中山道(2)(戸田〜北大宮)

 2023年12月16日


一昨日に続いての中山道歩き。荒川を渡る戸田橋から最も近い戸田公園駅から再スタートする。戸田といえば競艇場があることくらいの知識しかないけれど、江戸時代は架橋が禁じられていた荒川の渡し船の拠点で、人流・物流の拠点として賑わったところと聞く。



さらに戸田では江戸時代は将軍家の狩猟場として鷹狩がしばしば行われたという。鷹の餌になるオケラなどを確保することも村人の重要な役割だったらしい。今ではすっかり市街地化してしまって、狩猟の風景を思い起こすことは難しい。



人口密度が日本一ということで有名な蕨市に入る。国道17号線を進むと、中山道蕨宿の石標が現れる。ここから国道を外れて旧道に入っていく。旧道に面した旧宿場町は期待ができそうだ。



蕨市のコミュニティバス。どうしてウサギがマスコットになっているのかなぁ、と思ってしらべたら、これはワラビーらしい。明らかに市名から選ばれたマスコットだ。ちなみに蕨市というのは植物の蕨ではなく、もとは藁火だったとも聞く。



歴史民俗資料館に立ち寄る。宿場町のジオラマが設置されたり、本陣や旅籠が再現されている。旅籠に到着した旅人が、濯ぎ桶で足を洗ってもらっている。汚い足で座敷にあがられては迷惑ということもあろうが、メチャクチャ気持ち良さそうで贅沢なサービスに感じる。



歴史民俗資料館の隣には本陣跡が再現されている。もっともほんの軒先だけしかないけれど、こんなのがあるだけで旧宿場町の雰囲気はグッと高まる。



旧宿場町ではマンホールも特別なものが設置されている。旅がらすかと思うけれど、白いよなぁ…。調べてみるとカラスは不吉なので、ハトにしたらしい。確かに伝書鳩にも代表されるようにハトも長距離を移動する鳥だけど…。



街並みも旧宿場町の雰囲気を高めるための工夫が進められているようだ。酒屋もクリーニング屋も、和風の文様をあしらった看板に統一されつつある。



江戸から五里目の辻の一里塚。いかにも隣接する自動車道の建設で移設されたように思える真新しい碑がある。なぜか一里塚碑と並んで弁財天が祀られている。



浦和に向けてのちょっとした登り坂。焼米坂というらしい。旅人の携帯食料(行動食?)としての焼米を売る店がここに並んでいたという。



調(つき)神社。珍しいことに鳥居が無い。伊勢神宮への貢物(調)を運び込むのに鳥居が邪魔になったらしい。一体どれほどデカい貢物だったのだろうか。さらに「つき」=「月」とのことから、狛犬ではなく、一対の狛ウサギが門前に並んでいる。



浦和宿の石標が現れたけど、このような都会の大通りでは、旧宿場町の雰囲気が色濃く残っていることは期待できない。



浦和といえば埼玉県の県庁所在地。今では大宮市、与野市と合併してさいたま市となって更なる大都市になった。もっとも旧宿場町の雰囲気などまるで感じられない…。



ニ・七市場跡。毎月2と7が付く碑には浦和宿で市が開かれていたそうだ。ちなみに蕨が一・六の市、鳩ケ谷が三・八の市、与野が四・九の市、そして大宮が五・十の市だったという。毎日この周辺のどこかで市が開かれていたことになる。



Jリーグ浦和レッズの本拠地だけに、浦和に入ると、やけにサッカーに関する掲示やオブジェなどが多いことに気付く。東海道歩きで通過した平塚とか磐田も凄かったけど、浦和のサッカー熱はそれらを遥かに上回っているように感じる。



一本松の仇討の現場。1864年、幕末最後の仇討だとの説明がある。明治になって仇討が禁じられた後も仇討と呼ばれる事件はいくつかあったはずだ。



さいたま市誕生に伴い、大規模開発された「さいたま新都心」にやってきた。JRに沿って高層ビルがズラリと並んでいる。



街路樹が青いネットで覆われている。鳥害防止のためかと思われたけど、違うかもしれない…。ネットの下部に大量の落ち葉が溜まっているのだ。ひょっとして落ち葉を効率的に片付けるためのものだったりする目的も兼ねているのかもしれない。



大宮の中心部に近づくと、氷川神社の一の鳥居が現れる。この先2㎞ほどもの長い参道が続いているようだ。参道を歩いてみたいけれど、現在は大宮の中心となっている旧宿場を見ておきたく、そのまま大通りを進む。



まあ元より期待はしていなかったけど、大都会大宮で旧宿場大宮宿の面影を見つけることは難しい。「大宮仲仙道 大宮中央商店街」の垂れ幕があるばかりだ。



遠回りをして、武蔵一の宮、日本武尊が東征の戦勝祈願をしたとも伝わる氷川神社にやってきた。鎮座は2500年も前との説明がある。まあ、これはいくらなんでも、と思うけれど、東国を代表する古社のひとつであることは間違いない。



拝殿の前の賽銭箱がメチャクチャでかい。ひょっとして早くも初詣の準備が始まっているのだろうか。



袋絵馬というものが数多く奉納されている。色とりどりの巾着袋のなかに願い事を書いた紙製の絵馬を入れるというものだ。願い事を他人に見られることもなく、見た目も美しい。これって、今後の絵馬の主流になりそうな気がする。



氷川神社参拝を終え、最寄りの北大宮駅で今日は終了。JRだと思って交通ICカードで改札に入ったけれど、やってきた電車はJRっぽくない。よく見ると東武鉄道だった。関東の鉄道は難しい…。



京都に向かっているというのに、東京からどんどん北に向かっていることには少し混乱を感じてしまう。今日の歩行距離は18.8㎞、所要時間は6時間10分。このまま群馬県高崎を目指して歩くのか、あるいは木曽路に転じるのか、次の街道歩きは全くの白紙だ。