置していたそうだ。意外と訪問客が少ない。今や箱根訪問の目玉は関所ではなく、エヴァンゲリオンなのかもしれない。



本日の歩行軌跡。約21km。風祭で襷リレーを行う箱根駅伝の5区とほぼ等距離だから、国道を行く駅伝コースよりは4km以上ショートカットした道になっているようだ。



標高グラフ。登りがキツイ後半部分で勾配10%強。平均斜度にすれば6度くらいになるのだろうか。平均斜度や標高では六甲山に近いものに思えるけれど、道がよく整備されていたせいか、六甲山の方が遥かにしんどい。