甲府市散策

 2023年6月17日


ちょうど一ケ月前にやっと甲府まで辿り着いた甲州街道歩き。5月でさえ猛暑にくたばってしまったというのに、梅雨の合間の晴れ間が4日ほど続くようなので懲りずに再び甲府にやってきた。今日は甲府駅北口からまずは戦国大名武田家の遺跡を巡ってみることにする。



甲府駅南口にある武田信玄の銅像に対し、北口には父、信虎の像がある。40代なかばで信玄に駿河での隠居を強制されたことから悪い評判も多い人物だけれど、甲斐一国の統一や、今川との同盟締結など、そして甲府の創建など、戦国大名としての実績は半端ではない。



甲府駅から2.5㎞ほど北にある武田氏の本拠、躑躅ヶ崎館(現在の武田神社)に向かう。駅と武田神社を繋ぐ道は武田通りと名付けられている。道の周囲は武田町だ。武田氏滅亡から400年以上も経つというのに、甲斐と武田の関係はますます強固になっているようだ。



川中島で信玄を守って討死した武田典厩の屋敷跡がある。どうやら武田通を中心に武田家重臣の屋敷が並んでいたようで、武田二十四将の屋敷跡すべてに同様の表札が立っているようだ。この時点では未だ元気で、24ヶ所まわるのも面白そうだ、などと考えていた…。



30分ほど歩いて、武田神社に到着。覚悟していたより暑さが厳しい。たくさんの参拝者の姿が見えるけれど、その殆どは車でやってきていて、駅から歩いてくる人など他にはいないようだ。



人は城、人は石垣、人は堀…との名言が残されているように、信玄は城に手を掛けるよりも人材育成に力を注いだと伝わっている。もっともさすがに戦国の大大名の居城だけに、防御力に弱い平城とはいえ、それなりの堀や石垣は備わっていたようだ。



かつて躑躅ヶ崎館の政庁があったと思われるところに武田神社の本殿がある。ご祭神はもちろん武田信玄だ。でもここを整備して本拠を構えたのは信虎なんだけどねぇ…。勝運向上だけでなく、商売繁盛や金運向上にもご利益があるらしい。隣接する宝物殿にも入館。



かつての大手門が少し復元されている。石塁や土塁が施され、馬出しや三日月堀も備えられていたようだ。織田信長の侵攻に対抗すべく、武田勝頼は韮崎の西に新府城を築城して本拠地を移動するのだけれど、武田滅亡以後、再び甲斐の中心は甲府へと戻ってきた。



躑躅ヶ崎館からは富士山も見える。静岡県側からの富士山と比べて、山梨県側からの富士山はやや黒っぽく見えるような気がする。日当たりのせいだろうか、季節のせいだろうか、あるいは気のせいだろうか。



武田神社の周囲にはミュージアムや土産物屋が並んでいて、風林火山の旗を何本も掲げている。もとは信玄が孫氏の兵法の一節を高僧快川紹喜に書いてもらったものらしいけれど、これを風林火山と略したのは意外に最近のことで、井上靖の小説が始まりだと聞く。



武田神社から南東にある信玄の墓にお参りする。死を三年間秘匿せよと遺言して亡くなっただけに、お墓もミステリアス。信玄の墓と言われるものが10ほどもあるらしい。もっともこの墓からは信玄の法名が刻まれた石棺が発見されたそうなので、信憑性は高そうだ。



道に立つ案内板には、信玄公火葬塚と並んで河尻塚が案内されている。武田討伐後に織田信長が甲斐一国22万石の統治を委ねた河尻秀隆の墓だ。気の毒なことに秀隆着任後の2ヶ月ほど後に本能寺の変が起き、秀隆は武田残党に攻め殺されてしまった。



おお、なんと憐れな…。案内板での扱いは信玄と同格だけれど、お墓は民家の片隅の草むらにひっそり佇んだ、ごくごく粗末なもの。信長の黒母衣衆筆頭とて数々の武功を立て、甲斐一国を任された大物の墓とは思えない。これもこの地の武田贔屓の為せる業だろうか。



武田神社から南へ、古の道と名付けられた山裾の散策道を歩いて武田信虎の墓所に向かう。墓所がある大泉寺になかなか辿り着けず、周囲をウロウロさせられる。だいたい大きなお寺というものは、四方に入口があるものだけれど、ここは南側からしか入れないようだ。



信虎の墓所。信玄の父だけれど、没年は信玄の翌年だ。長らく駿河に留め置かれて、甲斐に戻ることが許されなかったけれど、信玄の死を知らされていたのだろうか。



信虎の墓、と紹介はされているけれど、お堂の裏手にあるのは3つの供養塔。どうやら、信虎、信玄、勝頼の3人のもののようだ。しかし、どれが誰のものなのか、何も案内されていない。



武田三代の供養塔のすぐ傍には、何故か曽我兄弟の供養塔が立っている。曽我兄弟って鎌倉時代だし、そもそも甲斐と関係があったっけ? 暑い中を苦労して訪ねてきた大泉寺だけど、腑に落ちないことばかりで、疲れが一気に噴き出す。



再び甲府駅へと戻り、先日は外周しか見ることができなかった甲府城の城内に入ってみる。石垣も堀も立派だけれど、往時の建物は残されておらず、北東の隅に唯一稲荷櫓が再建されている。



天守台跡。もともと天守閣があったのかどうかは不明らしい。近藤勇に先んじること僅か1日、板垣退助率いる新政府軍がここを占拠したのだけれど、その後なぜか新政府はこの城の建物をすべて破却したそうだ。



立派な縄張りのお城だけれど、何といっても景観が壮大だ。南には雄大な富士山が顔を覗かせている。



西には南アルプスの山々が連なる。この後信州へと向かって歩く予定なんだけれど、まるで通り抜けれそうな隙間が見当たらない。ホントに信州に道は繋がっているのか、と疑いたくなる。



甲府駅南口で風林火山のデザインマンホールを発見。調べてみると甲府市内に唯ひとつしか設置されていないらしい。



明日以降のことを考えると少しでも西に進んでおきたい。最悪でも竜王駅までは行きたかったんだけれど、大して歩いてもいないのに酷く疲れてしまった…。信玄公にご挨拶だけして今日は終了。



歩行距離8.6㎞、所要時間4時間。不本意な距離だけれど、今晩はしっかりと疲れを癒して明日以降の街道歩きに備えよう。