鬢櫛山・籾取山・井ノ口山・苫編山・山崎山(姫路市)

 2022年3月12日


赤とんぼと揖保川をモチーフにしたロゴマークの付いた列車で一駅、播磨高岡駅で下車する。姫路市西部を流れる夢前川の東に連なる鬢櫛(びんぐし)山・籾取山・井ノ口山・苫編(とまみ)山・山崎山との5つの低山の縦走を目指す。



播磨高岡駅の南にすぐ登山口がある。住宅街の端だというのに、いきなり急峻な登り坂だ。3年前に逆コースを歩いたときには、道を間違ったかと思うほどの急坂を播磨高岡に下山してきた記憶が残っているけれど、この道だったのかもしれない。



軽い山歩きのつもりでやってきたけれど、急坂の連続に早々に息が上がる。先日の斉藤山・桶居山でのダメージが未だ癒えていないのだろうか。足腰のハリも感じる。



しかし最大の問題は、乗り換えの姫路駅の構内でつい買い求めてしまった御座候。姫路名物のアンコたっぷりの今川焼だ。朝から2つも食べてしまったものだから胸やけが半端ない。普段なら3つでも4つでもペロリなんだけれど、登山前に食べるものではない…。



まさかアンコにやられるとは思わなかった。胃から逆流してきそうなアンコに耐えかねて、下界の眺望が広がる岩場で腰を下ろしお茶を飲み、早々に休憩だ。



第一峰の鬢櫛山(186m)がすぐ目の前に待ち構えている。鬢っぽくも櫛っぽくも見えないけれど、早くも登っていくのが鬱陶しく感じられる。とにかく暑い。半袖でも大丈夫そうな気温だ。しかも早々に持ってきたペットボトルの半分くらいを飲み干してしまったぞ。



こんなに岩稜が続く山だったかなぁ…。3年前とは逆コースで歩いているとはいえ、記憶していた道とチョット違う。



籾取山が見えてきた。標高は200m。今日歩く山々のなかでは最高峰だ。3月とは思えない暖かさのなか、頂上目指して登っていく。



ダラダラとした登り坂に見えた籾取山だけれど、山頂に近づくとやはり岩場が現れる。全然大した岩場ではないのに、またまた息が上がってくる。



見覚えのある割れた石碑が目に飛び込んできた。「伏見宮貞愛親王殿採蕨地跡」とある。ワラビ採りくらいで記念碑が建つのも不思議だけれど、何百年も前に天皇家から分家した伏見宮家が宮家として存在し続けた理由がよく理解できない。



井ノ口山の山容が正面に現れた。道はようやく落ち着きのある尾根道になってきた。



登ったり下りたりを繰り返し、井ノ口山(157m)の山頂らしくところまでやってきた。山頂碑がないのでよく判らない…。



井ノ口山の下を山陽新幹線がトンネルで貫いている。姫路を出て西へ、最初のトンネルが井ノ口山だ。トンネルを走り抜ける新幹線の写真を撮りたいと山頂近くの岩の上に陣取り20分以上も粘ったけれど、皮肉にもふと気を抜いた瞬間に新幹線はやってくる。



井ノ口山を下り、続いては苫編山に向かっていく。3年前には頂上に反射板があったはずなのに見当たらない。取り壊されたのかぁ?



ここまで来ればもうひと息。ちょっとザレた坂を攀じ登っていく。



やはり苫編山(165m)の反射板は撤去されていて基礎部だけが残されていた。お弁当広場みたいになった山頂部からは姫路の町を広く見渡すことができる。空は霞んでいるが姫路城もなんとかスマホカメラで撮影することができた。



苫編山から山崎山へ。両側が切り立った尾根道は大きな一枚岩の岩稜になっている。でもほとんど勾配がないので、ルンルン気分で歩いていける。もっとも所々にある穴には注意が必要だ。



落葉がうずたかく積った坂道を下っていく。軽い山歩きのつもりだったけれど、結構足腰に疲れを感じる。



太陽光パネルの向こうに本日の縦走のフィナーレとなる山崎山が見えてきた。



山崎山(86m)の山頂。眺望のために木を伐採しているようだ。ベンチなども置かれている。秀吉の播磨攻めの際は、弟秀長がここに陣を構えたらしい。三木城、御着城とともに播磨三大城に数えられていた英賀城を見下ろすことができるところだ。



もともとは鬢櫛山から南に縦走して英賀保に下りて、夢前川を渡って折り返すように白毛山などを北に縦走して播磨高岡に戻ることで計画していたものだけれど、ちょっと厳しすぎたかもしれない。また日を改めて残りの半分を歩くことにしよう。



英賀保駅から帰路につく。屋根付きの赤茶けた鉄製の跨線橋はいかにも重厚だ。とても古くて珍しいものにも見えるし、近くに広畑製鉄所があるので関係があるのかもしれない。曰くのありそうなものなんだけれど、ネットで調べても何の情報も得られない。



本日の歩行軌跡。距離5.4km、累積標高420m。休憩ばっかりして所要時間は3時間40分。軽い山歩きのつもりだったけれど、そこそこ疲れた。