伏見五福めぐり(2022)

 2022年1月4日


新年恒例の伏見五福めぐりに出掛ける。伏見の5つの寺社を巡り、干支の色紙に5つの御朱印をいただくというもの。今年で13年連続の参加になる。毎年悩むのが5つの寺社をどの順番で回るか、ということ。未だに最短経路が判らない。



京阪、近鉄、JRが乗り入れているので10駅ほどものスタート駅候補があるなかで、今夏はJR桃山駅からスタート。戦前は明治天皇陵や乃木神社への参拝客で賑わい、土産物屋も並んでいた駅だと聞くけれど、今は伏見地区のなかでも最も静かで質素な駅舎だ。



桃山駅から茅葺屋根の家屋が未だ残る静かな道を乃木神社に向かって坂を登っていく。過去12回の五福めぐりでは残雪や凍結で苦労して歩いたこともあったけれど、幸い今年の年始は穏やかだ。最も昨日に比べれば随分と寒く感じる。



乃木神社で色紙を購入し、最初の御朱印を頂戴する。東京や下関の旧宅跡など軍神乃木希典を祀る神社は全国にいくつもあるけれど、ここに乃木神社が建立されたのは、その死に殉じた明治天皇が眠る伏見桃山陵の傍であるからなのだろう。



三ヶ日が終わったせいか、境内の人出はかなり少なく、落ち着きのある雰囲気を取り戻している。もっとも最近では武運長久から転じて受験生たちが合格祈願に訪れるため、あと2ケ月ほどは参拝客は多いはずだ。



明治天皇が鎮まる伏見桃山陵への参道を横目に見ながら、御香宮神社へと向かう。この辺りには桓武天皇稜もあり、かなり広大な土地が宮内庁に管理された静謐な緑地になっている。



御香宮神社。京阪、近鉄、JRの各駅からも近いせいか、乃木神社と比べると参拝客は多い。境内には御香水と呼ばれる名水が湧き出ていて、この水を目当てに来られる方も少なくないようだ。



境内には酒樽を置いて酒饅頭が売る店がある。こんな寒い日に饅頭を蒸す湯気に惹かれて堪らず買い求めてしまう。



京阪電車の伏見桃山駅。駅ホーム、商店街、踏切が、これ以上どの方向にも拡張できないほどに頭を突き合わせている。



中書島の長建寺。かつての遊郭の女性たちの信仰を集めたことを知っているせいか、山門も本堂もどことなく艶っぽく感じてしまう。春には桜が美しいところだ。



五福めぐりの色紙を持って並ぶ人が多くなったように思う。格式や人気の高い寺社か選ばれているのではなく、どうも仲の良い5寺社が立ち上げたイベントように思えるのだけれど、五福めぐりの成功で各寺社の名も売れて、人出も大いに増加しているはずだ。



長建寺の前には伏見の水路。桜のシーズンなどには復元された十石舟が観光客を乗せて運行されるところだけれど、冬季には十石舟もブルーシートで覆われている。水路の向こうには伏見の酒蔵が並んでいる。



見どころの多い伏見でも一番人気と思われるのが寺田屋。伏見ではごく普通の旅館だったはずだけれど、幕末に二つの大事件の舞台となった。ひとつめは島津久光の指示による薩摩藩急進派の大粛清。ふたつめは伏見奉行所による坂本龍馬襲撃だ。



大黒寺。5寺社のなかでは、もともと一般の観光客が訪れる機会は少なそうなお寺に思える。もっとも薩摩藩に深い所縁のあるお寺で、訪問者多くは歴史好きで、その目当てはお寺ではなく、その裏手にある墓地ではないだろうか。



有馬新七など寺田屋で殺害された尊王討幕派の藩士の墓が並ぶ。藩主に逆らって粛清された藩士の墓にも関わらず、墓石には「殉難烈士」と刻まれている。薩摩藩が紆余曲折の末に、結局尊王倒幕にシフトしたのだから、何とも悲しい巡りあわせとしか言いようがない。



幕府に押し付けられた木曽三川の堤防工事の責任者だった平田靭負の墓もある。多くの犠牲者を出したことの責任をとって堤防完成後に自害したと伝わるが、気の毒でならない。堤防完成の恩恵を受けた桑名では盛大に祀られていたけれど、ここはひっそりしている。



最後の訪問は藤森神社。このブログを始めた際の最初の写真が藤森神社だ。その後、毎年2回ほどは、このアングルで写真を取り続けている。



藤森神社本殿。築300年超だという。三が日なら新年参拝の長蛇の列ができるところなのだけれど、意外にも人は少ない。



学問と勝運の神社だけれど、競馬の神社のイメージが強い。というのも絵馬堂には競馬関係者が奉納したと思われる競走馬の絵馬がたくさん並んでいる。馬券的中を願う競馬ファンの参拝も多いはずだ。



無事五社を巡り終え、寅の色紙に5つの御朱印が並んだ。



コンプリートのご褒美は干支の土鈴。12年前は黄色だったんだけれど、今年は白。12年前の黄色を除けば、ずっと白だ。形も丸っこくなってきた。



歩行距離7.2㎞、所要時間2時間40分。参拝などの待ち時間も多いとはいえ、数字だけ見れば、かなりのんびりしたウォーキング。伏見稲荷まで足を伸ばすことも瞬間頭を過ったけれど、すぐに打ち消してしまうほど、結構疲れてしまった。